さてここまでお読みになったら、大学が中学や高校のようになっているという印象をお持ちになったのではないだろうか。
私が大学教員になってからの四半世紀で確実にこのような潮流になっている。大学は基本的に自由であるべきだ。教員も自分の信念に基づいて、担当科目の「どの部分を、どれくらい時間をかけて、どのように」学生達に指導しようか考えている。大学教員の信念はみんなバラバラである。バラバラで異質であるから学問は発達してきた。言い換えれば「多様性」が大学の研究、教育の根本にあるのだ。
ところが、「違っていること、異なっていること」が損得勘定に結びついて不満を言うのが昨今の大学生である。教員のパーソナリティ、教員の指導力の差などを笑って受け入れる余裕がなくなってしまったのだろうか。
ただ、我々教員の方も、さまざまな要求を前にして、心の余裕がなくなってきてるかもね。 |