◇恵迪夫(めぐみみちお),恵岳−前者は僕の若い友人とも呼ぶべき教育史ゼミの卒業生の筆名,後者は号である。4年間を恵迪寮と月寒寮で幕らしたこの男は,子供の名にも「迪」の文字を配した。彼は「卒業証書を送ってください」と実家の住所を書きおいて旅行に行き,それ以来当人とよりは静岡県水窪の山峡に
暮らす御両親との交流の方が濃い。「息子は寮が好きで,何を措いても寮のことばかりで」とは母親の言である。
僕たちのゼミには時々彼のように敬すべき恵迪寮の学生がいた。自分では住まおうとは考えたこともないが,寮にたいする僕の関心の源はそんなところにある。それに,2年生の頃に桑園寮で先輩が振る舞ってくれた飯盒の飯と海苔の佃煮を忘れられない。僕の寮にたいするイメージは,汚くて時に不思議な人物がいて親切がある所である。
◆僕は本誌第78号(1996年6月)に「講座・恵迪」なる夢想を書き留めておいた。それを以下に再掲する。 |
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北大の人と学問の系譜をたどるべく「講座・恵迪」を偶数月第4金曜日に開催。場所は寮図書室。受講料・講師料なし。受講資格は寮内外問わず。講師は寮生へんみまさあきが探す。第1回は1996年8月23日年後7〜9時,テーマは旧制高校・大学予科の自治寮の歴史(講師逸見勝亮)。以下講座内容は,クラークの弟子たちと弟子たちの弟子たち,内村鑑三不敬事件,新渡戸稲造と殖民学・遠友夜学校,「星座」(有島武郎)論,北大最初の女子学生は誰か,北大の地形,ハルニレと延齢草,天皇と北大,北大の研究と戦争,北大における勤労学員・学徒出陣,その他何でもあり(夢想だな………)。 |
◇高等教育史を専攻する広島大学の友人に「講座・恵迪」を話したら,「いまどき大学の自治もない,そんな話にのる寮生がいるとも思えない」と一笑にふされた。農学部の友人は「きっと寮生の反応があるよ」となかば慰めなかば激励してくれた。触媒化学研究センターの職員も「おもしろいこと書いてたね」と言ってくれた。真剣に「いつやります?」と質問する教員もいた。身近な院生は「また何考えてるんだか」という顔をした。
◆恵迪寮B棟2階開識社(代表いしいえいいち君)は,1996年10月31日牛後7時から恵迪寮図書資料室を会場に第1回「講座恵迪」を開催した。講師は僕,テーマは「大学の自治とは−その歴史・その根拠」であった。宣伝物には「第一回は今や寮内でもっとも話題の多い先生逸見教授」とある。僕は内容を,(1)人が集えば自治は生れるのか,(2)大学自治は学問の自由と教官人事が根幹,(3)大学の自治に学生の自治は含まれるのか,と構成した。僕は,大学自治の法制的保障は教員にしかなく,伝統と称する寮自治の起源は選良の証しに一高に与えられたもので,それを“わがもの”とするのが依然として寮生の課題であることを伝えようとした。大学から学生を除いたら大学でなくなるのだから,学生が大学の不可欠の構成員であることは明白だとも述べたが,寮生は頭を抱えたふうだった。僕は70人前後と数えたが,主催者によれば参加者は80〜100人であった。
◇講座終了後開識社が用意した鶏肉・トマト・ピーマンなどの煮込みを御馳走になった。スパイスは秘密だというが,車座になって食べたイタリア料理カチャトーレの美味しかったこと,丼で2杯も食べた。20人もいたか,大鍋をかこんだ恋愛談義もにぎやかだった。席上研究テーマも話題となった。寮生:今どんな研究をしているのか。僕:日本の学童疎開史を執筆中。寮生:学童疎開をみる教青史の独自の視点はなにか。僕:子供状態史あるいは子供の戦争への動員過程。最後に研究テーマの話というのは最高の御馳走であった。2時間半はあっという間に過ぎた。 |
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(へんみまさあき,教育学部教授,学生委員会第1小委員長) |