litterae_vol.68
27/32

いた木原均(一八九三〜一九八六年)は、この講演について「細胞核、染色体について聞いた最初の学術講演であった。寮生一同の感銘は非常に深く」と回想している。当時の恵迪寮の文芸誌『辛夷』第二号にも「近年の開識社稀に見るの大雄弁なり」と絶賛している。坂村は「植物ニ於ケル遺伝及ヒ之ニ関スル細胞学攻究」を研究テーマとして大学院に進学し、小麦の染色体の研究を行った。大学院を修了する一九一八年には、小麦の染色体数を明らかにする画期的な業績を上げた。大学院修了後、坂村は東北帝国大学農科大学を改組した北海道帝国大学の助教授に就任し、欧米留学に赴いた。留学のため中断を余儀なくされた小麦研究を引き継いだのは、坂村と入れ違いに大学院に進学した木原均であった。帰国した坂村は、後に農学部教授から新設の理学部の植物学講座教授に転出し、植物生理学の分野で多大な業績を上げ、一九七六年に文化功労者として顕彰を受けた。一方、木原は間もなく京都帝国大学に転出して小麦の研究を続け、一九四三年に日本学士院恩賜賞を受賞し、細胞遺伝学研究の第一人者として一九四八年には文化勲章を受章した。一九七六年、北海道大学創基百年にあたり、坂村徹と木原均に研究材料を提供したキャンパス内の小麦田圃跡に「小麦研究記念碑」を建立した。北大最初の大学院生とその研究を引き継いだ後輩の研究物語のモニュメントである。 7月 -木原均に理学博士号授与(京都帝国大学)小麦研究記念碑27  Litterae Populi Vol.68 1.松村松年(1901年、大学文書館蔵) 2.教務部が学生監に対して行なった坂村徹と中島広吉の品行調査 5.札幌農学校植物学教室の教員・学生(1906年ころ、植物園蔵)  6.北海道帝国大学農科大学植物学教室の教員・学生(1918年、植物園蔵) 7.坂村徹(1926年、大学文書館蔵) 8.坂村徹がフランスの植物生理学者ギリエモンドの研究を 9.坂村徹の開識社での講演の様子を記す『辛夷』第2号(1912年、大学文書館蔵)10.小麦研究記念碑(2019年撮影)理学部6号館の西に建っている1886-1976Hokkaido University Archives北海道大学に関する歴史的な資料を収集・整理・保存して利用に供するとともに、北海道大学史に関する調査・研究を行っている。(1913年、大学文書館蔵) 大学院進学の際の調査と思われる 3.坂村徹の欧米留学出発挨拶の葉書(1917年、大学文書館蔵) 4.木原均の自筆色紙(大学文書館蔵)「無与等者」は同じものがないことを意味する仏教用語、「一粒舎主人」は木原の号後列右が宮城鐵夫、前列右2番目に宮部金吾教授後列左端が木原均筆写したノート(大学文書館蔵)1886年3月-帝国大学令により大学院を規定 12月-札幌農学校の研究生を制度化1896年9月-札幌農学校の研究生制度を改正1907年9月-札幌農学校を東北帝国大学農科大学に改組1908年8月-東北帝国大学農科大学の大学院に関する規程を制定1913年9月-東北帝国大学農科大学最初の大学院生4名 1918年4月-東北帝国大学農科大学が北海道帝国大学として独立 (坂村徹ら)が進学9月-木原均が大学院に進学 12月 -大学院を修了した坂村徹が助教授として海外 1920年4月-木原均が京都帝国大学理学部助手に就任 留学へ、木原均が小麦研究を引き継ぐ7月 -坂村徹に理学博士号授与(東京帝国大学)1921年 12月-坂村徹が農学部教授に昇任1924年4月-木原均が新設の京都帝国大学農学部の助教授に 就任(1927年教授)1930年4月-北海道帝国大学理学部創設、坂村徹が理学部教授に 1976年9月-北海道大学の小麦田圃の跡に小麦研究記念碑建立 転出987 10Hokkaido University大学文書館だいがくぶんしょかん「坂村君の遺伝性質の運搬者、遺伝は生物に必要とす、と前提として、科学上の知識の豊HISTORY

元のページ  ../index.html#27

このブックを見る