総 長 告 辞
入 学 式 |
総長 丹 保 憲 仁
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ようやく雪が解け,北国の春が始まろうとしているこの頃です。今日は,名誉教授の諸先生のご臨席をも得て,北海道大学の一員となる2,364人の新しい学生を各学部に迎えることができますことを心から嬉しく思います。はるばる勉強にきてくれた14名の留学生がこの中に含まれます。
諸君の周辺にあって,今日の喜びに至る過程を支え励まし,教え導いてこられた方々のお慶びもいかばかりでしょうか。ご同慶の至りに存じます。
北海道大学は明治9年(1876年)黒田清隆開拓長官やクラーク先生のもとで開学された,学士号を授与する日本最初の国立大学です。開学以来,第三世紀目の活動に入っており,この秋,創基125周年を迎えます。日本を代表する研究主導型の総合大学です。クラーク先生の遺して行かれた言葉「Boys, be ambitious! 青年よ,大志を抱け」と「Be gentlemen! 紳士であれ」をモットーとして,10万人の学士,1万6千人の博士を世に送り出し,近代日本の発展に大きな力を尽くしてきました。新渡戸稲造,内村鑑三,宮部金吾,広井勇,有島武郎,志賀重昂といった,近代日本の黎明を開いた多くの先輩が,自然を愛し,人を愛し,自らを厳しく律する道として,クラーク先生の「Be gentlemen! 紳士であれ」の教えを守り,具体の成果を本学に遺していかれました。
諸君は開学以来125年目に,此の大学の長い歴史の人脈に加わる,21世紀初頭の入学生です。60億人をこえて地球に溢れつつある人類が,限られた資源,エネルギー,空間を大切に使い,人間同士がそして人と他の生物が折り合って共生していかねばならない地球環境制約の時代に,様々な困難を人類が乗り越えるための活動の核となってもらわねばならない人々です。諸君は21世紀に新しい世界文明の創成者となるべき「大いなる志」「貴き野心」を持って働いていただかねばならない人々です。そのために高度な学問を学び,自らの手で新しい文明の基本的な考え方を創りだして頂かねばなりません。
大学は学問をする空間であり,すべての成果は真摯に学問をすることによって初めて生まれてきます。大学で学ぶ諸君は学生と言われます。教わって勉強を進める高等学校までの「生徒」ではありません。自ら学ぶことを生業とする人であり,自ら学ぶ「学習」こそが学部課程の学業の中心です。それを助けるために一般基礎教育・専門基礎教育等の基礎的な授業が組まれるのであって,その逆ではありません。受ける教育をこなすために「学習」するのではありません。大学院では学部段階での学習といった行為が「研究」といった創造的な学業に進化します。それを助けるために専門教育が行われます。大学院研究大学とそうではない大学の仕組みの大きな違いです。
この大学には2,200人の教授・助教授などの教官に加えて,諸君たちの直近の先輩である,様々な分野の学問をかなりのレベルまで学んでいる5千数百人の大学院学生がいて,諸君が具体に学ぶ際に,学問上のいろいろのことで助けてくれるでしょう。またこの大学には,世界70カ国余からの600人を超える大学院留学生がおり,毎年1,000人を遙かに超える外国人研究者が学びに来,同じ数ほどの教官や大学院生が海外で研究を進めるなど,国際化が日常のこととしてある大学でもあります。図書館は土日も開館されていて,諸君が自ら学ぶことに不便は無いと思います。これらのこの大学の特徴を路傍の過ぎゆく風景とするか,自分の特権とするかは君たち次第です。
諸君がこれから北海道大学の学生として学び始めるにあたって,次の三つのことを努力し始めてほしいと思います。
その第一は,他人意見を偏り無く理解し,自分の意見をしっかりと他人に伝えられるよう努力することです。明解に日本語を話したり書くことの修練です。伝えるべき意見を明確に自分の中で形成できるかどうかが最初の鍵であり,それを表現するための言葉の種類,すなわち適切な語彙を豊かに持つことができるかどうかが次にくるでしょう。自身の意見を持つためには,本当の体験・工夫・思考を自ら重ねて,知識を自らの体が覚えるまでの確かなものとすることです。学問の本質は,事柄を繰り返し学ぶことから始まり,そして,それを間違いなく他の人に伝える能力を獲得することへと展開します。日本語を明解に話せるようになるということは,学問をするということそのものなのです。この大学で学ぶ間に,内容のある日本語を明解に話せる人になってください。
第二は,少なくとも一つの外国語を,しっかりと聞け,ほぼ自由に話し,書けるように努力することです。このための学習の基本は,内容のある日本語を話し,書くことができるようになるための修練と同じです。使う機会が少なければ技術的な成長に時間がかかるでしょうが,表現すべき内容と身に付いた知識があれば,必ず使えるようになります。十分に使うためには,私の年令までも努力し続けなければならないかも知れません。好むと好まざるとにかかわらず,この大学に学ぶレベルの学生であれば,ネットワーク上で世界の様々な情報を得て,自ら作りあげた知見と併せて世界に発信できるよう,学習を進める必要があります。世界に専門家として通用する最小限の要件です。
第三は,最も本質的な学問の目的です。「知らないことを知る」ことです。簡単な問題なら誰でも答えが出せます。答えの決まっている問題なら努力さえすれば答えが得られます。しかしながら,世の中にある実際の問題は答えがあるかどうかが解らないのがほとんどです。何が問題かすら解らないことのほうが多いのです。諸君は高等学校までは,答えのある問題を解く勉強を「生徒」として学んできたと思います。これからは答えがないかも知れないことを,「学生」として主体的に自力で学び,いずれは「専門家」として具体の提案をしなければならないことになります。繰り返して言いますが今までの「生徒」と,これから大学の「学生」として求められている挙動は似て非なるものです。自ら学び続ける真の「学生」になることが,自らの専門をもって社会に事柄を提案することの出来る人間となるために,なんとしてでもよじ登らねばならない最大の関門です。米国の多くの大学では,一年生フレッシュマンを一人前の学生として扱わなかったり,少なからぬ学生が一年次に大学を去るのはこのような転換の壁があるからと思います。
近代を通じて,人類がかつて経験したことのないような大繁栄を見たのは,絶えざる科学技術の進歩に支えられてのことです。科学は「一定の手順によれば一定の結論に達する」という手順論にすぎないともいえます。科学が明快な答えを出し,有効に働くためには,問題が単純であることが必要です。従って,近代科学技術は環境条件を単純にすることによって初めて成立しました。縦割り社会を創って,単純な構造のまま組織を大きくして独占的に空間や資源を使って産業は成長し,その総和として人類は繁栄し続けました。その結果,地球上にはもう個々の活動が分け取って占有出来る空間や資源が十分になくなってしまいました。地球環境制約の時代が始まり,近代の社会構造はそのままでは有用ではなくなってきました。もう近代科学が大発展した時代のようなシンプルな課題は少なくなって,複合問題が扱うべき問題の多くを占めます。問題が複雑になってくると,様々な解があり得ます。評価の尺度も単純でなくなってくると,問題を立てることさえ簡単でなくなってきます。
諸君が社会の中核となりリーダーとなって働く21世紀の事柄は単純に正邪を論じて展開するのではなく,複雑な環境の中にある行為が受け入れられるには,どのような事柄の組合せを,どのような判断過程に基づいておこなうとよいかといった,ある種のダイナミズムのもとで進行するように思います。これからの4年間,または6年間を,生涯学び続けねばならぬ学問の第一サイクルと考えて,基礎知識の修得に加えリアルにものを扱うすべを学び始めてください。学問の始まりは具体の問題に対する例題演習から始まります。例題を具体に解くためには,逆にしっかりとした幅の広い基礎が必要です。一つまた一つと,具体の例題を解き,その成果を積み重ねて人は成長していきます。諸君はその第一サイクルの始まりにいまいるわけです。全てを総合的に効率よく学ぶと言ったうまい方法はありません。学問に王道はありません。一つ一つの努力を完成させて,積み重ねをするのみです。
日本の社会の弱点は,明確な個性を持った専門家が少ないことです。大学教育の目標として,ジェネラリストを考えるか,スペシャリストを求めるかがしばしば問題になります。このいずれをも持たなくては,本当のエリートとして社会の中核で働くことが出来ません。個人が文化のレベルでの固有の知見と,他人の持たない専門性とを共に持つことが必要です。研究型の大学院重点化大学はその双方を持つことを教育の目標に置く大学です。これは,社会の中核となるメンバーに求められている要件です。諸君はその期待を込めてこの大学に迎入れられた若者です。それが故に国民は毎年800億円以上の大きなお金をこの大学に投入してくれているわけです。もっと楽な道を歩きたければ,ほかの高等教育機関が無いわけではありません。
北海道大学を巣立っていった,多くの先輩が慈しんできた「都ぞ弥生」に歌い込められた,新緑のエルムの大キャンパスがすぐに皆さんを包み込んでくれるでしょう。大切に緑や草花を育んでより美しい学園として後輩に伝え続けていってほしいと思います。この夏,創立125周年を迎えるこの北海道大学は諸君の大学です。この大学を成長させ続けることができるのは,諸君です。歴史的成果や社会の評価をむさぼるだけの受け身の学生では困ります。
もし,諸君が北海道大学で学ぶこれからの数年間に,「終生にわたり共に助け合える友人を得,終生のよき趣味を見つけ,終生の師に巡り会う」ことができたら,その人は人生の糸口のほとんどすべてをこの大学でものにしたことになるでしょう。一つ得ただけでも幸いです。二つ得られればすばらしいことです。主体的に学び続けることから事柄は始まるでしょう。このエルムの学園での精進を望むとともに,幸運を祈ります。
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