名誉教授 都筑 俊郎氏は,平成14年9月16日午前7時45分札幌真栄病院にて脳腫瘍とその合併症のため満72歳で御逝去されました。ここに先生の生前の御功績を偲び,謹んで哀悼の意を表します。
同氏は昭和4年(1929年)10月30日長野県木曽郡日義村にて生まれました。昭和28年3月名古屋大学理学部数学科を卒業,昭和31年4月名古屋大学理学部助手に採用されました。昭和36年12月に名古屋大学理学部講師,昭和41年12月には名古屋大学教養部教授に昇任されました。昭和36年11月には,フロベニウス環の研究で理学博士号を授与されています。昭和43年4月には,名古屋大学から北海道大学理学部教授(数学科代数学講座)として赴任されました。昭和52年6月から2年間は,北海道大学評議員として大学の運営に参画され,本学の発展に多大なる貢献をされました。平成5年3月31日に停年により退官され,同4月に北海道大学名誉教授の称号を授与されました。
同氏は昭和54年に体調の異常を訴えられ,長く原因が不明だったのですが,その後脳腫瘍と判明,昭和60年に北大病院で,手術を受けられました。右半身がやや不自由になられましたが,様々の仕事を手術前と変わらずこなしてこられました。退官されたあとは,リハビリを兼ねた長い入院が続きました。つい最近まで,数学の論文を読んでおられ,数学への情熱が失われることはありませんでした。
同氏は生涯にわたって代数学,特に非可換環論と有限群論の研究を行ってきました。初期の環論の研究においては,中山正氏(当時名古屋大学理学部教授)と共同で,環のフロベニウス拡大について顕著な成果を挙げています。1959年から61年にかけて発表した論文は,この分野の基礎をうち立てたもので,今でも量子群や群の表現論の方面で引用されるほどです。1960年ころから70年代前半に有限群論の分野では新単純群の発見が続き,さらに有限単純群の分類そのものの可能性さえ現実のものとして語られるようになってきました。都筑氏は,多重可移群と階数3の可移群の特徴付けと非存在の判定に関する重要な結果を発表しました。特に,1963年と1966年の論文は,現代的な言葉ではA型のティッツシステムを扱ったもので,その10年後のフランス数学界の大御所ティッツ氏によるティッツシステムを持つ群の分類の完成につながる極めて先駆的な研究として,内外から高く評価されています。同氏の研究の特徴は,作用する群と作用される空間の幾何構造を関連されることにあります。この考えは名著「有限群と有限幾何」(岩波
1076)にも貫かれており,ケンブリッジからの英訳(1982)は,この方面の標準的な教科書として,レビュー誌で高く評価されています。同氏は単なる研究者ではなく,幾つかの国際研究集会を主催し,日本におけるこの分野の研究の指導的役割を果たしてこられました。
もう一つ大きな功績として教育が挙げられます。北大赴任当時の代数学の講義は驚くほどレベルの高いものでした。このような厳しい講義やセミナーを通して多くの人材が社会に育ってゆきました。その他,昭和40年代の大学紛争のときは,体を張って対応に当たりました。
このように,同氏は長年にわたって研究・教育のみならず,北海道大学の管理運営,さらに日本における数学の振興への貢献は著しいものがあります。
ここに先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
(理学研究科・理学部)
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