litterae_vol.69
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うな努力をされていたのでしょうか。に働きやすく非常にありがたいことでした。昇進も実力次第で男性と差はありませんでした。ただ、営業部門では女性の活躍が広がらず、私を含めて数人しかいない状況でしたので、後輩の女性をうまく営業職としてオリエンテーションしていくのが私のもう1つの役割でした。また、世界規模で事業展開す日本の他社と比べて圧倒的持った女性同士のネットワークをるIBMの中では、日本IBMの女性の活躍はまだまだでした。そこで、社内に社長直属の「ジャパン・ウィメンズ・カウンシル」というグループが設立され、様々な部門から30名くらいの女性が集まり、働く環境の改善を提言する活動をしていました。私がリーダーを務めた時期もあります。提言だけではなく、問題意識を築くことも重要でした。第1期のリーダーを務め、現在も実業家として活躍している内永ゆか子さんがIBM在職時に他社を巻き込んでNPO法人ジャパン・ウィメンズ・イノベイティブ・ネットワーク(より、交流の輪が広がっていきました。していますが、仕事をし続けている男性と比べて遅れをとっていると感じたりはしませんでしたか。た。結果として、復職後は官公庁J-Win)を立ち上げたことに出産された時に1年間休職あまり気になりませんでしキャリアや自信がゼロに戻った感部門に配転になりましたが。当時、官公庁需要に占めるIBMのシェアがすごく少ない状況でした。そうした中で、今までのキャリアをリセットしてもう1回やり直そうと考えました。活動の自由度が高く、自分で仕事を見つけて対応すればするほど忙しくなっていきましたね。実は、出産直後の社員に対して上司が配慮して補助的な仕事ばかり回すと、それが通常業務になってしまい本来業務に戻れなくなってしまうケースがあるのです。そのような女性社員がいる場合には、私から本来業務に戻っておいでと、背中を押すこともあります。1年間のブランクを埋めることは結構大変に感じる人が多いと思いますが、すっと入っていけるところがすばらしい。適応能力が高いのですね。続いて、アメリカでの勤務経験について聞かせて下さい。今まで自分が築いてきたじになりました。ディレクターとして赴任しているので、プロジェクトを立ち上げると最初は人が集まってくるのですが、外資系企業ションに苦労しました。どんなにの社員は参加しても自分にメリットがないと思ったらすぐに引いていくのですね。そういう大変さを最初は英語でのコミュニケー苦しくてもわかるまで聞く、理解をしようという努力を自分で意識的にやらないと、どんどん時間と会話が向こうに行ってしまうのですよね(笑)。アメリカの社員は、自分でキャリアをつくろうと思ってギラギラしている人ばかりなので、待ってくれないしおもんぱかってもくれない。だから自分から主張して飛び込んでいかなければなりません。胃に穴があくほど本当志済寳金志済寳金志済17  Litterae Populi Vol.6945歳で思い知りました。学生生活の中で、学問以外の課外活動に打ち込んだという経験は、豊かな人間性を育み、また、人間関係を広げるうえで有意義であったと実感しています。―寳金

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