特集 北大のキャンパスから水と緑のまち札幌へ
北大キャンパスの形成とサクシュコトニ川

工学研究科 助手

池上 重康
Ikegami Shigeyasu

       はじめに
 一昨年の2001年末に刊行された『写真集北大125年』を編集した際、かつてキャンパスを彩った建築達は、一体、現在のキャンパスのどこに位置するのかということが編集会議で話題になった。そこで、現在のキャンパス配置図にかつての諸施設や道路を重ねながら、北大の125年(厳密には時計台のある北1条から現キャンパスに移転してからは100年だが)を振り返るという編集方針を採ることになった。幸い戦後に関しては事務局に各年の施設配置図があり、さらにそれを補完する空中写真も附属図書館の倉庫や農場などから入手することができた。戦前については、『札幌農学校一覧』、『東北帝国大学農科大学一覧』、『北海道帝国大学一覧』に添付されている配置図を基礎資料として、事務局保管の『北海道大学所属国有財産沿革』(全12冊および附録2冊)所載の各種配置図や平面図により詳細をつめていった。
 当初は、キャンパスを南北に貫くメインストリートの形成過程を解き明かすことを目論んでいたが、意外にも作業を通じて、サクシュコトニ川が現在のキャンパス形成に少なからぬ影響を与えていることが見えてきた。前述の史料を何点か紹介しつつ、サクシュコトニ川の変化の様子とキャンパス形成との関わりを見ていきたい。

       キャンパス形成黎明期のサクシュコトニ川
 北大の所属地として、最初に正確な形でサクシュコトニ川が示されるのは、1887年の札幌育種場引継図(図1)であろう。蛇行しながら敷地の外周を囲むように流れる川筋をみることができる。かつての競馬場跡地に新校舎が建設され、育種場から引き継いだ施設は大幅な改築を受け第一農場施設となり、一帯の敷地は第一農場となった。マクロに見れば、サクシュコトニ川の中州にキャンパスが形成されたと看做せないこともない。この時代、サクシュコトニ川を挟んだ東に隣接して第二農場施設があった。つまり、キャンパスの構成(分割)要素はサクシュコトニ川だったのである。「札幌農学校所属第一、第二農場略図」と題された1901年の配置図(図2)をみると、第一農場と第二農場が川を軸に対峙しているが様子がよくわかる。

図1 札幌育種場引継図 第一号
(1887年、『北海道大学所属国有財産沿革 附録』)

図2 札幌農学校第一、第二農場略図
(1901年、『札幌農学校一覧』)

       キャンパス構成軸の転換
 第一農場施設は1904年から現中央食堂付近へ移転する。これに伴い、蛇行していた川筋がかなりの範囲で直線状に改修される。第二農場が現在地へ移転した直後の1910年の配置図(図3)では、このほかに、メインストリートの萌芽、中央ローンの氷滑池(スケートリンク)、サクシュコトニ川がメインストリート前で二股に分かれ現工学部敷地を斜めに流れている様子も見て取れる。この配置図ではキャンパス北半分がデフォルメされているため、正確にはその様子を把握できないが、1919年の配置図(図4)からは川の流れ全般を読み取ることができる。この図から更に、単独の帝国大学への昇格、すなわち学部の増設がキャンパスの北への進展を促し、医学部校舎および病院の建設により北13条通りが形成され、同時にメインストリートがさらに北へ延びたことがわかる。が、メインストリートがキャンパスの構成軸となることを決定づけたのは工学部校舎の新築である。工学部竣工後の1922年の配置図に初めて「中央道路」の文字を確認できる。キャンパスを縦断する道路はここに完成した。とはいえ、メインストリートはサクシュコトニ川を跨ぐところで括れていた。橋がかかっていたのである。かつての基軸であったサクシュコトニ川と新基軸であるメインストリートの拮抗点がこの橋であった。

図3 東北帝国大学農科大学平面図
(1910年、『東北帝国大学農科大学一覧』)

図4 北海道帝国大学平面図
(1919年、附属図書館北方資料室に展示)

       「地霊」としてのサクシュコトニ川
 工学部とサクシュコトニ川の間には何か因縁めいたものがある。1960年代に工学部が新校舎の建設に取り掛かる頃、この括れはなくなり、川は暗渠とされた。2度の工学部建設工事により、サクシュコトニ川はキャンパス内での主軸の座を追われ、従の存在を余儀なくされたかに見えた。しかし、諸般の事情により工学部の3度目の改築工事が途中で頓挫した折、皮肉なことにサクシュコトニ川の再生が話題となった。昨年より、暗渠となっていた流域が掘り起こされ、散策道が整備されている。
 「地霊」という言葉がある。「土地に対する守護の霊」という意味だ。
 北大キャンパスにとってサクシュコトニ川は「地霊」のひとつなのであろう。ほとんどの皆さんは気付いていないと思うが、メインストリートは真っ直ぐではない。クラーク像前のロータリーから眺めると、サクシュコトニ川と交わるところでわずかに西に曲がり、北13条通りの交差点で今度は少し東に曲がる。北18条まで見通すことはできない。「地霊」は、機能的・合理的と思えるものにさえ、歪みを与える。工学部とメインストリートとサクシュコトニ川の関係を読み解きながら、このことを実感した。


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