| 名誉教授 阿部 保氏は,平成19年1月10日午前零時6分,虚血性心疾患のため東京都あきる野市の自宅にて逝去されました。ここに,先生の生前の功績を偲(しの)び,謹んで哀悼の意を表します。
阿部 保先生は,明治43年5月30日山形県に生まれ,昭和8年3月東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業,以来聖橋高等工学校講師,日本大学講師,成蹊高等学校教授,大倉経済専門学校教授,東京経済大学教授を経て,昭和26年4月1日北海道大学教授(文学部)として赴任されました。同49年4月1日停年により退官,以後再び東京経済大学講師(非常勤)として引き続き研究と教育に従事されました。
この間,その専攻する美学・美術史・西洋文学の領域の講義を通じて多くの学徒を育てるとともに,その篤実なる人格を通して数多くの子弟に美的教養を養った社会的功績は無形ながら計り知れないものがあります。
また,北海道大学教養課程学生の図書館関係設備の充実に深く意を用いその成果として,昭和44年に同大学附属図書館教養分館の創設を見るや,直ちに同分館長として2年間その基礎作りに貢献されました。同分館がその後の教養課程教育に果たしている役割はきわめて大きく,その設置と運営とに参与された功績もまた大なるものがあります。
この間の同人が専攻された研究領域は,根幹に常に美学をおきながら研究対象は造形美術から言語美術にわたって広い範囲に及んでいます。まず日本独自の様式美を世界的に注目される浮世絵の美術史・美学的研究から入り,これまた日本独自の短詩型芸術である俳句の考究に及び日本的な美の追求は更に視野をインド詩人などに広げて東洋的なるものの探究に発展させました。一方では本来の美学の領域として文化意思,文章美学などのテーマについての考究がやがて芸術思潮としての浪漫(ろまん)主義の研究に向かい,ドイツ・イギリスなどの浪漫主義運動の批判的考察に進み,東洋的芸術の追求と相俟(あいま)って象徴主義への考察に展開しています。このような課程の中でテーマが次第に詩論及び詩人研究に向かい幻想の詩人といわれているウイリアム・ブレークあるいはエドガー・アラン・ポオなどの美的理念について深く探求を重ねるとともに,詩人と世界観の問題についても深く考察するところがありました。これらはいずれも研究史上先駆的業績として各界に貢献しています。
このように同人の関心と考察は洋の東西を問わず古今を通じてその美学的関心にふれるものを大きく包み込みながら次第に求心的に対象を絞り,昭和30年代に入ってT・S・エリオットの研究に集約されました。それまで多面的にさまざまなテーマを模索開拓して得た学識はすべてこの研究の基礎となり,背景となってこの研究の内部に濃縮され,その意味で同人の研究の到達点として,また日本におけるエリオット研究の貴重な成果としてその価値を認められるものであります。すなわち,同研究はエリオット研究に関する内外の文献を広く渉猟しつつ,その時代的背景,ヨーロッパ詩の伝統,形而上(けいじじょう)詩などについて的確な検討を加え,その上に立ってエリオットの理念,韻文論,詩劇論などに鋭い考察を加えています。
この研究の目的はヨーロッパ詩の伝統と本質とを究明することにありますが,現代詩の情況を解明する作業にもなっています。それは研究主体の詩人的資質に基づくものであり,同人が研究生活に入ってまもない頃に実はエリオット詩にめぐりあって感銘を受け,それが20年の歳月を経て,一方ではその学問的研究に到達するとともに,一方でその詩人的資質をも開花せしめることとなったものであります。すなわち,学問研究の過程においてその対象としたアリストテレスの詩学ポオやニーチェの詩集などは流麗な訳を与えてそれぞれに公刊されるとともに,更に進んでは自らの詩集をも編むことになり,昭和28年に第1詩集を公刊して以来その数は6冊に及んでいます。格調高く,清潔なロマンを湛(たた)えるその詩風は読者を深い感銘に誘い,その若干はアンソロジー(北海道文学全集の詩歌編)にも収録されています。
以上のように,同人の業績は教育と研究と詩作の三分野にわたっていますが,これらは三位一体の不可欠のものであり,その詩作は学問研究に血脈を通わせるとともに教育の場においても若い学徒に強い感銘を与える源泉として重要な要素をなしてきました。また,自らの研究への精進は学生の読書環境の整備という教育者としての実践につながっています。
本来,美学研究を基本とした教育者としての功績は,直接具体的にその成果を示すことが困難な分野でありますが,同人が謙虚に,誠実に,毅然として約半世紀にわたり一貫してその道を歩みつづけたことによって,その人格,学問,芸術にふれた多くの人々に与えた影響は計り知れないものがあります。
以上のように同人は,学術研究の発展及び後進の指導に尽力したものであり,その功績は誠に顕著であるといえます。
ここに同氏の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
(文学研究科・文学部)
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