litterae_vol.72
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なったように、海外においても高い評価を受獣医学博士授与の実績がなかったため、文部省に可否を問い合わせた上で、三月四日の教授会で授与を決定している。北大初の「獣医学博士」である。直後に市川は畜産学科の講師に就任した。この間、市川厚一は山極教授との共同研究で、ウサギの耳にコールタールを塗擦して人工的に癌腫を発生させることに成功し、一九一五年九月、東京医学会で報告した。世界初の人工癌である。この研究は学士院賞を受けたばかりでなく、山極が後に、数回にわたりノーベル生理学・医学賞の候補とけた。同時期に山極教授門下であり、後に北海道帝国大学医学部産婦人科学講座教授に就任する大野精七は、「市川君は山極先生の指 5月-山極勝三郎教授と共に学士院賞受賞やって見ようと決心」していたという。導のもとに、忠実に根気よく連日実験を続けられた。ウサギを持ちながら教室内を歩いたり、昼食後の娯楽の場所にまで持ってこられた君は、エゾ熊と言われるほど、あかだらけも無頓着に、ほとんど■と同棲して実験され、本当に人間ばなれした方だった」と回想している。市川自身は、ウサギの耳にコールタールを塗れば癌は必ず発生するとの信念で「動物が死ぬまで私共の命のある限りその後、市川は助教授、教授と昇進し、農学部比較病理学講座を担当した。市川が進めた癌腫発生に関する研究は、家畜を対象とした獣医学であると共に、人間の癌の仕組み・予防・治療に関する医学にも貢献する成果であった。一九二九年、市川は、医学部教授や札幌市立病院医師と共に「北海道対癌協会」を設立して初代理事長に就任し、癌予防・治療の啓蒙活動も行っている。癌腫発生の研究への取り組み21  Litterae Populi Vol.72 1.農科大学を卒業したころの市川厚一(1913年) 2.市川厚一の東北帝国大学農科大学予科入学願書(1907年) 3.加藤泰治助教授(1912年ころ) 4.小倉鉀太郎教授(1912年ころ) 5.市川厚一が学んだ畜産学教室(1912年ころ) 6.加藤泰治助教授による獣医学実習(1912年ころ) 7.北海道帝国大学農学部畜産学科の職員・学生(1935年) 8.東京帝国大学医科大学(1913年ころ) 9.札幌農学校で獣医学を教えたJ.C.カッター(1880年ころ)Hokkaido University最前列右から2番目に座っているのが市川厚一教授市川が出入りした病理学教室は右手前の建物1907年9月-東北帝国大学農科大学予科に入学1910年7月-予科卒業、9月に本科入学1913年7月-東北帝国大学農科大学畜産学科を卒業 卒業後、副手となる 東京帝国大学医科大学病理学教室(山極勝 三郎教授)に出入り    11月-東北帝国大学農科大学の大学院に進学1915年9月-東京医学会で山極勝三郎と共に「人工的癌 腫の発生について」報告1919年3月-北海道帝国大学から獣医学博士号を授与 北海道帝国大学農学部畜産学科講師に就任1920年1月-北海道帝国大学農学部助教授1925年8月-北海道帝国大学教授1929年9月-北海道対癌協会設立、初代理事長に就任1930年 10月-市川厚一編『癌は治る・手後れするな』 (明文堂)刊行1946年3月-北海道帝国大学退職Hokkaido University Archives北海道大学に関する歴史的な資料を収集・整理・保存して利用に供するとともに、北海道大学史に関する調査・研究を行っている。76 98 1907-46大学文書館だいがくぶんしょかん「癌を起す刺激はどう云ふものであるかを探求するかないか又癌を作る刺激となるものが如何なるHISTORY

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