名誉教授五十嵐久尚氏は平成20年3月15日午後0時36分,心不全のため95歳で逝去されました。ここに生前のご功績を偲び,謹んで哀悼の意を表します。
同氏は,明治45年3月30日,北海道に生まれ,昭和10年3月北海道帝国大学農学部農芸化学科を卒業後,昭和16年6月東京帝国大学大学院を満期修了,直ちに東京帝国大学農学部副手を嘱託され,昭和21年10月に北海道帝国大学農学部講師を嘱託,翌昭和22年2月助教授,昭和27年4月北海道大学農学部教授に昇任,水産学科(旧制)水産化学第一講座を担任しました。昭和28年4月北海道大学水産学部教授に配置換となり水産製造学科(新制)水産化学第一講座担任,昭和39年4月水産食品学科食品化学第一講座担任となり,昭和50年4月北海道大学を停年退職し,同50年5月北海道大学名誉教授の称号を授与されております。
この間,同人は永年にわたって幾多の学生の教育を通じ,後進の育成,指導にあたるとともに,広範囲にわたる研究活動によって,水産化学と水産食品化学の分野の発展に多大の貢献をしてきました。同人の研究活動は以下の四期に大別されます。
第一期は昭和11年5月から同21年10月までの東京帝国大学大学院在学中と同大学農学部副手として勤務した期間です。この間,昭和14年に糸状菌ペニシリウム,フニクロスム・トムの代謝生産物について研究を行い,同菌の生産する赤色色素「フニクロシン」の化学構造の決定と同菌の作用による有機酸発酵について解明しました。この研究によって,同人は昭和23年5月東京大学から農学博士の学位が授与されました。また昭和16年からは同人の師である藪田貞治郎東京大学名誉教授の文化勲章の受章対象となった「稲馬鹿苗病菌」から植物徒長ホルモン「ギベレリン」の分離と構造決定に分担協力しました。これら一連の微生物化学の研究は,バイオテクノロジーの研究方法の基礎となるものです。
第二期は,同人が北海道大学農学部水産学科に勤務した昭和21年10月から同28年3月までの期間です。戦後の物資不足のなかで,地域社会に密着した,あるいは時代の要望のあった課題をとりあげ,魚鱗箔の研究,海藻の香気成分の解明,魚油の着色機構,北方水棲動物の胆汁酸の分離,スケトウダラ肝臓中の生長促進物質の研究,秋サケの生化学的研究など多岐にわたる研究を行いました。これらの研究のうち,海藻の香気はジメチルサルファイドが原因物質であり,ノリの香気,磯の臭いも本物質により発現することを明らかにした点は食品化学の面から特筆される成果となりました。また秋サケは体成分の消耗によって商品価値が低下しますが,秋サケの有効利用の面からその対策は急務とされています。同人による秋サケに関する系統的な研究の成果は今日の秋サケ利用の研究の基礎となっており,現在でも高い評価を得ております。
第三期は農学部水産学科(旧制)が解消し,新制水産学部水産化学第一講座担任となった昭和28年から同41年3月までの間です。この間,海洋細菌,水産下等動物から魚類・鯨類に至る水産生物全般についての脂質,とくにリン脂質について生物化学的研究を行いました。これらの成果は,水産動物リン脂質に関する研究として32編に及び,リン脂質の生物化学的研究分野の発展に寄与するとともに,水産資源として重要魚種であるサケ・マスの脂質についても生化学的研究を含め,系統的な研究を行い14編を公表し,水産化学の向上に貢献しました。なかでもマグロ筋肉から単離したリン脂質ホスファチジル・スレオニンは新物質(ネーチャーに発表)であり,リン脂質の研究に先鞭をつけたものとして当時のこの分野の世界各地の研究者からも注目され高い評価が与えられました。
第四期は,食品化学第一講座担任としての停年に至る昭和41年4月から同50年3月までの間です。この間,幾多の有為な研究者と技術者を養成する一方,水産生物の脂質の研究を食品化学の分野にまで広め,総合的に推進しました。同人は脂質の酸化による魚肉品質の劣化に着目し,冷凍中におこる魚肉の品質劣化の原因は脂質酸化によることを明らかにし魚肉蛋白質との相互作用など,その劣化機構も解明しました。さらに脂質酸化生成物の摂取によっておこる毒性と栄養障害についても研究を進め,水産食品の保蔵と安全性の確立に寄与した点は特記されます。
同人は昭和28年北海道大学大学院水産学研究科の発足時にあたり,大学院における水産学の研究と教育の確立に直接の当事者として尽力したほか,旧制大学院教授としての経験に基づき建設的な提言をし,新設の新制大学院体制の整備充実にも尽力しました。とくに我が国最初の水産学博士第一号取得の大学院学生には直接の指導者として研究指導と審査基準を定めたこと,さらにこの実績によって,水産学部が文部省から論文博士の審査権を認められることになり,本学部の発展にも寄与しました。
学会での活動としては日本水産学会,日本農芸化学会,日本ビタミン学会,日本生化学会に所属し,これら各学会の参与・評議員などを歴任しました。とくに戦後の日本農芸化学会北海道支部の再建に尽力した功績によって日本農芸化学会終身会員に推薦されました。また地域社会における公的活動としては,北海道開発調査委員(水産部会)を北海道から委嘱され,北海道の水産業の振興にも寄与しました。
以上のように同人の29年間にわたる教育と研究活動などの諸業績の功績は昭和60年4月29日に勲三等旭日中綬章が授与されたとおり,まことに顕著であります。ここに謹んで先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
(水産科学研究院・水産学部)
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