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○鎌 滝 哲 也 氏
このたび,秋の紫綬褒章を受章いたしましたが,これは私にとっては望外な喜びでした。紫綬褒章の受章の対象になるなどとは考えたこともありませんでした。この受章は北大での研究成果が評価されたことであり,日夜研究をともにした助教授以下の職員,大学院生,研究生,秘書さんたち,それに様々な場面で縁の下の力持ちになってくれた事務職員の皆様の御陰だと思っております。皆様と受章の喜びを共有したいと思います。
私は昭和60年秋まで慶応義塾大学医学部薬理学教室の助教授でした。医学部におりましたから,北大薬学部で薬品分析化学教室の教授を公募していることなどつゆ知りませんでした。北大では,選考の過程で薬品分析化学の研究室をどのような分野の研究を担う研究室にするか,薬学部の将来展望を含めて議論されたようです。その結果,薬物代謝が適当であろうということになり,北大の内部推薦で私の名前が挙がっていたようで,最終的に私が選考に残ったと聞いております。北大に着任してからは,前任の木村道也先生の築かれた研究室の良いところを残し,さらに発展するための方策を考えました。幸いに,当時残っていた助教授以下の職員が快く新しい研究室の建設に協力してくれました。これを第一歩として,次々と登場してくれた職員が更に飛躍への道を切り拓いてくれました。また,新しく研究室のメンバーとして加わってくれた学生や研究生の人々は日夜を問わず,研究に没頭してくれました。当時の研究室は夜遅くまで電灯がともり,まさに不夜城であったと思います。
このような研究室の雰囲気は助教授以下の職員が牽引し,学生や研究生達が作り上げたもので,私が作ったものではありません。彼らの努力の結果として,研究成果は徐々に積み重なり,気がついてみるとヒトに役立つ大きな研究成果となっておりました。私の役割は皆さんの「舵取り」と「研究費稼ぎ」だけだったように思います。
私たちの研究室では,発がんのメカニズムや発がんの個体差,さらに薬の効き目の個体差の研究を中心に展開いたしましたが,中には一所懸命にやってもうまく成果が挙がらなかった研究,成果は挙がったものの世の中ではあまり目立たずに終わってしまったものなどあります。目立った研究を行った学生は嬉しいでしょうが,目立たないまま論文だけは発表したというような研究を手がけた学生は可哀想に思います。しかし,研究室の研究レベルアップに貢献したことは確かですから,やはり研究室では貢献者といえるでしょう。
私を中心としたグループで一人前の研究が出来たのは,私自身が恩師に恵まれ,恩師から受けた教育を次の世代に申し送りしたのも一因かもしれません。
私たちが受けた紫綬褒章は他の研究室の皆様にも,特に若手に希望を与えるのではないかと期待しております。今後,北大の,特に若手の研究者が目標を高く持ち,北大が更なる飛躍を遂げられることを祈ってやみません。
略 歴 等 |
生年月日 |
昭和17年10月6日 |
昭和40年3月 |
千葉大学薬学部卒業 |
昭和42年3月 |
千葉大学大学院薬学研究科(修士課程)修了 |
昭和42年4月 |
千葉大学薬学部副手 |
昭和42年6月 |
千葉大学薬学部教務職員 |
昭和44年4月 |
千葉大学薬学部助手 |
昭和48年2月 |
薬学博士(東京大学) |
昭和52年8月 |
慶応義塾大学医学部専任講師 |
昭和57年4月 |
慶応義塾大学医学部助教授 |
昭和60年10月 |
北海道大学薬学部教授 |
平成18年3月 |
北海道大学定年退職 |
平成18年4月 |
北海道大学名誉教授 |
平成18年4月 |
高崎健康福祉大学薬学部教授 |
平成18年4月 |
埼玉医科大学客員教授 |
平成19年3月 |
高崎健康福祉大学薬学部退職 |
平成19年4月 |
東京工業大学特任教授 |
平成19年4月 |
理化学研究所客員主管研究員 |
功 績 等
鎌滝哲也氏は,昭和40年3月千葉大学薬学部を卒業,昭和42年3月同大学大学院薬学研究科修士課程を修了し,同年4月千葉大学薬学部副手,同年6月同教務職員,昭和44年4月同助手,昭和52年8月慶應義塾大学医学部講師,昭和57年4月同助教授を経て,昭和60年10月北海道大学薬学部教授に就任し,薬品分析化学講座を担当,平成10年4月から大学院重点化に伴い大学院薬学研究科医療薬学専攻医療薬学講座教授として,代謝分析分野の発展に尽力されました。平成18年3月に定年退職され,北海道大学名誉教授の称号を授与されました。その後,平成18年4月から平成19年3月まで高崎健康福祉大学薬学部教授に就任し,現在は,埼玉医科大学客員教授,東京工業大学特任教授,理化学研究所客員主管研究員として,教育・研究活動にご活躍されています。
同氏は,永年にわたって,毒性学,薬物代謝学の教育・研究に努められ,数多くの業績を上げられました。その研究業績は大きく分けて2つに分類されます。
一つは,広くヒトのために直接役立つ研究であり,例えば,有機フッ素系農薬の解毒に高濃度のブドウ糖が著効を示すことを発見,これにより瀬戸内海沿岸及びブラジルの蜜柑農家の農薬中毒患者28名の命が救われました。また,新規抗がん薬塩酸イリノテカンによって引き起こされる遅延性の下痢に対して,バイカリンをβ-グルクロニダーゼ阻害薬として投与すると予防できることを見出し,バイカリンを含む半夏瀉心湯が同様に予防効果を持つことを示しました。現在,半夏瀉心湯の併用は全国的に一般的になっています。
もう一つは,同氏が長く力を注いできた研究である,薬物代謝酵素に関する研究です。特に,肝薬物代謝研究において一酸素添加酵素であるチトクロームP450の精製純化,薬理学的・毒性学的研究と分子生物学的な研究,また,遺伝子多型の研究から薬物療法の個別化(テーラーメイド医療)の基盤となる研究に努めて優れた業績を上げられました。同氏のチトクロームP450に関する学術論文は,被引用回数が多く,米国の調査会社ISI
によって被引用文献数の高い研究者(highly cited scientists,全体の0.5%以下)の一人とされていることも,同氏の研究の質,アクティビティーが際立っていることを物語っています。
以上の研究業績に対して,日本薬学会奨励賞,宮田専治学術賞,日本環境変異原学会奨励賞,望月喜多司記念業績賞,日本毒科学会田邊賞,日本薬物動態学会学会賞,日本薬学会賞,ISSX
Scientific Achievement Award 2003 Asian Pacific Region,日本環境変異原学会学会賞,高松宮妃癌研究基金学術賞が授与されました。
また,学界においては,10誌以上の国内外の学術誌のeditorial boardを務めるとともに,薬物代謝の研究分野で最も権威のある“Intern.
Symp. on Microsomes and Drug Oxidations”や日米合同の薬物動態学会を組織委員長(日本側代表)として開催するなど,多大な貢献をされました。さらに,国外においては,国際薬物動態学会理事,国内においては,日本薬物動態学会会長,副会長及び理事,日本トキシコロジー学会理事,日本環境変異原学会理事,日本分析化学会北海道支部長など多数の学会の役員を歴任されました。学外においては,厚生省中央薬事審議会臨時委員,文部省・文部科学省大学設置・学校法人審議会専門委員,厚生省薬剤師試験委員,日本学術会議・生物系薬学研究連絡委員会委員及びトキシコロジー研究連絡委員会委員などを務め,研究分野における代表として行政に貢献されました。
以上のように,同人はわが国における毒性学,薬物代謝学の領域の指導者として数多くの業績を挙げ,多数の人材を育成し,わが国の学術の進歩と産業の発展に貢献した功績は極めて顕著であります。
(薬学研究院・薬学部)
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