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第11回:石森 浩一郎 副学長

「試される大地」から「その先の、道へ。北海道」:新しい可能性を求めて

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 「『試される大地』の大学で頑張ります!」2005年春、理学研究科化学専攻(当時)への赴任を前に、当時の研究室関係者が開催してくれた送別会での言葉です。この「試される大地」は、もうあまり使われない北海道のキャッチフレーズで、何となく辛そうな雰囲気がするので、北海道民の方々には必ずしも好評ではなかったようですが、私にとっては北海道には新しい何かを試すことのできる時空間が広がっているイメージで、そのような地で研究できることが大変楽しみでした。とはいうものの、それまで北海道とは接点はなく、京都市南部で高校までを過ごし、京都大学工学部に入学し、そのまま大学院に進学、博士号取得後すぐに出身研究室の助手に採用され、その後も助教授として、結局生まれてから40年余り、助手のときに文部省在外研究員で1年間、アメリカのウィスコンシン大学マジソン校に滞在したとき以外、京都近辺が生活の基盤でした。

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 このような生い立ちから「京都人ですね」と言われるときもあるのですが、高校まで過ごしたのは「洛外」の伏見の最西端、15分も歩けば京都市から外れてしまう場所で、通った小学校は旧藩校で万延元年(1860年)創立だとか、近くのお寺が鳥羽・伏見の戦いのとき、新選組の野戦病院となっていたとか、それなりに歴史ある土地でしたが、「先の戦い」と言えば「応仁の乱」が出てくるのが京都ですので、育った土地からもとても「京都人」とは言えません。高校は高等女学校をルーツとする京都府立桃山高校で、当時は旧制中学からの自由な雰囲気が残り、多くの博識な先生方が在籍されていて、特に数学の先生からは、大学初年級レベルの微積分や、パソコンの原型のようなプログラム計算機でのプログラムの組み方など大学受験には役立ちそうにないものまで、いろいろ教えていただきました。大学進学の際も数学に興味があったので理学部を考えましたが、知り合いの大学の先生から「数学が好きなら化学に進め」、「京大工学部には化学に数学を使ってそのうちノーベル賞を取る先生がいる」と言われ、高校生にとって数学と化学は全く別の科目で、そのつながりは理解できなかったのですが、何か新しい可能性を感じて、京都大学工学部石油化学科に進学しました。

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 この「数学が好きなら化学に進め」という言葉は、現代的に言うと「異分野融合からの新分野の創出」にも通じると思いますが、京都大学工学部化学の「京都学派」の祖である喜多源逸博士が、日本における最初のノーベル化学賞を受賞した福井謙一博士が大学を選択されるときにかけられた言葉で、福井先生はその後、石油化学科に教授として在籍されていました。実際に大学2年の秋、福井先生がノーベル化学賞を受賞され、2年前の話が現実となって驚くことになります。福井先生はこの年で定年退官され、その講義や研究指導を受けることはありませんでしたが、この受賞が契機になって、工学研究科石油化学専攻から物理化学系の研究室が分離、拡充され、分子工学専攻が設置されることとなりました。数学が使えそうな物理化学系の研究に興味を感じ、また、何より新専攻に新たな可能性を感じたので、その基幹研究室の一つで、福井先生の一番弟子であった米澤貞次郎先生の研究室を希望しました。ただ、ここでもやはり新しい物好きのせいか、当時すでに数学の威力が発揮されていた量子化学系の研究よりは、これまで自分が勉強してきた数学や化学からも遠い蛋白質を研究していたグループを希望し、赤血球中に存在する酸素運搬蛋白質であるヘモグロビンに関する卒業研究を始めました。新専攻になり「分子工学」となったものの、工学部石油化学科の研究室で蛋白質の研究ができるとは夢にも思いませんでしたが、それ以降も博士課程在籍時には大阪大学医学部の研究学生として、当時ようやく確立されつつあった遺伝子工学を用いたアミノ酸変異蛋白質を用いた研究に携わり、結局は現在に至るまで蛋白質、特に金属イオンを含む蛋白質の分子構造に基づく機能発現に関する研究を続けることになります。また、この米澤研究室の先輩には2020年にノーベル化学賞を受賞された吉野彰博士がおられ、2010年の鈴木章先生、そして、昨年のベンジャミン・リスト先生と、ここまで福井先生に続いて4名のノーベル化学賞受賞者を身近に感じられる環境に身を置けたのはとても感慨深いものがあります。

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 北大着任後、数年は落ち着いて研究を進めることができましたが、2012年に化学部門長を務めてからは、2013年からは当時の川端和重研究担当理事のもとで役員補佐、その年の冬からはリーディングプログラムのコーディネーター(奇しくも「数学が好きなら化学に進め」とよく似たコンセプトの「化学における数理連携」が特徴の教育プログラムです)、2014年からは理学研究院副研究院長、2015年からは理学研究院長と、研究組織や教育プログラムの運営にかかわることになりました。研究が面白くて大学教員の道に入ったものとしては、組織運営を担当することには違和感があり、そのような職務が果たせるのか、まさに「試される大地」の心持ちでしたが、組織の運営を通して自分の研究だけではなく、他人の研究も進展し、より良い教育が実施できる環境を整えることも、大学教員として科学や社会の発展に貢献できることであり、そこには研究面とはまた別の新たな可能性を試せる場であるとも思うようになりました。と合わせて、数年前の卒業式で、学部長として「自らの力でこれからの将来を切り拓いてください」と挨拶をした後に、同窓会の理事長を務めておられた名誉教授の先生が、「自分の運命は他人が決めるものである」と述べられ、その時は「?」と思いましたが、その意味も実感できるようになりました。

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 研究院長職の任期満了後も、2020年2月からはエグゼクティブ・ディレクターとして化学反応創成研究拠点(WPI-ICReDD)の運営に関わることになり、2020年10月からはWPI担当の副学長を拝命しました。ICReDDでは、計算科学・情報科学・実験科学の融合によって新規研究分野を開拓するだけではなく、組織面でも既存の組織と異なった先進的な運営、研究支援体制を構築することも使命の一つであり、いろいろな面で新たな試みが実施できる場です。また、2021年10月からは次世代研究者挑戦的研究支援プログラム「Society 5.0を牽引するDX博士人材育成のための研究支援プロジェクト」の事業統括を担当することになり、ここでも次世代大学院教育構築に向けての新たな取り組みをすることになります。 新たな職務が与えられると、そのたびに「試される大地」の心持ちになりますが、この「試される大地」は、2016年に「その先の、道へ。北海道」に代わったそうで、これは「北海道には様々な可能性が広がっていること、そして、北海道が未来や世界に積極的に進んでいこうとする動きを感じさせる言葉」だそうです。やはり、辛そうな「他人が決めた運命」で「試される大地」というよりは、未来志向で「その先の、大学へ」を考えるほうが楽しそうです。いろいろな夢を描きながら新しい取り組みや可能性を試すことで、北大の研究、教育研究環境の向上に少しでも貢献できたらと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

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(2022年2月)

【撮影場所】
1,5枚目:ICReDDサロン
2枚目:理学部大会議室
3枚目:高分解能核磁気共鳴装置研究室
4枚目:理学部7号館内
6枚目:創成研究棟渡り廊下