7月29日(木),大学文書館主催により第7回北海道大学史研究会を附属図書館4階大会議室で開催しました。当日は,学内外から34名が参加しました。逸見勝亮大学文書館長(理事・副学長)が「宮澤弘幸・レーン夫妻冤罪事件再考−北海道大学所蔵史料を中心に−」と題して報告し,白木沢旭児大学文書館副館長(文学研究科教授)がコメントを行ないました。
「宮澤弘幸・レーン夫妻冤罪事件」とは,日本がアメリカと開戦した1941(昭和16)年12月8日,北海道帝国大学工学部電気工学科2年生の宮澤弘幸と,彼と親交が深かったアメリカ人の予科英語教師ハロルド・レーン,ポーリン・レーン夫妻が軍機保護法違反の容疑で特高警察に逮捕され,懲役に処された事件です。宮澤弘幸は終戦後釈放されましたが,過酷な服役による罹病のため1947(昭和22)年2月22日早世しました。一方,1943(昭和18)年アメリカへ送還されたレーン夫妻は,終戦後にハロルド・レーンが新制の北海道大学で再び教鞭を執ることとなり,1951(昭和26)年再来日しました。この事件は,1987(昭和62)年,弁護士の故上田誠吉氏が大審院判決の所在と突き止め,冤罪であったことを明らかにしています。
逸見報告は,冤罪事件の全貌を明示した上田氏の一連の著作(1986〜88)を受けて,大学所蔵史料により,大学の対応を後付けました。そして,史料では,宮澤弘幸が「国家総動員法ニ依ル諜報問題」で逮捕されたと不正確な情報が記載されていること,拘留中に「家事上ノ都合」で退学するという形を取っていること,1945(昭和20)年12月21日「復学許可」がなされていることを明らかにし,その意味について言及しました。レーン夫妻については,逮捕後の外国人教師「解約」と戦後の再招聘の過程を追いました。
白木沢旭児副館長は,北大関係者が事件をどの程度把握していたか,強制送還されるレーン夫妻を札幌駅で見送った学生がストームを演じ得たかどうかについて,検証を行ないました。また,軍機保護法は治安維持法と異なり,個人の思想信条のあり方と関わりなく違反嫌疑が掛かるため冤罪立証や名誉回復が非常に困難であり,現代の「国家機密法」にも連なる問題であると指摘しました。 |
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研究会での質疑応答(逸見勝亮・白木沢旭児) |
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参加者からは,戦後に工学部電気工学科関係者が事件について触れることは全くなかったこと,戦時中に禁止されていたストームを学生が寮で行なっていたことなどの貴重な証言がありました。
本研究会では資料に基づいた実証的な北海道大学史研究の発表の場とし,学内外の方々と共に北海道大学の歴史に関する認識を深めていきます。 |
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(大学文書館) |
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