litterae_vol.75
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私も1986年にカリフォを日本の雑誌に載せて販売すればいいと思いつき、輸入販売に切り替えました。それが現在の会社の原形ですね。寳金いた中で、初音ミクが誕生したいきさつをお聞かせいただけますか。伊藤ソフトウェア」の販売を、会社設立の1995年から今も続けています。初音ミクは、キャラクターのように認知されていますが、「コンピュータに歌を歌わせるソフトウェア」です。当時、ドラムやギ音に特化した仕事をされて「自分で音楽を作るためのしょうね。僕が卒業した高校は、商業職場が工学部で、職員も勉海学園大学で勉強したこと。ある種、ミラクルな組み合わせだなと思います。起業されたのはどのようなきっかけだったのでしょうか。伊藤1985年から10年間、北大職員としてお世話になる中で、インターネットの存在を比較的早い時期に知っていました。当時、僕はプライベートでギターを弾いていて、海外のクリエイターと趣味でコラボレーションしていました。自分で作った曲をフロッピーディスクに入れてエアメールで相手に送るのですが、そこに相手が音を入れて送ってくるまでに何カ月もかかるんです。そうするともう、創作のパッションが思い出せなくなって続かないんですよ。でも、インターネットなら瞬時に送れる。「このインフラが世の中を変えていくんだ」と衝撃を受けました。これは公務員をしている場合ではないぞと。寳金ルニア大学でインターネットと遭遇しました。論文をワードのファイルにして、それを送ると届く。今では当たり前ですが、やはり衝撃的でしたね。しかし、退職は大きな決断だと思いますが、何か先の当てがあったのでしょうか。伊藤辞めてから始めたというより、始めてから辞めた形です。自分で作った「音」のライブラリーが結構な量になったので、アメリカの音楽雑誌に広告を出して販売したのがスタートでした。当時はコンピュータが出始めた頃で、電子機器をつないでシステムを自分で作り、世の中にある音をマイクで録音しまして。作った音をフロッピーディスクで郵送していました。寳金それは英文の雑誌ですよね。コンピュータミュージックに特化したアメリカの雑誌とは、それ自体がレアですよね。伊藤ターネットがなかったので、3行出していました。そのうち海外から「音を作っているんだけど日本で売ってくれないか」という逆オファーが届くようになって。90年代初めに円高が進んだので、日本にいる僕が、海外から仕入れた音自作の音を海外へ販売初音ミクは楽器である伊藤高校ではないのになぜか簿記の授業があって、簿記3級を取っていたので、経営について学ぶ下地はできていました。大学で経営に関する授業を受ける上で、それはすごく助かりました。寳金強しやすい環境だったこと。高校で少しビジネスに触れ、それを北―伊 藤 AIを新しいペンのように使って、人間とAIが調和していく未来が理想ではないでしょうか。         50ドルの個人広告を出して音を輸80年代後半で、まだインクリプトン・フューチャー・メディア株式会社 代表取締役伊藤 博之ITO Hiroyuki1965年生まれ、北海道出身。高校卒業後、北海道大学事務職員として勤務しながら、北海学園大学を卒業。1995年にクリプトン・フューチャー・メディア株式会社を設立し、効果音やBGM、携帯電話の着信メロディなど音に特化した事業を展開。2007年に発売した歌声合成ソフト「初音ミク」が大ヒット。2008年より北海道情報大学情報メディア学部客員教授、2013年より京都情報大学院大学教授。Litterae Populi Vol.75  10

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