カブとコミュニケーション
池田文人

一人一人が偏っているからこそコミュニケーションをする価値があります。

 経営学の試験を終えたK子が晴れ晴れとした気分で秋晴れのキャンパスを歩いていると、A子の前をバイト先が同じ工学部のB男が横切って行く。肩を落とし、顔をうつむかせ、A子に気づく様子もない。心配したA子はB男に追いつきどうしたのかと訊いた。
B男:「昨日の夜、親父にバイクを買ってくれって頼
    んだら、カブにしろって言われたんだ。カブな
    んか嫌だって言ったら、喧嘩になっちゃって。。。」
A子:「でもカブも危ないんじゃない?」
B男:「そりゃそうだけど。。。」
A子:「まあカブなら経営の勉強にもなるし、命の危
    険はないからいいじゃない。」
B男:「はあ?何言ってんだ?カブってバイクだぞ!」

 皆さんにもこんな失敗はないですか?Cubは蕎麦屋の出前や郵便配達などでよく使われているオートバイなので、B男はA子が当然知っているはずだと思っていたのです。でもオートバイに疎く経営学部のA子はそんなオートバイがあるとは知らず、カブを株式証券の株だと思いこんでしまいました。このような思いこみは認知バイアスと呼ばれ、我々に様々な失敗を、時には災いさえもたらします。もしもA子がB男のオートバイ好きを察してカブはオートバイの名前かも知れないと思いつつB男の話を聞いていれば、あるいは逆に、もしもB男がA子にCubを知っているかどうかを確認してから話を始めていれば、このようなコミュニケーション・エラーは起こらなかったでしょう。しかし「もしも」はいつも失敗の後に来ます。自分中心に(ego centric)ならず、相手の身になって様々な可能性を考慮することは円滑なコミュニケーションに不可欠です。

 でも、円滑なコミュニケーションばかりを目指さなければいけないのでしょうか?私はコミュニケーション・エラーも大事なコミュニケーションだと思います。こんな失敗をしたA子はオートバイのCubを一生忘れることはないでしょう。一方のB男もCubを見るたびにA子の顔と株式証券を思い出すことでしょう。失敗は私たちの記憶に引っ掻き傷を残し、それによって私たちは次の、もしかしたら大事故につながるかもしれない失敗を避けることができます。いくら注意していても所詮人間は認知バイアスの固まりなので、思わぬ失敗はつきものです。笑ってすむ程度の失敗をたくさんして記憶の引っ掻き傷をたくさん作っておけば、重大な失敗を防げるでしょう。失敗の原因の多くは自己中心的な見方や考え方であり、たくさんの引っ掻き傷は自分自身や周囲を客観的に見なければならないことを思い出させてくれるからです。

 そしてなにより失敗するということは自分をもっていることの証しです。失敗は自分と外の世界とのギャップだからです。そしてこのギャップを生み出しているのが、個人の偏った経験や知識、すなわち認知バイアスです。一人一人が偏っているからこそコミュニケーションをする価値があります。多様な偏りは世界を新しい発見に満ちたワクワクドキドキする体験の場に変えます。多様な個性が集まり、互いにコミュニケーションを取り合う場に本物の叡智が生まれます。国立大学法人として最多の12学部を有し、毎年47都道府県から学生が集まり、世界82カ国から留学生がやってくる北大はまさに多様な個性の宝庫です。そしてコミュニケーション力を磨く様々な授業に加え、市民や高校生に北大の魅力を伝えるキャンパスビジットプロジェクトや北大Cafeプロジェクト、北大生のおもてなしプロジェクトなど、実社会との関わりを通じて実践的なコミュニケーション力を磨く場もたくさんあります。必要なのは、他人と違う自分を見つける勇気と自分と違う他人を認める寛容さだけ。北大で世界に通用する大いなる「あなた」という偏りを育みましょう。




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