訃報

名誉教授 鈴木すずき 敏夫としお 氏(享年63歳)

名誉教授 鈴木 敏夫(すずき としお)氏(享年63歳)

 名誉教授 鈴木敏夫氏は平成19年9月20日午前11時51分,病気加療中のところ63歳で逝去されました。ここに生前のご功績を偲び,謹んで哀悼の意を表します。
 同氏は,昭和18年10月4日,愛知県に生まれ,昭和41年3月東京教育大学体育学部を卒業,昭和44年3月同大学大学院体育学研究科修士課程を修了,同年4月より文化女子大学室蘭短期大学講師として採用,昭和47年5月北海道大学教育学部講師として就任されました。昭和49年7月に,助教授,平成3年9月には教授に昇任され,平成12年4月,大学院教育学研究科健康スポーツ科学講座教授に配置換となり,爾来35年間にわたり教育学部・教育学研究科において,体育学における実技・教育・研究に従事されました。平成19年3月北海道大学を定年退職し,同年4月北海道大学名誉教授の称号を授与されました。
 同氏は,北海道大学における教育・研究活動において,誠実で温かい態度で学生・院生に接し惜しみない努力を払ってこられました。
 研究者としての先生の業績は三通りあった様に思います。第一は,日本近代体育の成立過程です。わが国の近代体育の成立が「西欧化」という外発的要因によってなされたという学会の通説にとらわれず,これまで顧慮されてこなかった日本の近代体育を成立させる内発的基盤の問題に関心を抱き,19世紀の特に藩校を中心として近代化し,明治期とともに近代体育として成立するまでの日本体育の発展過程を豊富な資料によって実証的に検討されてきました。第二は,近代体育の展開過程です。国家主義教育の展開とともに国民体育の振興論が台頭する1890年代から1920年代までの体育・スポーツをめぐる諸実相が教育の思想・体制・運動などの歴史的条件との関連の中で,どの様な歴史的役割を果たしたかについて検討されました。当時体操教育の普及と相俟って注目されたのは,西欧の近代スポーツであります。わが国における近代スポーツは,1870年代に欧米から受容され,高等教育機関をその発展基盤として展開したところに基本的特徴があります。先生は高等・中等学校にスポーツが定着する根幹に,学生の自治組織たる校友会とその傘下に派生した運動部の存在を挙げています。この時期の体育・スポーツ関係資料の収集及び行政資料としての勅令・政令・訓令・通達などに加えて帝国議会議事録,各種運動審議会議事録などの体系的蒐集を行ってこられました。第三は,日米体育・スポーツ交流の比較史的研究です。これまでの体育史研究では,札幌農学校は日本の運動会の原型としての遊戯会,森文政期以降に実施された兵式体操の先駆的事例として扱われてきました。先生は,これら二つは農学校の体育内容の一部であり,同校ではマサチューセッツ農科大学をモデルとした包括的な体育教育を実践させる構想が既に存在した事実を指摘されていました。今後,更に「近代日本体育史における札幌農学校の研究」として,その成果を世に問うべく研究に情熱を傾けておられた矢先でありました。この完成を見ないで世を去られたことは誠に悔やまれるところであります。
 学内においては,全学及び学部内各種委員会委員を歴任した他,社会交流委員会委員長,予算委員会委員長,健康体育学運営委員会委員長などに就任し,学部,大学院,講座の円滑な運営に尽力されたほか,学外にあっては,永年,北海道体育学会の事務局を務め,同学会の理事長・会長を歴任し,学会発展の基礎づくりに多大なる貢献をされた他,日本体育学会においては,評議員・代議員を永年務められ,道内外の体育界の発展に寄与されました。
 以上のように先生は,体育学を通して,北海道大学教育学研究科・教育学部の運営に従事され,体育史の分野においても貴重な研究業績を残されました。
 ここに謹んで先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

(教育学院・教育学研究院・教育学部)


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