名誉教授中村通義氏は,平成22年7月4日肺炎のため逝去されました。ここに,同氏の生前のご功績を偲び,謹んで哀悼の意を表します。
同氏は昭和6年12月18日に北海道函館市に生まれ,昭和31年3月北海道大学経済学部経済学科を卒業,昭和33年3月同大学大学院経済学研究科修士課程を修了し,昭和36年3月同大学院同研究科博士課程単位修得退学,同年4月北海道大学経済学部助手に採用されました。その後,北海学園大学経済学部講師,同大同学部助教授勤務を経て,昭和45年1月北海道大学経済学部に助教授として採用され,昭和50年2月北海道大学経済学部教授に昇任され,平成7年3月31日停年により退職し,同年4月北海道大学名誉教授の称号を授与されました。
同氏は北海道大学に助教授として赴任以後,平成7年3月31日をもって停年退職されるまで,25年間にわたり,証券市場論(昭和45年から昭和52年まで),財務管理論(昭和53年から平成7年まで)を講じて学部学生の教育に尽くされ,併せて大学院経済学研究科をも担当され,その優れた学識をもって,大学院学生の教育と研究指導に当たり数多くの優れた人材を世に送り出されました。
研究面においては,当初はアメリカの銀行制度,中でもその集中過程に関する研究を行われました。当時の日本におけるアメリカ経済の研究は,産業企業の集中過程に重点が置かれ,それに対応する銀行の蓄積と集中についての研究は極めて手薄であり,同氏が昭和36年に発表された「アメリカにおける銀行の集中」はこの空白を埋める貴重な論文として注目されました。その後,同氏の関心は銀行制度だけではなく証券金融をも含む企業金融全般に向けられるようになり,対象とする時期も両大戦間期から第二次世界大戦後に及び,昭和39年に発表された「戦後アメリカにおける企業資金の需給」は第二次世界大戦後のアメリカ企業の資金需給の実態を銀行資金の借り入れ,株式の発行,社債の発行,自己金融等の各側面から実証的に解明し,この時点におけるアメリカの企業金融全般の精密な見取り図を提示しました。同氏はこの研究を進める中で,株式会社の機能をもっぱら株式発行による社会的資金の集中=自己資本化とする通説に疑問を抱かれ,昭和40年と41年に「株式会社と自己金融 その1・その2」を発表され,株式会社の資金調達が19世紀末から20世紀初頭にかけてのビック・ビジネス形成以降,もっぱら,あるいは,主として株式会社によるものであり,1930年代頃からそれに自己金融が加わるようになったものであるという通説に一石を投じました。同氏はこの研究を中心において,株式会社に関する学説の検討およびドイツ,アメリカ,イギリスの株式会社発展史を加えて昭和44年9月に「株式会社論」として公刊し,本研究は,株式会社の理論的・歴史的研究に新しい道を切り開いた優れた業績として高く評価されました。同氏の研究はその後,株式会社金融との関連で,19世紀末以降両大戦間期にいたる時期の資本主義経済の資本蓄積の機構をいかに解明すべきか,という方向へ進み,多数の研究成果を挙げ,多大なる功績を残されました。
同氏は教育者・研究者としての多大な貢献にとどまらず,学内においても,昭和58年8月から昭和60年7月まで評議員を務められ,大学行政にも参画されました。
また同氏は,昭和56年4月から平成7年3月まで,北海道地方労働委員会公益委員を務められ,平成3年11月,「労働行政における永年の功績」により労働大臣表彰を受けられました。
以上のように,同氏は研究者として優れた業績を挙げられ,学術の振興に貢献されたほか,教育者としても優秀な人材を数多く世に送り出され,我が国の高等教育ならびに学術の発展に大きく貢献されました。
ここに,謹んで先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
(経済学研究科・経済学部)
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