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岡田教授と吉田名誉教授に北海道科学技術賞

 この度,本学大学院理学研究科教授岡田弘氏と名誉教授吉田宏氏が北海道科学技術賞を受賞されました。この賞は,道民生活の向上のために科学技術の研究,実践活動により,地域産業の振興に貢献した業績をたたえ,道民の科学技術の振興意識を高揚するために贈られるものです。
 お二人が長年にわたって優れた業績をあげてこられたことに対し,表彰がなされたものです。
 受章にあたっての感想,功績等を紹介します。

岡 田   弘 氏
岡 田   弘 氏
 私は1943年,長野市で生まれました。翌日から有珠山の山麓で昭和新山の鳴動が始まったことは知る由もありません。終戦前後の食糧難の時代に未熟児で生まれ育ち,子どもの頃はスポーツが苦手で本ばかりむさぼり読んだ少年でした。苔を収集していた中学の恩師が自然学習で野外へ連れ出してくれたことは,その後自然科学を専攻した基礎だったようです。1962年北海道大学理類に入学しました。十勝岳の激しい噴煙が札幌からもよく見えました。2年生のとき観測のお手伝いに誘われれたのが昭和新山でした。夕方薄暗くなるとポット赤く輝く高温の溶岩ドームと対面しました。大学では地震学の宇津徳治先生の指導を受けました。
 島弧下のプレートの実証的研究で博士号をいただいた1977年,有珠山噴火が発生しました。当時北大の横山泉・勝井義雄両先生,我々の先輩でもあった札幌管区気象台の清野政明さんを中心に精力的な総合研究が展開されました。私はお手伝いとして噴火前日に仲間達と地震多発中の現地へ駆けつけ,翌朝澄み切った青空をまっすぐと12,000mに立ち上がっていく真っ白な噴煙柱を唖然と見ていました。手伝いで始まった火山観測はその後次第に本業となりました。
 1985年南米のネバド・デル・ルイス火山で発生した災害は世界の研究者に強い衝撃を与えました。研究者が理解しハザードマップで示した災害が,避けられなかったからです。災害当事者になるかもしれない地元の住民が,万一の際に知識を持って自らの安全のため行動できるように,火山学者は平時から地元行政やマスメディアと連携して支援する必要性が国際的に自覚されました。国際火山学会は火山災害軽減委員会を設立し,減災ビデオ等の取り組みを強化しました。国際会議においても減災を志向したセッションが活発になった時代です。この様な時代背景の中で,有珠火山観測所所長だった横山泉教授が退官された1987年から1998年まで,助教授ながら観測所長を11年間任されることになり,現地にへばりつくことにしました。伊達市には丁度20年間おりました。
 日本では1988−1989年十勝岳や1990−1995年雲仙岳噴火,更に1993年奥尻津波災害は,社会的に大きな影響を与え,有珠山山麓でも大きな転機をもたらしました。勝井義雄教授が取り組まれた先進的な駒ヶ岳や十勝岳のハザードマップが社会的な認知を勝ち取る時代に入りました。次第に虻田町や壮瞥町の観光業に携わる住民が災害予測や噴火予知を知りたいと北大の有珠火山観測所を次々に訪れ始めました。マスメディアの積極的で粘り強い行動も重要でした。ハザードマップ作成をためらっていた一部行政も1994年タイムリーに軌道修正を行い,その結果詳しい情報の掲載されたマップが1995年地元の全住民に配布されました。
 壮瞥町が中心となり「昭和新山生成50周年記念国際火山ワークショップ」も開催され,住民・行政・科学者・マスメディアの連携による有珠山の次期噴火対策を論ずる国際会議になりました。勝井義雄先生が実行委員長でした。また昭和新山の観測で活躍され,北大に地球物理学科を設立された元理学部長の福富孝治名誉教授ご夫妻が名誉委員として臨席いただき,やはり昭和新山の岩石学的研究を行った八木健三名誉教授には全国火山子ども交流会などでご協力いただきました。また,当局のご理解もいただき有珠山のテレメータ網更新も噴火2年前になされ,噴火に間に合いました。整備された空振観測網が2年後にこれほど役立つとは思いませんでした。
 北海道では1970年以来,北海道大学の石川俊夫・横山泉・勝井義雄先生の御努力により,北海道防災会議火山専門委員会が噴火災害予測や危機管理に取り組んできました。2000年有珠山噴火を迎えるまでの30年間にわたって先人達が築き上げてきた地道な科学研究の努力の結晶が,今回社会的な評価を受けたものと確信しております。またつらいことの多かった長年の観測研究や野外調査で献身的な活動を続けてきた前川徳光・鈴木敦生技官や,森済,大島弘光両先生をはじめとする同僚や共同研究者による集積的な研究成果の結晶でもあると思います。
 明治の有珠山噴火では,噴火予知科学の誕生と展望を示した大森房吉博士が,火山観測所の設立を提言しました。昭和新山の噴火では,北海道大学の福富孝治先生が,有珠山に観測所を設立して,(1)噴火の予測,(2)噴火被害の軽減,(3)学術的見地,および(4)文化国民としての自然風土の理解,を目的に徹底的な研究を切望すると述べています。
 2000年噴火を迎えて,私たちがどうしてもお願いしたいことがありました。危険域に位置していた有珠火山観測所を安全域に移転させ,次の世代の研究者を現場で育て上げる道筋を作ることでした。幸い文部省や北大当局のご尽力,また広いご理解をいただき,この4月からは安全域の壮瞥町立香に新設された有珠火山観測所が新しい陣容で研究をスタートしました。基礎研究も災害軽減への努力も,突き詰めると人間の問題になります。北海道大学が今後も現場を重視する研究手法を更に発展させ次代の人材の育成に取り組むため,皆様方のこれからの叱咤激励とご協力を心からお願いいたします。また,今後も学内外の多くの皆様方と共同研究を推進するとともに,総合大学として社会で果たす役割りを基礎から支える地道な基礎研究の更なる発展を強く願います。
 
略 歴 等
生 年 月 日昭和18年12月27日
出  身  地長野県
昭和41年3月北海道大学理学部地球物理学科卒業
昭和43年3月北海道大学大学院理学研究科地球物理学専攻修士課程修了
昭和43年4月北海道大学理学部助手
昭和52年3月理学博士(北海道大学)
昭和54年10月北海道大学理学部講師
昭和56年7月北海道大学理学部助教授
昭和62年4月北海道大学理学部附属有珠火山観測所長
平成10年4月
平成10年4月北海道大学大学院理学研究科助教授
平成10年8月北海道大学大学院理学研究科教授
平成12年11月第54回北海道新聞文化賞(特別賞)
 
功 績 等
 同氏は,北海道の5つの主要な活火山(有珠山,北海道駒ケ岳,樽前山,十勝岳,雌阿寒岳)において,20年に渡り火山活動の地球物理学的な観測体制の整備を行ってきた。これらの観測で得られた観測データを基に,各火山の噴火活動の特徴を明らかにすると共に,各火山及びそれらに共通した噴火予知に関する基礎的研究を展開してきた。この間,1977−82年の有珠山,1988-89年の十勝岳,1996年の駒ケ岳の噴火活動の観測では多くの研究成果を得,国内の他の火山の噴火に関する観測にも噴火予知連絡会の組織を通じて協力し,その結果は道内の火山の研究にも役立っており,これらを含めて火山災害を減らすために内外の火山活動の事例研究を多く行ってきた。火焔流により多数の犠牲者を出した1993年のフィリピンのマヨン火山の海外調査では代表者を努め,1995年には火山研究に関する国際ワークショップを壮瞥,虻田,伊達で主催し,内外の火山研究者との研究交流を深めた。
 同氏は,噴火予知の実用化,すなわち火山活動情報の活用についても精力的に取り組んできた。火山地元住民への啓蒙活動には研究・教育に割く時間を減じて力を注ぎ,火山地元住民−行政との密接な信頼関係を築いてきた。前述の国際ワークショップは地元住民・行政を巻き込んで開催され,啓蒙活動としても大きな役割を果たした。行政への報告書,一般向けの著作も多くある。これらの活動のなかでも有珠山は,勤務先の火山観測所が置かれた場所であり,研究成果,住民との接触も一番多いところである。
 有珠山噴火の予知と噴火後のよく知られたマスコミ,テレビ関係での活動は,上に述べた長年の活動の前提の基盤上に行われたことが大変重要である。平成12年3月31日及びそれ以降の有珠山噴火に際しての,噴火予知連絡会に設置された有珠山部会長としての活動は,同封の新聞,雑誌のコピーが示すようによく知られている。
 有珠山噴火について,噴火直前以後の観測データの取得には,駆けつけてくれた噴火予知連絡会に属する多くの国内の研究者,北海道大学内の多くの研究者の協力を得ており,噴火予知の指摘に対して,日頃築いた行政・住民との信頼により速やかな対応がなされ,行政の指示により一人の被害者を出すことなく,有珠山周辺の住民の避難が行われた。
 また,噴火後も更に整備が加えられた観測体制からの多くの観測データに基づき,継続した行政との密接な連携体制が続けられ,さらに,テレビ等を通じて一般への噴火現象の短期的な将来予測に関する説明を,継続的に行った。これらの説明は観測への対応が忙しいなかで行われたにもかかわらず,各方面の評価を得た簡潔明瞭なものである。これらの成果として,行政のきめ細かな住民避難体制の解除をもたらした。
 以上述べたことから,功績としては大きく次の2点にまとめられる。 火山噴火予知とその後の短期的な将来予測により,有珠山周辺の住民の安全と生活の維持に貢献したという社会的・経済的な功績。 今後の火山学を基礎研究のレベルから防災に役立つ応用研究のレベルヘと発展させる道を開いたという学問的・文化的功績。
 
(理学研究科・理学部)
 


吉 田   宏 氏 吉 田   宏 氏

 この度,図らずも北海道科学技術賞を受賞することになり,大変光栄なことと心から感謝しています。ご推薦あるいはご審査いただいた方々に厚くお礼を申し上げます。
 振り返ってみると,受賞対象の研究は,京都大学で岡村誠三先生ご指導のもとに行った博士論文研究に始まります。戦後の占領政策で原子力研究が禁止されている間に欧米で原子力技術の基盤として発展した放射線化学に,高分子化学が専門であった先生が注目され,放射線による高分子重合や高分子の放射線照射効果の研究を促進しようとされていました。放射線高分子化学の応用を目的とした研究所を産学共同で東京と大阪に建設されたのが私の大学院時代のことで,そこの最先端の施設を使って研究することができました。まだ萌芽段階の放射線化学の分野で研究を始めたことは幸いでした。年齢に関係なく,大学人・会社人の区別なく切磋琢磨する環境で,研究成果を国際的視野で評価することを学び,わが国の高分子放射線化学研究が国際競争の先頭に到達するのに立会うことができました。
 大きな転機は,大阪研究所の主任研究員であった故林晃一郎先生が北大工学部教授になられたとき,私を北大に連れてきていただいたことです。既に放射線高分子重合の分野で国際的に評価され,年間の半分も世界中を飛び回っておられた先生とともに,北海道に放射線化学研究のメッカを作ろうと意気込んでいましたが,先生は5年後に私を残して大阪大学へ移られました。
 林先生の後を継いだ私に,北海道大学は暖かく好意的でした。合成化学工学科の故相馬純吉教授や原子工学科の片山明石教授の研究グループとも競争的・協力的に研究を進めたおかげで,北海道大学工学部がわが国の放射線化学の一つの研究中心と認められるようになりました。1980年代には,放射線化学討論会で毎年発表される研究論文の4分の1を北大が占めるようになりました。
 北大を定年退官して研究の第一線から遠ざかった今,研究で受賞することに戸惑いを感じないではありません。しかし,大勢の方々との関わりの中で得られた研究成果が受賞対象になったことに思い至り,改めて有り難く思っています。また,この受賞対象の研究に直接貢献したかっての研究室スタッフ入江正浩,小笠原正明,野田正治,市川恒樹,小泉均,田地川浩人の各氏に感謝します。彼らは,それぞれに独創的で,自立的で,それでいて協力的でした。
 
略 歴 等
生 年 月 日昭和8年6月7日
出  生  地樺太
昭和31年3月京都大学工学部応用物理学科卒業
昭和33年3月京都大学大学院工学研究科修士課程修了
昭和38年3月同博士課程単位修得退学
昭和41年9月工学博士(京都大学)
昭和38年4月スウェーデン王立工科大学研究員
昭和40年4月京都大学原子炉実験所助手
昭和44年9月北海道大学工学部助教授
昭和48年6月北海道大学工学部教授
昭和59年4月日本化学会学術賞受賞
平成5年4月北海道大学評議員併任(平成7年5月まで)
平成7年4月エネルギー先端工学研究センター長併任(平成8年3月まで)
平成7年7月高等教育機能開発総合センター高等教育開発研究部長兼任(平成8年3月まで)
平成8年4月北海道大学附属図書館長併任
平成8年5月高分子学会功績賞受賞
平成9年4月旭川工業高等専門学校校長
平成9年4月北海道大学名誉教授
 
功 績 等
 先生のご専門は,高分子材料をはじめ有機化合物を電子線やガンマ線などの放射線で照射した際に引き起こされる放射線化学反応の研究です。このような研究は,一般には馴染みが無いように思われますが,放射線化学反応でもたらされた製品は身の回りにたくさんあります。例えば自動車を見ても,タイヤの製造にはゴムの放射線架橋技術の利用が不可欠であり,電気配線にはプラスチックの放射線架橋による電線絶縁被覆や熱収縮性チューブが使われていますし,シートのプラスチックフォームは我が国で開発された放射線応用技術で製造されています。先生は,8兆円の市場規模を持つと言われる放射線化学プロセスに対する学術的基盤の確立に多大な寄与をされました。先生の代表的なご業績を以下に要約します。
1.ESR法による高分子放射線化学研究
 ESR分光法を放射線化学研究に導入した先駆者の一人で,合成高分子の放射線照射による化学結合の切断の結果生じるフリーラジカルを直接観測するとともに,その物理的・化学的性質や,高分子の放射線分解機構などを明らかにした。さらには,この手法を高分子の放射線合成研究に応用し,ディストニックイオンを経る重合開始機構を提案するなど,放射線イオン重合機構を解明した。
2.反応活性種同定と構造緩和機構の解明
 放射線によって生じる基本的反応活性種である遊離電子や正負イオン,フリーラジカルを,ESRや電子スペクトルの解析によって同定するとともに,スペクトルの温度依存性を調べることによって,イオン種の溶媒和機構やフリーラジカル・隣接イオン間の相互作用など,活性種の化学反応性に影響を与える因子を明らかにした。
3.高分子における電子伝達機構の研究
 芳香族側鎖をもつビニルポリマーや珪素を主鎖骨格とするポリシランのラジカルイオンを放射線照射により生成し,その電子スペクトルやESRスペクトルの解析により,荷電担体の電子構造や電荷伝達の機構を明らかにした。
 これらのご業績に対し,昭和59年に日本化学会から学術賞が,平成8年に高分子学会から功績賞が贈られています。また,先生は,放射線化学の基礎と応用研究における後継者の育成にも努められ,北海道大学を放射線研究の重要な研究拠点とされました。
 先生はまた,日本放射線化学会会長など各種学協会の要職を歴任され,科学・技術の研究教育の発展に多大の貢献をされるとともに,専門分野での国際交流のみならず,北海道・ポーランド間の学術・文化・芸術の交流を目的とする北海道ポーランド文化協会の設立と発展に初代事務局長として約10年間奔走され,本道の民間国際交流促進に多大な寄与をされました。
 以上のように,学術の発展,ならびに産業界や地域社会への吉田先生のご貢献には顕著なものがあり,今回のご受賞に相応しいものであります。

(工学研究科・工学部)