【卒業生インタビュー「同窓異曲」】

登山家・登山ガイド
野村 良太
NOMURA Ryota
| 水産学部卒業 |



まだ、誰も見たことのない景色をめざして

2022年12月30日、NHKの特集番組「白銀の大縦走〜北海道分水嶺ルート670キロ」の主人公が人々の心をとらえた。2022年2月に宗谷岬から襟裳岬への分水嶺を63日間で連続踏破する前人未踏の挑戦を成し遂げた野村良太さん。自然を相手に人間の可能性に挑んだ創造的な勇気ある行動をした人などに与えられる「植村直己冒険賞」を史上初めて国内の登山で受賞した野村さんに北大生時代の思い出などについて語っていただいた。



「植村直己冒険賞」盾とメダル。

―どのような幼少期を過ごされていましたか。

 大阪のベッドタウンで育ったので、自然に囲まれているわけではありませんでした。小学生から高校生までは、普通の野球少年で、当時からしたら、今の自分なんて想像もつかないですね。


―北大の水産学部を目指した理由も「自然に憧れて」ではないのですか。

 親元を離れたかったんです。離れるなら、できるだけ遠くに行こうと考えて、北大を志望しました。水産学部を選んだのは、机に向かう勉強よりフィールドワークの方が楽しそうだと思っただけなんですが、入学してみると、海に詳しく、海が好きな同期が多くてビックリしましたね。


―ワンダーフォーゲル部でのお話を聞かせてください。

 新しいことを始めようと思っていて、「ワンダーフォーゲル」という聞いたことのない単語が気になって、新歓に行ったら、先輩に誘われるまま入部していました。入部後は勉強もそっちのけで、山のことばかりでしたね。
忘れられない記憶として残っているのは、2年生の春の山行で、4年生の先輩が低体温症になったことですね。その時はなんとか全員で下山できて事なきを得ましたが、その後の登り方を考えさせられました。
 山の中では、どこまでなら安全かを自分で線引きしなければなりません。本当に危ないところより手前に線を引くんですが、手前すぎてもやりたいことができなくなります。その線を見極める技術が「登山のうまさ」かもしれません。


―2年間休学してワンダーフォーゲル部に残られたと伺いました。

 2年生の夏に山中で山岳ガイドの先輩に偶然出会って、その先輩のツアーを夢中で手伝うようになりました。その時に「将来は山岳ガイドになりたい」という目標が決まって、そのために何をすべきかを考え、自分で山に登る経験と技術を身につけるため、休学を決意しました。


―水産学部を卒業後、分水嶺縦断を計画したいきさつを教えてください。

 就職せずにいきなりガイドというのは珍しくて、それで仕事がある人はほとんどいないと思います。それに卒業と同時期に始まった新型コロナウイルスの流行で、気づいたら何の予定もなかったですね。そんなコロナ禍の期間に読んだ、工藤英一さんの『北の分水嶺を歩く』、志水哲也さんの『果てしなき山稜』の2冊の本が、僕の分水嶺縦断の計画の元になっています。工藤さんの本には、ひとつなぎで単独で歩ききるのは至難の業で、“いつの日か誰かに、人並みはずれた艱難辛苦に耐える精神力と強靭な体力の持ち主に、挑戦して実現してもらいたい。(中略)これからの若き岳人に期待している”1)と書かれていて、この「若き岳人」が僕になるのかと思ったのがきっかけですね。これができたら何でもできるって思える壮大な計画を立てて、それを達成することで、山の世界でガイドとして生きていくための自信みたいなものがほしかったんです。

 1)工藤英一、『北の分水嶺を歩く』、山と渓谷社、1994、P214



上:日高山脈戸蔦別岳 (とったべつだけ)山頂にて。


―分水嶺縦断のお話を聞かせてください。

 2021年の一回目の挑戦は、全体のスケールが分からずに的外れな計画を立てたのが失敗の原因でした。計画の遅れに焦って、天候判断を誤ったせいでテントが壊れてしまって、このような判断ミスをするようではダメだと思って引き返しました。自分の私的な感情を込めずに客観的に判断できるようにならないと、安全な登山はできません。
そして、計画を立て直して、2022年の2月に再挑戦しました。山の中にいる間は目の前の1日を考えるのが精いっぱいです。朝4時、5時には日が昇るので、2時、3時に起きて歩き始めます。最初は歩きやすいですが、日が昇ると雪がベシャベシャになって歩きにくくなります。毎日「何やっているんだ。帰りたいな」と思いながら、目的地にたどり着いて、テントを張って、温かい飲み物を飲んでビスケットをかじると、ちょっと幸せな気持ちになります。そして、地図を確認し、晩御飯を食べて日没とともに寝る、という日々が続きました。天候が悪い日は一日中テントで過ごすこともありました。そうして気がつくと、1週間、1カ月が過ぎ、本当に2ヵ月もいたんだなぁっていう感じです。補給地点に置いておいた食料をネズミに食べられてしまったトラブルもありましたが、麓から仲間に食料を調達してもらって完走することができました。


―完走後、何か変化はありましたか?

 やれるかも、と思ってギリギリできたので、すごいことをした実感はないですね。でも、「植村直己冒険賞」を受賞して、初めての人から声をかけられたり、取材を受けたり、周囲の反応が変わったというのが正直なところです。周りに評価されたいとかそういうのは全くなくて、自分は好き勝手やって、やりたいことだけを追求してきた人間なんですよね。
次回の計画は、まだ夢物語しかなくて、話すような段階ではないのでちょっと秘密です(笑)。縦断2回目は…さすがにないかな。


―最後に、北大生にメッセージをお願いします。

 自分はやりたいようにやってきました。まずは、自分が本当にやりたいことを見つけてほしいと思います。僕は就職や安定した道を捨てて、登山の道に進みましたが、そういう道も意外とあります。最終的にその道を選ぶかどうかは別として、さまざまな選択肢があることを知って、たくさんの面白い後輩が育ってほしいと思います。

PROFILE

1994年大阪府出身。2020年に北海道大学水産学部を卒業し、登山ガイドの道へ。在学中、単一積雪期の知床連山・日高山脈単独無補給全山縦走を達成し、2019年度「北大えるむ賞」受賞。2022年に前人未踏の北海道分水嶺積雪期単独縦断(宗谷岬〜襟裳岬670km)を63日間で達成し、「2022植村直己冒険賞」受賞。



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