文系部局

○ 歴史文化論演習 文学研究科・助教授・村田 勝幸

はじめに

「演習」「セミナー」「ゼミナール」。名前は変われども、一般的にそれとワンセットで想起されるのは卒業論文指導でしょう。けれども、演習科目と卒業論文指導を制度上切り離している北大文学部においては、各教員が提供する演習は、各学生が卒業要件として履修する多くの演習科目の一部に過ぎないと想定されています。(もちろん、履修コースや学問上の方法論等の違いによって、実質的な指導に関して必ずしも両者が切れてはいない場合もありえますが。)

このような前置きをしたのは、私が提供する「歴史文化論演習」が、興味関心や学年や方法論を異にするさまざまな学生に開かれていることを説明したいがためです。「選択必修」科目としてカウントできる履修コースは五つに上りますし、「その他」の科目として履修する学生も少なくありません。

1 授業の目的・内容

以上を踏まえ、私は次の二つを中心的な課題としています。第一は、(私の専門分野である)「アメリカ史」「アメリカ研究」「歴史学」を深く学修したいと考えている学生のニーズに応えること、第二は、それ以外の学生に対し、視野を広げ思考の柔軟性を増すような授業を提供すること、です。そのため、これまで扱ってきた素材/テキストは、アメリカ(史)に関するものを中心としつつも、必ずしもそれに限定されず、日本を含めたアメリカ以外の地域に関するもの、ジェンダーやセクシュアリティについて扱ったもの、植民地主義やポストコロニアリズムに関するものまで、さまざまでした。また、学生のニーズにアンテナを張ることはもちろんですが、私自身にとっても「学びの契機」になるよう、できるだけ自分の狭義の専門領域からは距離をとるようにしてきました。ちなみに、このアンケートの対象となっている平成17年度後期は、オーストラリアのアボリジニーに関する「歴史研究」書がテキストでした。

ただ、このように素材は多様であっても、一貫して心掛けてきたのは、議論をする力と論文/レポートの執筆力を伸ばすことです。この二つの力は、専門分野や方法論は違っても生きてくるものですし、「広く浅い学修」に陥らないためには必要不可欠なものと言えるでしょう。

2 授業実行上の取組・工夫

演習である以上、議論をする力を養うことが「授業の目的」の中心に置かれたとしても不思議ではないでしょう。ただ、近年では、メーリングリストやネットの掲示板等で空間と共有せずに「議論」することも可能ですから、「演習では議論が一番大事!」と連呼するだけでは説得力はありません。実際に顔をつきあわせて議論をすることがいかなる意味において重要なのか、この点を実感してもらうことが何より重要です。議論を重ねることで、もともと自分がいたのとは違う地点へと誘われる感覚、あるいは「論敵」との意見の対立が克服され、議論全体が止揚されていく感覚、そういった醍醐味をできるだけ多くの学生に味わってもらうことを目標/指針としてきました。ゼミの初回には必ず、この演習では受動的な参加は歓迎されないこと、テキストのレベルは個人個人で読むには少ししんどいレベルに設定されていること、そして評価に関し、議論への積極的な参加を最重要視するという基準を強調しています。(結果的に、履修しないとの決断をする学生も少なからずいます。)

本演習の二番目の柱は論文/レポート指導です。これまでいろいろな場で学生が書いた論文の評価に関わってきましたが、充分な指導が行われていないとの印象を強く持っていました。初歩的なスキルがない、伸ばされるべき部分が伸ばされず矯正されるべき部分が矯正されていない、学生の側からすれば、どこが良くてどこが悪いのかがわからない、というのが実情かもしれません。そこで本演習では、学期の初めにファイナルペーパーの大テーマだけを与え、学期全体を通してレポート執筆計画を立てさせるという方法をこれまで一貫してとってきました。具体的には、最初は対象/問いだけを、その次はそれを論証するのに必要な参考文献のリストを、そして(これについてはあくまでボランタリーなものですが、)ファイナルペーパー提出の前にドラフトを、というように、複数回に分けてレポーティングするよう指示してきました。論文執筆力の向上という点で言えば、特にドラフトのチェックという過程が最も重要だと思います。多くの場合、演習のレポートは「出しっぱなし」になってしまいますから、書き上げたという達成感や(良い)成績への満足感にはつながったとしても、一過性でないスキルや思考力を身につける「学びの場」とはなりにくいというのが実情かもしれません。幸い、ワープロソフトのコメント機能などを使ったファイルでのやりとりも簡単ですので、学生がファイナルペーパーを提出する前に「読者」の目を取り込んでレポートを再構成することが可能となります。また、リライトの過程での学生自身による長所と短所の自覚は、その後の論文執筆にもおおいに役立っているようです。なお、本演習では事前のドラフト提出(とチェック)を強制しておらず、レポートの評価はあくまでファイナルによるとの基準を明示していますが、当該学期についても約三分の二の学生が事前のドラフト提出を行いました。

演習での議論と論文執筆、この二つは一見別次元のもののようですが、自分以外の者を論理的に説得するという点で通じる部分が少なくありません。読者や論敵を想定していない「独りよがりな論文」や問い不在の「お勉強発表会的な論文」を無意識に書いてきた学生が、演習での面と向かった議論を経験したことで、論文の説得度を格段に上げたという事例を、私はこれまで何度もみてきました。演習を通じてこの二つに回路を付けることが私の役割だと考えています。


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