名誉教授小澤保知氏は平成21年12月21日午前5時4分,老衰のため90歳で逝去されました。ここに生前のご功績を偲び,謹んで哀悼の意を表します。
小澤保知先生は,大正8年8月24日北海道空知郡岩見沢町に生まれ,昭和17年9月北海道帝国大学工学部電気工学科を卒業し,陸軍兵器本部技術部,第9陸軍技術研究所,陸軍兵器学校を経て,同19年12月技術大尉に任ぜられました。その間,昭和18年6月御賜賞を下賜されています。終戦後,日本高周波株式会社を経て,昭和21年6月北海道帝国大学応用電気研究所研究員嘱託,同23年4月北海道大学応用電気研究所研究員,同23年8月医学部助教授に任ぜられ,併せて応用電気研究所兼務,同27年4月応用電気研究所に配置換,同33年10月同研究所教授に昇任,同34年4月工学部に配置換となり,同学部応用原子核物理学講座を担任されました。その後,北海道大学評議員,工学部長,大学院工学研究科長,工学部加速器研究施設及び直接発電実験施設等の長を歴任,この間京都大学教授を併任,昭和58年4月定年により退官し,同月北海道大学名誉教授の称号を授与されました。北海道大学退官後直ちに学校法人北海道尚志学園北海道工業大学教授,昭和60年4月から同法人北海道自動車短期大学学長に就任され,平成10年3月に退職されるまでの間,研究・教育に留まらず大学運営全般にわたり尽力されました。
本学応用電気研究所において,不均質誘電体に印加する高周波電力の周波数選択加熱現象を理論的及び実験的に世界で初めて明らかにされ,医学における超短波治療や工業における高周波電力利用の基礎を初めて確立した研究としてネェチャ誌に高く評価され,自然科学系第1回英国文化振興会研究員として招請されています。この大電力高周波誘電体の選択加熱現象とその応用に関する研究に対して昭和28年6月工学博士の学位を授与されました。また,昭和36年には国際原子力機関(IAEA)主催の第一回プラズマ物理及び制御熱核融合研究ザルツブルグ会議に日本代表団の一員として参加し,不均質プラズマの速度空間不安定性に関する研究により注目を集めました。
昭和29年原子力関係教育研究を進めるための北海道大学原子力委員会の中枢的委員に選出され,我が国における原子力関係学科を五大学にとどめるとの設置計画の枠を北海道,名古屋の両大学に拡げるために尽力され,同42年4月北海道大学工学部原子工学科創設,初代学科主任教授に就任,学科開設委員として同学科の整備発展に貢献されました。また,昭和43年4月同学科エネルギー変換工学講座教授に就任後,電磁流体発電機(MHD発電機)の弱電離プラズマ流体の熱及び電磁両流体場の最適磁場配位の存在を理論的に明らかにし,所謂北海道大学型MHD発電機を提案し同55年8月国際特許が認められ,工学部に直接発電実験施設を設置,初代施設長に任ぜられました。対外的には電磁流体発電国際渉外委員会日本側代表委員,同国際渉外委員会副会長,昭和61年ユネスコ支援第9回電磁流体国際会議国際組織委員会会長等を歴任されています。
原子力の安全管理の分野においては,国の原子力特別委員会委員,原子力委員会専門委員,原子炉基準専門委員,原子力研究連絡委員会委員,原子力安全委員会原子炉安全専門審査会審査員及び同審査会副会長,通商産業省原子力発電技術顧問等を歴任し,放射線安全管理に貢献され,これらの永年にわたる原子力研究への貢献及び原子力安全への功労に対し,昭和60年3月北海道科学技術賞ならびに同61年10月原子力長官賞(原子力安全功労者賞)を授与されています。
学会活動としては,電気通信学会(現在の電子情報通信学会)北海道支部長,応用物理学会北海道支部長,同学会評議員及び同理事,日本原子力学会評議員企画委員長理事,同学会副会長,同理事及び同学会北海道支部長,電気学会北海道支部長を歴任すると共に,炉中性子物理,炉工学,パルス中性子利用,核融合研究,MHD発電機加速器工学の諸研究専門委員会委員長を歴任されました。
以上のように,先生は北海道大学及び他大学における教員歴は50年にわたり,この間北海道大学工学部長,評議員及び北海道尚志学園における学長,理事の要職を歴任され,教育研究及び大学行政の両面にわたって果たした功績は多大なものがあります。また,教育研究活動は極めて広い領域においていずれも国際的かつ独創的成果を挙げ,この間,国立他大学及び国の産業並びにエネルギー関係諸機関にいずれも十数年余の長きにわたり研究指導,助言及び安全管理審査等の面で尽力し,国の産業及びエネルギー行政に大きな貢献をしたもので,その功績は誠に顕著であり平成7年11月3日には勲二等瑞宝章が授与されました。
ここに謹んで先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
(工学研究科・工学部)
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