総長 丹 保 憲 仁
明けましておめでとうございます。
今年も元気で,心を合わせて,新しい時代のために学問を進めていきたいと思います。
今年もまた研究に携わる全学の皆様に,未来のために人類の「知の体系」に一つでも良いから新しい知識をつけ加え続けていただきたいものと思います。創造的な研究による人間「知」の拡大という,大学院重点化研究大学の基本的な仕事を,今年も一人ひとりの研究者の心を研ぎ澄ませて進めていただきたいと思います。
また,人類社会の未来を託す若者が,確かな判断と行動ができるように,人類の「知的財産」(学問の成果)をしっかりと学び,健康な心と体を育てるように誘導するという大学の今一つの基本的な仕事を,力を合わせて果たしていきたいものと思います。学生諸君の自覚・自律と教職員の献身が共に求められていると思います。
昨年は日本にとっても世界にとっても大変な年でありました。人々の日々の生活を支える様々な事柄が大きく振れ回って,政治,行政,経済,教育,文化,道徳等々の社会生活の全ての面でかつては予想もし得なかった困難なことが次々と起こってきた年でありました。特に日本経済の破綻が大きく言われて,世の中は金融秩序の回復に始まる経済再建一辺倒の声に覆われている感があります。北海道経済の破綻は特に著しい状況にあります。このような時代,産学協働を通して大学が持っている力量を社会に提供する事が必要であるとともに,大学も社会の必要を直接的に知ることが大変に重要と思います。成熟社会に於いて社会との間に距離を置いては,大学はその機能を果たせなくなりつつあると思います。
特に,北海道は拓殖銀行の破綻によって大きなダメージを受けました。銀行の経営や体質にも問題があったと思いますが,その後の政府・国会の動きを見ていますと,中央(東京)の地方に対する認識の不足と辺境感がこの平成にもかなりの大きさで作用し,北海道には致命的に近い残念な事が必ずしも思慮深くなく起こったと思われてなりません。北海道大学は世界と競うことをその大きな任務とする日本の基幹総合大学であるとともに,札幌農学校に始まる北海道第一の大学でもあります。北海道を立て直すことに力を致せなくては,北海道大学の名が廃ります。持てる力を郷土の21世紀の展開のために尽くしたいものと思います。そうして,北海道発の新しい文明を世界に展開できるならば,一世紀を越えて北海道大学を育んでくれたこの島の人々に恩返しができるのではないでしょうか。
しかし,この事は大学が経済の変転に巻き込まれて右往左往することとは全く違うことです。200年に渉って成長し続けた近代産業社会が,成長の果てに地球環境の限界に突き当たって成長をとめ,その構造の根本的な転換を求められ,新しい持続可能な文明を求め始めたということが事柄の本質ではなかろうかと思います。その中で,人類の「知」の構成に大きな役割を果たしてきた大学が,片々たる言説で社会に対したりすれば一挙にその役割を失ってしまうでしょう。逆説的に,今こそ大学人は「知らないことを知る作業」に全力を挙げ,知らないことを謙虚に求めることで人類社会が成長してきた歴史をもう一度社会に思い起こしてもらうように努め,新しい「知」の体系化のための大変な努力と創造的研究が社会の成熟のために必要なことを知ってもらうようにしなければならないと思います。
そのためには,科学・技術の基本を常に疑いつつその確からしさを高めていく基礎科学と,人間知の限界をこだわることなく破ろうとする新しい学問の展開を,この大学の活動の核として育んでいかなければならないと思います。同時にまた,大学の今一つの大きな任務である教育の面では,先の不確かな時代にも自らの判断で進んでいける,確かな基礎を持った,優れた判断力のある学生を世に送るという事と,さらには近年求められ始めてきた社会・産業への大学人の直接貢献等も加えて,学問の成果を社会に還元していくことが必要と考えています。
Be ambitious! Be gentleman! Be lady!
1900年代の終わるこの平成11年(1999年),北海道大学は,クラーク先生とその弟子達によって札幌農学校として1876年にその歴史を始めてから,123年目を迎えることになります。「札幌農学校」Sapporo
Agricultural Collegeは日本で最初の学士号を与える国立大学でありました。クラーク先生の遺された言葉「Be
ambitious!」をモットーとしてこの大学は一世紀余に渉り9万2千人の学士,2万人の修士と1万5千人の博士を世に送り,多くの創造的な研究成果を世に顕わし,近代日本の発展に大きな力を致してきました。20世紀が終わろうとしているこの時代,新しい持続可能な文明を求めて世界は苦悶しています。北海道大学はいま,来るべき21世紀の最大の課題である持続可能な新しい文明の創造に大きな力を致したいと,新しいAmbitiousに燃えています。
Ambitiousな心と働きをもって新たな問題に対処し解決していくことがこの大学の長い伝統であります。クラーク先生が北海道を去るに当たって,島松の駅逓でのこされた「Boys,
Be ambitious!」は「青年よ大志を抱け!」という言葉で言い継がれています。大志は単なる野望や大望ではありません。クラーク先生が札幌農学校を開くときに,学則は「Be
gentleman」だけでよろしいと言われた事と対になって,大志の意味が,「人間としてあらねばならぬ大きな志」とか「神様の前で恥ずかしくない志」とでも解すべき志であることがわかるように思います。
新しい差別のない時代を作りたい,学問を身につけて世の人のためになりたい,経済を立て直すために新しい技術を世に出したい,病める人々の助けになりたい,美しい森を作りたいなど,様々な志をもって我々は世にあると思います。様々な望みや野心が志であるためには,自身が同時に「まともな人間でありたい」という心を常に持っていることがどうしても必要であり,英語で言う「Gentleman,
Lady」がクラーク先生が考えていられた「まともな人間」の表現であったのではないかと思います。神の前での「まともな」という事が加わっていたのではないでしょうか。ただの金儲けが社会を富ませる志にまでなるために,携わる人々が常に持つべき心であろうと思います。近年の少なからぬ銀行,企業や官庁の幹部等の醜行は「大志」を失っていたためとしか思えません。産学協働やベンチャー・ビジネス等を進める際に忘れてはならない心であろうと思います。
自分を生かして将来生きたい,自分の好きなことをしたい,という動機を持ってこの大学に学んでいる人も少なくないと思います。「人間でありたい」という動機に少しは近いようにも思いますが,それだけではなく,もう一つ「志を持つ」ということを人生や修学の目標に加えることはできないものでしょうか。年の始めに考えてみていただけると幸いです。
北海道大学が,次の世紀の新しい文明の創成に寄与し得るように改革を進めようとするいま,はるか地平を見通して「できるだけ広い視野と長い時間の上で考え」,実行にあっては「足下をしっかりと踏みしめて具体の一歩を踏み出す」ということを心掛けなければならないと思っています。この混乱を極める文明の転換期に,自律的に大学を改革していこうとすれば,大学の様々な組織や個人が要求ではなく具体の提案の形でより大きな場に反映できるような議論を発していただけると有り難いと思います。「大志」と「人間でありたい心」の二つが我々を導いてくれるのではないかと思います。
大学院の重点化と学部教育一貫化の継続的努力
新しいこの1999年は,具体的には前の1997年に始まる世紀を越えての北海道大学の5年計画(創基120周年から2001年の125周年へ)を着々と進めていく中心の年になると思います。
第一の課題である,大学院重点化による研究先導型大学院大学への転換は,理系の学部にあっては平成11年度までに多くの学部の大学院研究科への重点化が進み,医学部があと一年度を完成までに残し,歯学部と水産学部が新たに重点化への展開を準備しているところです。文系の学部は未だ重点化に着手しておらず,平成12年度の概算要求からは少なくても一つ以上の学部の大学院重点化を進めていきたいと思っております。文系学部の重点化の進行によって,創造的な研究を駆動力として人類の「知の体系」に新たな「知」を加えることを大きな任務とする研究主導型総合大学の構造を早期に,できるならば2001から2002年頃までに造り上げていきたいものと思っています。
大学院の教育(スクーリング)をしっかりと体系付けてレベルの高い専門教育を行い,その上で世界に通用する独創的な研究を進める事が重点化された大学院の仕事であると思います。同じような土俵の上で競り合うよりは,人のしないこと,できないことをやり通す独創性が重要ではないでしょうか。このようなことを単なる競争とは言わないように思います。論文を何編書いた,サイテーションが幾つあるかなどはよく知られた評価の方法ではありますが,その数を増すことが研究目的ではあり得ません。その分野で競り合っている仲間が多いだけのことかもしれません。人類の「知の体系」に何を加えたかが本当の研究評価であろうと思います。たくさんの枝葉を生み出す学問も素晴らしいと思いますし,さらに新しい「知」を,丸く太いものとしてこの世に生み出す事ができたら学問はもっと素晴らしいものになると思います。
重点化によって大きく必要が増した研究室の増強について,大変に強くかつ緊急な要求が各研究科から出されています。その整備の進展の遅さが多くの人から指摘を受けることでありますが,現在北海道大学札幌団地にある総面積61万uの建物に対して,この4年間に完成したり,いま計画が進んでいる新設建物が7万u弱もあることと,幾つかの学部の大改修をも含めると,この経済状況下での精いっぱいの努力であったことを理解していただけるのではないかと思います。引き続き大きな努力を傾倒し続けなければならないことと思っています。 第二の課題である確かな学部一貫教育の確立については,たくさんの教職員の献身的で地道な努力によってその基礎を固め,過渡期を脱して本格的な活動に入りうる状況になってきたと思っています。 大学院教育の専門化「重点化」を進めることと対になって,学部教育は学問の「精選した基礎をしっかりと学び,自ら考える足場を固める」ことと「人間としての志を育てる」ことに重点があると思います。そのためには,学生が自得的に学び続けられるように「講義の数を厳選してできるだけ少なく」するとともに,「講義間の連携をよく取り」,TAを
活用して「十分な演習」を加えたカリキュラムとシラバスを設計する事が緊要と思います。学生が学ぼうとする道筋をはっきりと理解するように,講義のシステムを体系的・明示的に組む必要がありますが,本質的には教育は人と人の最も密な関係であります。研究者として,日々未知なものに取り組み続ける学問への情熱と「知らないということを知っている」本当の研究者である教師と学生が密に触れることがあって初めて,学部学生も自ら学ぶことを始めてくれるのではないかと思います。基礎講義の中でも,学部レベルの演習の際にも,このような人と人の学問への姿勢を介して関わりができなければならないと思います。研究型大学院大学の持つ学部教育への教員の関わりかたの大きな特長でありたいと思います。
そうして,早い午後のある時間になれば,学生がクラブ活動や自主的な活動に割く時間を与えてやりたいものと思います。そのためには,クラスにいる時間を少なくすることを考えねばならず,学生があらかじめ自宅で十分な準備をしてから講義や演習に参加するように講義や演習の運びを計画し,進度を絶えず明確に評価する教育体系を採る必要があると思います。そのためには,取得すべき核となる科目を精選された少数の基礎化された講義とするとともに,兄姉年次の大学院生をティーチング・アシスタントとして自学を助ける教育に起用する事を考える必要があります。大学院生は各自の学問への研究的関与(大学院)に加えて,得た知識の学部教育への即刻の還元を通じて自己の基礎を確実にし,続いてくる後輩の指導を通じて学識と人間関係の熟成を期待する事ができるようになるでしょう。大学院重点化した大学における将来の専門家育成の特徴となる重要過程かと思います。ファカルテー・デベロップメントの深化や,高等学校との連接を大切に考える入学者選抜方式の改革などとともに早急に具体的な検討をしたいものと思います。
第三には,この北の大地に発して一世紀以上に渉って育んできたフィールドサイエンスの伝統を21世紀に充実して展開することが,個性ある北海道大学の将来のために不可欠のことと考えています。大演習林,北太平洋に於けるおしょろ丸等の長い活躍の歴史,北方圏における先人の自然史・人間活動の研究蓄積等,この地球環境の時代に北海道大学が大きな役割を果たすべき横断的な分野です。大学博物館の設立が始まり,学部横断的なこの分野の基礎をなす教育研究組織が発足することとなりました。引き続いて,農学部・理学部・水産学部・地球環境科学研究科等の協力によって森林圏・水圏等の全学横断的な教育研究組織の設立・充実の検討を進めたいと思います。
行財政改革と国立大学のエージェンシー化
行政改革基本法が成立し,2001年から10年間で国家公務員の10%を削減することが法律として定められました。在来のような一律な定員削減を行えば大学の機能は損なわれてしまうでしょう。21世紀に於ける大学の構造をどう考えるかを基本的に考える必要があります。その為に,国立大学協会では「大学カウンシル」を作って大学のあり様を自律的に設計する場を持ちたいと考えています。大学全体の作りの検討,大学間の横断的な構成の論議,事務組織の構成・運用など,100年続いた国立大学の在り方の議論が情報を明らかにして自律的に行われる必要があります。
国家公務員80万人を10%以上削減する方法として,また組織の自由度を増すこともできるとして,国の実施機関を行政法人として独立させ,所属する人々を公務員でなくすることが行革推進の目玉として進んでいます。郵政関係を始め多くの国の実施型の機関が行政法人となることが決まりつつあります。行政法人化を含めると20%の公務員削減を目指したいと小渕総理は国会で述べています。13万5千人を擁する国立大学は,公務員定員削減という見地だけで見れば見逃せない大きな数でしょう。大学にとって現在言われている行政法人は到底受け入れ難い構造であり,昨年一年は行政法人化を大学に及ぼさないための難しい努力の日々でした。漸くにして,平成15年(2003年)まで大学の自主的な改革を期待しつつ論議を先送りにするということが決まりました。大学審議会の答申が,内容や論議の手順等に様々な批判を浴びつつも,短時間で公にされた背景を,この流れの中で読みとることができそうです。
いま言われている行政法人(エージェンシー)の作りをごく簡単にいうと,主務官庁(大学の場合は文部省)が3〜5年を単位とし行政法人に目標を与え,その成果を期末に評価し,良ければ更に次の期へ,問題があれば修正を求めたり責任者を更迭したりして次の期に進むといったものです。大学の場合,法人格を持ち自由競争が可能になるなどして,現在と同じ予算が確保でき,会計法などの縛りが緩くなり,人事や学科の改廃が自律的にできるようになり,教職員の採用・処遇などを大学自身で行える,等の条件を得ることができて損ではないのではないかという人もいます。しかし,現段階では判らないことが多すぎて,高等教育の基幹組織である大きな国立大学に当てはめて議論することは不可能に近いことです。主務官庁(文部省)が各大学に3〜5年の目標を与えるということも,その成果を3〜5年の短期で評価することも非現実的に過ぎますし,アカデミックフリーダムの点からも問題が大きすぎます。これからいろいろの議論が起こってくると思いますが,情報を公開し,みんなで議論を進めて,21世紀の大学としてあり得る形を自律的に求めていかなければならないと思います。平成15年
の2〜3年前までに環境条件を見極めつつ自律的な議論を進めていく必要があると思っています。難しい状況を迎えた1999年の春です。
今年も引き続き宜しくお願いいたします。
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