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第8回:梅原 俊志 理事

原石を磨く

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昨年8月に北大の外部理事を拝命した梅原でございます。宜しくお願いいたします。
普段は名古屋を拠点に、36年間の会社経験を活かして民間企業に関するアドバイスや人材育成に取り組んでいます。
私は常に「人材こそ一番の財産」だと考えており、ダイヤモンドの原石を磨いて光り輝かせるような仕事に生きがいを感じていますが、北大はまさに「原石の宝庫」であると思っています。
それでは、順風満帆とは程遠い私の人生を振り返りましょう。少しでも皆様の勇気と希望に繋がることを期待して。

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私は、1957年生まれで今年64歳になりました。生まれは兵庫県尼崎市ですが、父親の新工場建設に関わる転勤ですぐに徳島県阿南市へ移り、物心ついた時には完璧な徳島弁を身に付けた"阿波っ子"に成長していました。
地元の阿南市立富岡小学校に通い、中学校は受験して徳島大学附属中学校に入学しました。阿南市から徳島市までは約40km。5時起きで片道1時間半かけて自転車、汽車、スクールバスを乗り継いで通学していました。
毎日、往復3時間の通学で疲れ果て、勉学において落ちこぼれた私は人生の厳しさを味わうことになりました。

その後、徳島県立城南高等学校を経て慶應義塾大学理工学部に進学しましたが、またもや落ちこぼれを経験することとなりました。就職の内定をもらったものの卒業が危うく、研究室の指導教員から「大学院へ進むか留年か」という選択肢を出され、やむなく大学院を受験しました。夏休みに猛勉強の末、何とか大学院に合格した私にとっては厳しい道程でした。

大学院進学後も、流体力学専攻の研究室で毎週末に開催されるマラソン輪講はまさに修行の場でした。大学時代に描いていた将来像や志とは無縁な惨憺たる状況でした。

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ようやく27歳で社会人となった私は、総合材料メーカーの生産技術研究所に配属となりエンジニアとして工場での勤務を始めました。研究所長は東京大学工学部(航空力学専攻)出身で、工場実習中の私の元に現れ「梅原君、実習中は暇だろうから君の専門分野の専門書を数冊持ってきたよ!」と笑顔の奥の悪魔の囁きを尻目に早々に白旗を上げて "理論的よりも五感を活かした研究テーマ"を選定してもらい、所長との議論の難を逃れました。
その甲斐もあり最初の10年間は、当時主力製品の粘着剤用攪拌システムの開発や新製品オタネニンジン連続培養技術開発に取り組みました。後者のテーマでは生き物相手故に長期連休中は停電対応で毎年出勤し、当時の生産技術系役員からは「おい!徒労!ご苦労さん!」と現代社会なら一発アウトに相当するパワハラ的激励も受けていました。

その後の5年間は、未熟な自分にとって非常に貴重な経験、多くの学びを得た"精神修養の期間"となりました。
全社重要技術開発プロジェクトに参画し、「携帯電話を1gでも軽くする」というコンセプトに対して液晶メーカーであるお客様と一体となって取り組み、大型投資も決定したのですが、設備発注した矢先にお客様の事業が消滅してしまうという予想外の展開が起こりました。社内からは、行き場の無くなったテーマの責任問題の発生により強烈な逆風が吹き荒れました。コアメンバーの私も四面楚歌となってしまい、体調不良に陥り不安神経症の様々な症状に悩まされながら会社に向かう日々でした。
このままでは廃人になる!そう思った私を救ってくれたのは「あるがままに生きる」という森田療法に出会えたことでした。約2年半の非常に苦しい日々を乗り切り、絡んだあやとりの糸を自ら解きほぐす術(苦しみは消えずとも使命を果たす)を悟り、「開き直りの覚悟」をして投資の後始末の為、広島県の事業部に単身赴任しました。

事業部に移ってからの私は、「儲け物の人生」に感謝しながら、「当たって砕けろの精神」で多くの課題にチャレンジさせてもらいました。沢山の印象に残っている出来事がありますが、ここでは二つご紹介したいと思います。

一つは、リーマンショックを経験した後、液晶テレビの世界的需要を背景に、価格がインチ一万円から5分の1の二千円に急下落、お客様であるパネルメーカーが軒並み赤字となり、我々材料メーカーも値引き対応により応分な利益確保が難しくなった折に、我々の後工程とお客様のパネル工程と繋ぐ「Roll To Panel(略称:RTP)」なる特許戦略に基づく新規提案を行い、お客様並びに我々の収益改善に大きく貢献出来たことです。競合メーカーにもライセンス供与を行い、文字通りグローバルスタンダードとしての認知を受けました。利益が稼げなくなるという危機感から生まれた新たなビジネスモデルの創出がキーとなりました。
もう一つは、皆さんにも馴染みの深いAppleビジネスです。自ら毎月現地本社に出向き、チームの陣頭指揮をしながら拙い英語力でもDecision Makerを務め、リスク覚悟で是々非々をその場で判断しビジネス獲得に繋げました。「これからの成長は中小型デバイス市場に見出す!」という方針を打ち立て、従来のサプライチェーンの枠組みを壊すことで最終エンドのAppleに直接コンタクトしたことが彼等のビジネスマインドと合致し、功を奏しました。

約36年間の会社生活で多くのことを経験させてもらい学ぶことが出来ましたが、一番の財産は"人との出会い、信頼関係"に尽きる気がします。自分の未熟さ故のピンチの時に支えてくれたのは、上司であり同僚・部下達でした。また、Appleビジネスでの成功をサポートいただいたのは多くのパートナー企業の方々でした。
苦戦の連続だった私も、社内外の多くの方々に支えられ、気付けばエンジニアから事業部門責任者を経て10年間役員を勤めさせてもらい、最後はCTO(代表取締役専務執行役員)として昨年6月の株主総会で無事退任することが出来ました。また同年には、企業時代の社会貢献が評価され、母校の理工学部及び理工学同窓会が設けている「矢上賞」という名誉な賞をいただきました。コロナ禍で延期となっていた表彰式典が来月開催されます。
苦難の大学時代を送った当時の私には思ってもいませんでしたが、人生とは本当に判らないものだとつくづく感じました。

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企業退任後すぐにご縁があり、北大の外部理事を拝命しました。民間企業経験の中から大学経営に繋がるような事例をご紹介すると共に、冒頭に記した"北大の沢山の原石を磨く"仕事に向き合っていきたいと思っています。
直近では、新規事業化やベンチャー的アプローチを進められている先生やOBの方々と議論するメンタリングにも参画させていただいています。

「人材こそ一番の財産」です。新型コロナウイルスの感染拡大が少し落ち着いた状況ということもあり、月に1〜2回は札幌に来ております。是非、多くの方とコミュニケーションを図り信頼関係の大切さもお伝えしたいと思っております。宜しくお願いいたします。

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(2021年11月)

【撮影場所】
1枚目:札幌農学校第2農場(モデルバーン)
2枚目:梅原理事室
3枚目:フード&メディカルイノベーション国際拠点 フューチャールーム
4枚目:フード&メディカルイノベーション国際拠点
5枚目:北大マルシェCafé&Labo