「魚は痛みを感じるか」
Victoria Braithwaite著 ・ 高橋 洋訳

〜Book Reviewへの挑戦〜

文責:山崎

 2000年、デンマークのトラップホルト美術館は、チリのアーティスト、マルコ・エバリスティ(自分の体から摘出した脂肪を料理して友人にふるまうなど、奇矯な行動が多い)に出展を依頼した。そこで彼が出展した作品は、10組の電動ミキサーのなかでキンギョが泳いでいる、というものだった。
 来場者はミキサーのスイッチを入れるように勧められていた。このアーティストの説明によれば、来場者が良心と格闘するよう意図して作品を製作したとのことだった。その結果、何匹かのキンギョはジュースと化し、展示責任者は動物虐待の罪で訴えられた。
 
(本文156ページより抜粋)

 なんというショッキングな展示をするのだ。そしてスイッチを押した人は、魚が痛みを感じない下等生物だから、問題ないと思ったのだろうか。日本で展示されていたならば、あなたの目の前にスイッチがあったならば、金魚たちは果たしてジュースになっていたのだろうか。


(大島金魚)


 「魚は痛みを感じない」

 こう教えられたのはいつのことか。ただそれが当たり前のように、何の疑問もなく思っていた。私のように、こう思っていた人は少なくないのではないだろうか。
 そんな中で、大学図書館の新着図書に置いてあった本書に、思わず目がとまってしまった。

 臼尻では、全員が魚を対象に研究を行っている。サンプリングに釣りを用いることもある(今のメンバーでは私だけか…)。鳴き声を出す動物であれば、口や体の一部に針が刺さったならば、すぐさま悲鳴を上げるだろう。しかし、声を発することのない魚は、ただ船上を暴れるだけである。この時、魚は果たして痛みを感じているのだろうか…。
釣りでサンプリングした魚は大抵飼育用に使うため、すぐさま海水を張った巨大なバケツに移動させる。しかし、魚が痛みを感じていたら、口に針を引っ掛けて、力任せに針を引き抜くことに、とても罪悪感を覚える。


 そもそも、もし魚が痛みを感じていたとしても、その痛みはどのように定義されるべきなのだろうか。

ヒトの感じる痛みの例:
 @熱いやかんを触る(熱いと分かっていながら何故私は素手で触ってしまうのか…熱湯の入ったガラスのティーポットの蓋を…)
      ↓
 A熱いと感じ、思わず手を放す←受容体が刺激を受け、電気信号発生
      ↓
 B脊髄につながる神経を通じて伝達
      ↓
 C反射反応が発生 = 手の筋肉に信号伝達、やかんのふたを放すよう指令
      ↓
 D手に不快で焼けるようなずきずきする感覚を覚える = 「痛い」と感じる
      ↓
 Eしばらくは教訓として記憶する

 これらの痛みを感じる一連のプロセスのうち、無意識下で生じる部分A〜Cは“侵害受容”と呼ばれている。
 私たちが、自分の感じている痛みを表現するとき、脳によって引き起こされている感覚や情動を言葉にする。したがって、私たちが描写する痛み、共感する感情は全て意識のもとで生じるプロセスの一部だ。よって、ある動物が、この侵害受容を通して損傷を検知する能力を持っているからといって、単にその動物が痛みを感じていると結論できるわけではない。
 ここでカギになる問いは、

「その動物は、ヒトと同様、ダメージを受けた個所が痛むと意識的に経験しているか?」

である。いいかえると、「動物は痛いと気づいているのか?」という問いだ。
  
(本文58ページより引用)

 つまり、無意識のうちに感じている“侵害受容”は、ただの刺激であって“痛み”ではないのだ。
 針で魚をつつくと、もちろん魚は針を避けるように体勢を変えるだろうし、人間にそんな事をしたら痛いと喚くだろう。しかし、魚において、それがただの刺激に対する反応であるならば、痛みを感じているとは言えないのだ。

 筆者らは、魚が果たして“痛み”を感じているのかどうか、マスを対象として検証を行った。

 まず第一に行った実験方法は以下のとおりである。

 麻酔後、マスの口周りの皮下に、刺激物として、ハチの毒か薄めた酢を注射してから水槽に戻した。対照実験として、麻酔をかけた後注射をせずに水槽に戻す、あるいは塩水を注射してから水槽に戻した。
 マスの鰓の開閉回数を測定し、各グループで比較した(ヒトが痛みを経験した場合、呼吸数が増加することから)
 また、魚もストレスを感じると食欲が減り、飢餓レベルが低下することから、丸1日餌を与えず飢餓状態に置いた後、処理後に示す食欲についても観察を行った。

 結果は、対照群が休息時の1.5倍であったのに対し、ハチの毒、酢で処理した魚の開閉数は、2倍であった。
 また、酢を注射したマスは水槽に口先をこすりつける行動を見せていた。
 食欲については、対照群が80分後に餌にありついたのに対し、毒・酢で処理した魚は3時間半経過するまで、餌を食べなかった。

 これらのことから、マスは痛みを検知する侵害受容体を持っていることが明らかになった。
 しかし、これではまだマスが“痛み”を感じていると断言することは出来ない。というのも、呼吸速度、飢餓レベルなどの生理的状態の変化だけでは不十分であり、より高次の行動(例えば“注意”)が影響を受けていることを示さなければならないからである。

 筆者らは追加実験として、高次の認知プロセスである“注意”に着目した。マスは本来臆病な魚であるため、未知の物体を水槽に入れると安全であると確認するまでは近寄ることはない。しかし、酢の注射による侵害受容によって“注意力”が削がれていたならば、マスは“痛み”を感じていることになる。そこで、酢で処理したマスが、未知の物体(=レゴブロック)に対する回避行動がどう変化するかを調査した。

 結果は、塩水を注射したマスはレゴブロックに強い回避反応を示していたのに対し、酢を注射したマスは通常の回避反応を示すことはなかった。このことは、酢の注射によって、マスの注意力が損なわれていることを表している。
 さらに、鎮痛剤としてモルヒネを与えると、酢を注射したマスは未知の物体に対する回避行動を示した!

 これにより、魚が痛みを知覚し、経験している直接的な証拠が得られた。これは、私たちが“痛みを感じる”、ということと同じであり、魚も“痛み”を感じていたのだ。

 筆者らは、さらに「魚が痛みを感じることで、苦しんでいるのか」について考察を行っていた。
 苦しみを感じるには、感情と情動、すなわち意識が必要であるのだが、本書内で紹介されている金魚のメンタルマッピング(学習)、電撃に耐え仲間の近くにとどまるマス(主観的な情動)、ウツボとハタの協力関係(自己意識)の例を説明しつつ、魚に意識があることを述べている。

 以上の内容から、魚は痛みを感じ、それによって苦しんでいると結論付けられた。

 魚が感じている痛みが、私たちが感じている痛みと全く同じであるかどうかは分からないが、やはり魚も痛みは感じているのだ。


 釣りに関する問題も述べられている。魚が痛みを感じると明らかになったことで、動物保護団体が魚にも目を向け始め、趣味としての釣りや、スポーツフィッシングに対する反対キャンペーンを始め、それらを追放しようとしているようだ。この問題が今後どのように発展していくかはこれからの動きを待つしかないが、やはり魚の痛みを軽減する何らかの対処・工夫をする必要はあるのだろう(例えば、水の外に上げる時間を最小限にとどめる、素早く安楽死させる、返しのない針を使うなど)。


釣り愛好家で、私の釣りサンプリングの第一御供。海での釣りに関して鈴木氏の右に出る者はいない。
魚が痛みを感じて、苦しんでいると知ったら、何万と魚を釣ってきたであろう彼はどう感じるのか。


釣りは楽しい!それはみんなが感じ、思うことだろう。特に船で沖釣りなんて、楽しいに決まってる。けれど、魚への配慮も忘れてはならないのだろう。


 もっと詳しい内容を知りたい人、あるいは興味を持った人は本書を読んだり、原著論文を読んでもらいたいと思う。

「魚は痛みを感じるか Do Fish Feel Pain?」
Victoria Braithwaite著
高橋 洋訳
紀伊国屋書店 2012年2月14日発行




表紙に戻る