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第6回:菅原 修孝 理事

今ふたたび思い出の母校にて

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 私は、1960年北海道芦別市に生まれました。小学校時代は、芦別市、長沼町、夕張市に住み、中学・高校も夕張の学校を卒業しました。塾、習い事に行ったことがなく、学校以外はすべてが自由な時間でした。緑濃い山谷、青く高い空、白く奥深い雪が、育った土地の風景の記憶です。出来事として覚えているのは、長沼町での学生デモ、紛争です。長沼町にミサイル基地を建設する計画に反対するデモ隊による学校のグラウンド占拠、シャッターが下りた商店街でのデモ隊同士やデモ隊と警察との衝突。それを間近に目の当たりにした不安と恐怖。この町はどうなってしまうのか。当時はその背景、意味は分かりませんでしたが、強い衝撃を受けました。

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 1979年に北海道大学、当時の文Ⅲ類に入学し、1983年に法学部を卒業しました。大学で法律を専攻したのは、先の長沼町での体験から日本国憲法、平和憲法を学びたいと思ったこと、日本の産業構造の転換に翻弄された夕張市に育ち、地方のことや地方自治制度について学んでみたいと思ったからです。入学後の六畳一間の共同アパート、初めての一人暮らしは快適な時間と空間でした。
 大学生活4年間を一言で振り返るなら、私は北海道大学のキャンパスで放牧され,育成の時間をいただいた、と言えます。当時の私の能力を超えるような指導・調教を課されることなく、緩やかな時間の経過の中での学び・育ちを許容してくれた、そんな大学でありました。先生達はそんなつもりはなかった、よりハードな勉学を求めていたのかもしれませんが、私にとっての北海道大学は雄大で寛容な存在、精神でした。

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 次は就職ですが、政府系金融機関に入りました。当時の政府系金融機関は、郵便貯金を原資として、それを中小企業や産業振興、地域開発等の国の施策に基づいて資金を融通する役割を担っていました。市場機能だけでは十分に資金供給がなされない分野への資金配分の役目です。その中で私は、国土の均衡ある発展に携わることに共感を覚え、地方の社会資本整備、産業振興等への資金供給を目的とする北海道東北開発公庫(現在の日本政策投資銀行)に入庫しました。その後30年ほど金融の仕事に従事し、国際化、情報化、産業転換が進む中、金融の役割も大きく変わりましたが、地方の社会経済の自立に携わりたいという気持ちは常に持ち続けることができたと思います。また、札幌、仙台、新潟、東京、甲府、大阪と転勤を重ね、加えて北海道庁、地方の民間金融機関、不動産投資会社への出向の機会もいただきました。
 環境が変わるたびに、土地を知る、人を知る、歴史を知る、流儀や価値観を知る作業を繰り返すことによって、刺激的で好奇心を持つことができる、学びのおもしろさ、大切さを体感し続けることができました。海外経験の機会はありませんでしたが、現代の若い人たちには、グローバルな学びの機会が広く用意されていると思います。どんどんチャレンジしていってほしいですね。

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 昨年6月より、北海道大学理事を拝命いたしました。大学、教育・研究機関での仕事は初めてで、未だ戸惑い、理解が十分でないことがたくさんあります。一方、大学1年生として入学した時のようなフレッシュな気持ちも交差しています。新しい環境で新たな学びを重ね、北海道大学の力になるべくチャレンジしていきたいと思っています。
 私の担当業務の一つに「北大フロンティア基金」があります。本基金は、2006年に創設され、大学をより充実、発展したものとするための寄附をお願いしています。これまで15年間で55億円のご寄附を多くの企業・団体・個人の皆様からいただき、学生への奨学・奨励金、留学支援、課外活動支援、研究推進やキャンパス整備など、幅広い活動、取り組みに活用させていただいております。未来社会を担う現役北大生そして今後北大生となる若者たちの教育・研究環境の充実、学生生活サポートのため、今後も基金・寄附活動に力を注いでまいります。よろしくご理解、ご支援のほどお願いいたします。

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(2021年9月)

【撮影場所】
1枚目:クラーク会館
2枚目:クラーク会館前ロータリー
3枚目:文系共同講義棟(軍艦講堂)8番教室
4枚目:百年記念館 基金事務室前
5枚目:菅原理事室