新進ミステリー作家

永井するみさん

本名松本優子。東京都生まれ。1983年東京芸術大学音楽学部中退,1987年北海道大学農学部農業生物学科卒業。日本アイ・ビー・エム(株),アップル・コンピュータ(株)勤務,フリーのコンピュータ・インストラクターを経て,作家業に入る。’96年6月双葉社の小説推埋新人賞,同年8月新潮社の新潮ミステリ一倶楽部賞を受賞。受賞作『枯れ蔵』は有機農業をテーマにしたミステリーで,’97年1月に新潮社より刊行。


学生時代〜今の仕事〜後輩のみなさんへ
 子供の頃からの憧れだった音楽の道に挫折し,東京芸術大学を中退して北海道大学に入学した。北大では獣医学部に進むつもりだったのに,これも訳あって取り止め,農学部に進んだ。卒業後はこれといった理由もなくコンピュータ会社に就職。大学で学んだことを軸に,研究職につくことの多い農学部の学生の中では,今一つぱっとしない選択であった。
 こうして思い返してみると,大学時代から就職するまでの間,私は挫折と進路変更ばかり繰り返していたような気がする。いつも,ここは自分の居場所じゃない,というような意識があって,勉強にしても,学内の活動にしても,何事にもあまり真剣に取り組んでいなかった。先生方や先輩達から見たら,歯痒かったに違いない。申し訳ない気持ちもあるが,あのときは,あれで仕方がなかった。
 大学に入学する時点で,やりたいことがはっきりしている人,あるいは入学した後に興味の対象となるものを見つけ,それに向かって邁進できる人は好運である。でも,中にはなかなかそうできない人というのもいて,私もその一人だったわけだが,そういう学生は周囲の人々から『自分の関心のある分野を早く見つけろ』と尻を叩かれたりする。それはそれで正論だが,ときにわずらわしい。大学時代くらい,他人にとやかく言われずに自由に過ごしたいものである。
 最近,私は小説を書くようになった。自分ではっきり意識していたわけではないが,どこかで自分を表現する手段を探していたのだと思う。それが小説を書くという行為だったということだ。小説を書くということを仕事にしてみると,今まで挫折を繰り返し,支離滅裂に進路変更をしてきたことが,まるっきり無駄ではなかったのだな,と思えるようになった。大学時代に目標をきちんと見つけ,それに即した就職をしていたなら,おそらく小説を書くことなどなかっただろうから,私の進んできた道は,それなりに良かったみたいである。小説を書くようになって,ようやく自分の人生を肯定的に見られるようになり,随分精神的に楽になった。
 だからというわけでもないが,後輩の皆さんにも,大学時代に自分のやりたいことが見えなかったり,周囲に置いていかれるような気がしても,焦る必要は全然ないと申し上げたい。分からないときは分からないのだから,無埋をせず,できるだけ楽しく日々を過ごすようにしていればいいと思う。自分はこんなのでいいのかな,と思う気待ちをどこかに持ち続けていれば,そのうち,自分の望む形に変わっていけるように思う。

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