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879 学設立経費は大幅に縮減できるとの指摘である。さらに、「法文科は唯教授を得、図書館の設備を完全ならしむれば可なるを以て比較的容易に設置し得べし」と続ける。理科、工科、医科に比べ、法科や文科は実験施設・設備の整備の必要がなく、教授陣の配置と図書館の充実で対応可能であり、設立経費は安価であるとした。また、農科大学出身者は北海道庁などの役人としても重要な地位を占めていたが、その多くは技師であった。中央省庁の文官の多くが法科大学出身であるように、北海道庁や樺太庁の幹部行政官を養成、輩出する法文科の新設も期待されていた。どの分科大学を優先するかについて議論百出であったが、同紙は「少くとも大あった。何かと本州以南の「内地」と引き正七年即ち開道五十年■には理科工科若くは医科或は法科文科の一乃至二科を増置して、其形体に於て、其実質に於て、天晴北海道大学たるの標榜に背ざらんを希望す」と記した。二年後、一九一六年五月三日付け『北海タイムス』も「要は其何れにても可なり。堂々十一州の地、百八十万道民が其面目に掛けても是非一個の独立大学を欲しと思ふの至情は、殆ど何人にも夙に之れあるべく」と主張した。つまり、どの分科大学でもよいので北海道に独立した大学を設置したい、というのが本音で比べられることの多い、北海道という地方の矜持と見ることができる。一九一八年、いわゆる「開道五十年」の年に、北海道帝国大学が開学した。東北帝国大学農科大学は北海道帝国大学の農科大学(一九一九年に農学部と改称)となり、医学部創立の準備が始まった。 3月-1日、北海道帝国大学創立第1回祝典を開催4月-1日、北海道帝国大学農学部、医学部を施行「天晴」、「面目」が本音27  Litterae Populi Vol.69 1.札幌の東北帝国大学農科大学の校庭と校舎(1917年、大学文書館蔵) 2.北海道帝国大学医学部附属医院(1920年代、大学文書館蔵) 3.仙台の東北帝国大学医科大学(1915年ころ) 4.農科大学の昆虫学研究室(1910年代、大学文書館蔵) 5.農科大学の土木工学科の測量演習(1910年ころ、大学文書館蔵) 6.農科大学附属図書館の閲覧室(1910年ころ、大学文書館蔵) 7.農科大学の農業経済学演習(1910年ころ、大学文書館蔵) 8.農科大学の農芸化学実験(1910年ころ、大学文書館蔵) 9.仙台の東北帝国大学本部と理科大学(1915年ころ)10.北海道帝国大学正門(1919年、大学文書館蔵)Hokkaido University Archives北海道大学に関する歴史的な資料を収集・整理・保存して利用に供するとともに、北海道大学史に関する調査・研究を行っている。1898年6月-学芸会編『札幌農学校』に「札幌帝国大学設立 1899年6月-佐藤昌介校長が有志の会合で、早期の大学設立 1907年6月-東北帝国大学農科大学(札幌)設置、 1911年1月 -東北帝国大学理科大学(仙台)設置1914年 11月 -27日付け『北海タイムス』が「北海道大学」 1915年7月 -東北帝国大学医科大学(仙台)設置1916年5月-3日付け『北海タイムス』が「大学独立問題」 1917年7月 -帝国議会が医科大学設立予算を承認1918年4月-1日、北海道帝国大学設立、北海道帝国大学農科 1919年2月-7日、北海道帝国大学農学部(農科大学から改 の必要を論ず」掲載 を主張 札幌農学校の農科大学昇格を公布 創設論を掲載 掲載 大学へ改組 称)、医学部を置くことを公布Hokkaido University1898-192410大学文書館だいがくぶんしょかん「北海道帝国大学は独立総合の札幌なる学都に於て大学の権威HISTORY

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