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青木教授に北海道文化賞

 この度,本学大学院工学研究科教授青木由直氏が北海道文化賞を受賞されました。この賞は,北海道の芸術,科学,教育その他の文化の向上発展に尽力された業績をたたえ,授与されたものです。受賞に当たっての感想,功績等を紹介します。

 青  木 由 直(あおき よしなお) 氏
青 木 由 直(あおきよしなお) 氏


 今回の受賞は「サッポロバレー物語」の創作に与えられた賞であると思っています。物語は北大の研究室の片隅から始まって,登場人物の多くは北大の関係者で,現在も札幌を舞台に物語が展開しています。その登場人物の一人として,また語り部の一人として,この物語に関係してこられた幸運に感謝しています。
 四半世紀前,電波や音波のホログラフィの研究を行っていて,アンテナやマイクロフォンの走査で波動場を記録したり,そのデータから像を再生するのにコンピュータはなくてはならない道具でした。が,貧乏研究室のこと,研究のために自分だけのコンピュータを持つなんて夢のような話でした。その時にポケットマネーでも買えるコンピュータ(マイクロコンピュータ)が出現しました。まさに捕まえるべき天の時でした。
 この時に学生の山本強君(現工学研究科教授)がいたのが天の配剤で,彼の傑出した技術の才能はマイクロコンピュータ作りに遺憾なく発揮され,続く学生達に技術は伝えられました。技術からは遠く,文筆(論文書きも含まれますが)の人に近い私は「北海道マイクロコンピュータ研究会」を主宰することで,結果的には伯楽の役目を担ったことになります。当時学内外には,後に企業家や研究者の名馬と育っていく人材が多くいました。現在もいるのでしょうが,歳のせいで伯楽の目も曇ってきているのでは,と思っています。
 この頃学部移行したてで前記研究会に顔を出していた学生諸君のうち,服部裕之君(現ビー・ユー・ジー社長),村田利文君(現ソフトフロント社長),若生英雅君(現フィックス社長),木村真君(現メディアグラム社長)の4名の会社ごっこが「ビー・ユー・ジー社」創立につながり,その成功譚が続く企業家達を生んでいます。研究室にはほとんど顔を出さず単位不足で学部退学の中本伸一君(現ハドソン副社長),研究室の修士課程をどうにか修了して起業した岸本英一君(現シーワーク社長),さらに電気工学科の学生だった松井文也君(現アジェンダ社長)らのサッポロバレーの中核となっていく人材が周りにいて,「サッポロバレー物語」を語る材料には事欠きませんでした。
 現在は大学が率先してベンチャー企業を興すようにと,下手すると大学の経営自体がベンチャー的になりそうな風潮が一部にみられるのと比較すると,当時は学生がベンチャー企業を興すという発想すら稀で,又そのような事には大学内での反対はあってもそれを鼓舞するようなことはなかったマイコン技術勃興期を振り返ると,言葉通り隔世の感があります。
 しかし,当時の産学連携は学生と企業が直に結びついてやっていたところがあって,企業の方でもマイコンに関しては技術力のあった大学(生)を活用していました。ハドソンは中本君を取り込んで企業を大きくしていったし,南幌町の会社社長向井隆氏は,研究室の修士生だった若生君のマイコン技術を自社製品に生かして,IEEEの広報誌Spectrumにその製品の一面広告を出したこともあります。今は存在しない「ソード札幌」の専務で,後に「テクノバ」を興した故三浦幸一氏も,ビー・ユー・ジーがアルバイト受注組合みたいな存在だった頃から支援していて,大学生の起業に貢献しています。2000年の春先,サッポロバレーの起業指南役の夢を実現しようとしている矢先にお亡くなりになられ,その遺言で,高橋昭憲氏(データクラフト社長)らサッポロバレーの有志の働きで「三浦・青木賞」が設立され,若手の学生や社会人の起業化アイディアの実現を支援する活動が続いています。
 海外へのマイコン技術移転も楽しみながら行った経験があります。中国科学院の北京声学研究所や武漢物理所,ジャカルタのインドネシア大学での手作りコンピュータ講習会でもサッポロバレーの技術者にも手伝ってもらい行いました。中国関係では,特に札幌の姉妹都市瀋陽にある瀋陽工業大学(当時瀋陽機電学院)との交流をよくやった時期があって,研究室のスタッフだった前述の山本君や恩田邦夫君(現北海道職業能力開発大学校助教授),川嶋稔夫君(現はこだて未来大学教授)にも講義で行っていただきました。この大学には日立製作所にお願いして,当時「華立」の名前で同社が製造していたパソコン40台を「瀋陽工業大学計算機学院」の教育・研究のために,札幌市を介して寄贈してもらったこともありました。
 最初は日中共同事業の目的で始めたこの学院は今はどうなっているでしょうか。この新しく出来ようとしている学院の教官になってもらう目的で,瀋陽工業大学から私の研究室に呼んで博士号を取得させた学生も5名程いますが,誰一人として元の大学には戻らず,日本に留まったままです。中国人に関しては伯楽としての目は節穴であったようです。しかし,武漢物理所から音響ホログラフィの研究が目的で留学してこられた馮功啓先生は物理所に戻って,同研究所の経営する会社の経営者になったり,課程博士で博士号を取って帰国し,黒竜江大学の信号処理研究所所長と同研究所が経営する日中合弁企業の社長を兼務した洪海教授などもいますから,サッポロバレーの雰囲気が中国にも伝わったかと思っています。海外からの研究者では明知大学の金商雲教授とは長年共同研究を続けており,韓国の学会での連名発表で受賞した事もあります。
 サッポロバレーの未来の物語として展開しそうな一つのプロジェクトが進行しています。名づけて「e−シルクロード」です。きっかけは研究室の卒業生の石塚滋樹君(現NTT東新事業企画室長)が持ってきて,韓国の企業グループとサッポロバレーの橋渡しの仲介役を務める過程でこのネーミングとなった経緯があります。アジアを貫くITの交易路開拓との大風呂敷を広げた,サッポロバレーの未来の海外戦略との位置付けでのプロジェクトです。札幌市経済局の協力があったり,設立時に私も関係した札幌市エレクトロニクスセンターの15周年行事にも組み込まれて,第1回目のコンベンションがこの9月に成功裏に終了しました。2回目は来年中国シェンチェン市での開催が予定されています。5年後,10年後このプロジェクトが曲がりなりにでも続いていて,その物語の一端を語り継げればよいなと思っています。

略 歴 等
生 年 月 日昭和16年9月2日
出  生  地長野県
昭和39年3月北海道大学工学部電子工学科卒業
昭和41年3月北海道大学大学院工学研究科電子工学専攻修士課程修了
昭和41年4月北海道大学工学部講師
昭和42年4月北海道大学工学部助教授
昭和47年12月工学博士(北海道大学)
昭和54年4月北海道大学工学部教授
昭和58年8月中国瀋陽機電学院(現瀋陽工業大学)客員教授
平成2年9月遼寧省人民政府栄誉賞
平成9年4月北海道大学大学院工学研究科教授
平成12年11月第54回北海道新聞文化賞(学術部門)
功 績 等
 先生のご研究は,電波や音波のような人間の眼には見えない不可視波動で物体等の映像を得る長波長ホログラフィから始まっており,世界的にみてもこの分野の先駆的研究となっています。不可視波動を扱う研究ではコンピュータ処理が不可欠な事もあり,先生がカナダ・ケベック州 Laval大学での2年間の留学生活から北大に戻られ,丁度1970年代の中頃から始まった,マイクロコンピュータの黎明期に,国内でもこの技術の先駆的な応用研究を開始されました。そこで開発された手作りのマイコンシステムは,研究ばかりでなく,大学内外での教育用システムとしても利用された経緯があります。
 1970年代に青木教授のもとで学生であった門下生らが卒業後札幌で起業し,札幌の情報産業の中核を担うまでになっています。先生とその周りの学生達が源流となった,この四半世紀の札幌情報産業史を記録する本が2000年3月「サッポロバレーの誕生−情報ベンチャーの20年」(イエローページ)として発行されています。同書にも記述されている通り,札幌を日本の代表的情報産業集積地に発展させていった過程での先生の貢献は大きなものがあります。札幌市が情報産業育成の起爆剤とした札幌テクノパークの企画立案段階から関与され,同パークの中核的組織の(財)札幌市エレクトロニクスセンターの運営委員会委員長を長らく務めてこられた経緯もあります。現在も企業の幹部の勉強会である「青木塾」を主宰し,大学と企業を結ぶ人的・技術的交流で活発な活動を続けておられます。
 ご専門のコンピュータグラフィックスに関連して,北海道コンピュータグラフィックス協会を立ち上げ,同会長も務められた経緯があります。1987年より毎年コンピュータグラフィックス札幌シンポジウムや展示イベントの開催に関わり,北海道におけるこの技術分野の技術力向上に大きく寄与されています。
 学会活動では電子情報通信学会の評議員,北海道支部長を歴任され,現在は同学会のフェローとなっておられます。その他,情報処理学会北海道支部長,科学技術庁の科学技術会議専門委員,画像情報教育振興協会評議員,画像電子学会評議員等々を歴任されておられます。
 先生は国際交流活動にも積極的に取り組まれ,瀋陽市における計算機学院の設立,中国の大学生を対象にした青木奨学金創立,瀋陽工業大学の大志文庫の設立,日中札幌−瀋陽計算機応用技術国際学術会議等の組織運営を通しての研究者交流と幅広い活動を続けられてきており,この功績で1988年の国慶節に北京の人民大会堂での記念式典に外国人教育専家として招待されています。また客員教授に招かれていた瀋陽工業大学の所在地瀋陽市が遼寧省の省都であることから,1990年には遼寧省人民政府栄誉賞を受賞されています。

(工学研究科・工学部)