litterae_vol.73
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僕は、兵庫で育ちました。小学生の頃から偉人への憧れを持っていて、それが起業という選択につながったかもしれません。高校の授業で食糧問題に関心を持ち、農業経済学を学べる大学を目指しました。農業なら北海道というイメージと、親元から自立したい気持ちもあって北大への進学を決めました。将来は農家を目指していたので、3年終了時にオランダへ農業研修に行きました。ところが現場を経験してみて、自分が喜びを感じるのは別のことだと気づきました。やりたいことを考え直し、行きついたのが「ビールを使ったビジネス」と「ビールを囲んだコミュニティづくり」です。もともとビールが好きだったのと、オランダ滞在中、ドイツやベルギーなど本場のビール文化に触れたことが影響しました。帰国して4年生になり、ビールサークル「Be ち上げ、さらに「未来開拓倶楽部」に入りました。未来開拓倶楽部は、ゼミやプロジェクトを通じて、大学で学びきれない事柄を学べる学生団体です。そこでビールへの思いを話したところ、顧問の土屋努先生(副理事/産学・地域協働推進機構特任教授)から、倶楽部オリジナルのビールをつくってはどうかと提案されました。自分でビールをつくるとは考えてもいませんでしたが、これをきっかけに学部卒業までに3種類のクラフトビールを開発し、イベントで提供したり限定販売してきました。資金の問題やチームで取り組む難しさ、ビジネスの基本など色々な問題に直面しましたが、未来開拓倶楽部にいた仲間の刺激と、土屋先生のご指導に支えられました。Are kids」を立「どんなシーンで飲むか」というストーリーまっていきました。通年で販売すを考えながらビールづくりを続けるうち、「記憶に残る特別なビール」というコンセプトが明確になり、起業に向けた覚悟も固る定番ビールをつくろうと決意し、そのタイミングで起業を決めました。まずはやってみることです。未来開拓倶楽部でも「実践が大事」と言われましたが、やってみて初めてわかることばかりです。そして、教えていただいたことは素直に受け止め、実践する。その繰り返しが成長につながると思います。ビールサークルも、楽しむだけではなく目標を持つことが大事だというアドバイスを受け、大規模なクラフトビールイベントを企画・実現しました。チームで仕事をする醍醐味を実感できたり、道内のビール関係者とのつながりも増え、実りの多い経験になりました。がっているのが理想です。まずは、より多くの人にクラフトビールを知ってもらうことを目標に活動したいです。そして目指すのは、ヨーロッパで見てきたような多様なビールを楽しめる世界。ビールは人と人をつなぐコミュニケーションツールです。30年後は、「とりあえず生で」という選択だけではなく、「今日は黒ビールが飲みたいね」「白ビールがいいな」という言葉が交わされ、様々なビールを囲んだ人の輪が広好きなことをどんどんやってみて欲しいです。できない、面倒だ、人からどう思われるだろう、そういう考えは取り払って、好奇心のまま挑戦してください。そして、やると決めたら覚悟を持って取り組んでください。続けることで覚悟が固まりそれがまた継続につながって、面白いことを続ける人が増えるとうれしいです。北海道から新たなビールブームを巻き起こそうと熱い思いを持つ、宮地帝輔さん。農学院修士課程1年に在籍しながら、スタートアップ企業「株式会社パイオビア」の代表を務めている。農学部4年のときにクラフトビールづくりに挑戦。修士課程に進学し、会社を立ち上げた。ビールにまつわる活動への思い、これからの目標を伺った。―北大を目指した理由をお聞かせください。―ビールにまつわる活動を本格的に取り組むようになった経緯を教えてください。―なぜ起業を決めましたか?―活動において心がけていることを教えてください。―これからの目標をお聞かせください。―最後に、後輩へメッセージをお願いします。17  Litterae Populi Vol.73MIYAJI Taisuke初の通年販売となる定番ビールPROFILE2024年の北大祭に初出店したビールサークル。北大短角牛のビール煮込みを振る舞った。|農学院修士課程1年|兵庫県出身。2019年北海道大学農学部へ進学し、現在は北海道大学大学院農学院修士課程1年に在籍。学部生時代に開発・販売したビールは完売する人気ぶりだった。2024年6月、スタートアップ企業「株式会社パイオビア」を設立。オリジナルビールのレシピ開発・販売、企業や行政のオリジナルビールのプロデュースを手掛けている。在 学 生インタビュー特別なビールでつなぐ人の輪記憶に残る宮地 帝輔同窓

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