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名誉教授 鈴木 章 氏,2010年ノーベル賞授賞式へ

いよいよ授賞式
 10月6日のノーベル化学賞受賞決定から,鈴木章名誉教授と陽子夫人の生活は一変しました。もちろん,鈴木先生がよくおっしゃるように,「受賞前後で,気持ちは何も変わっていない」としても,数々の取材,公式行事など「人生で一番忙しい」日々を過ごされていることは確かです。
 また,ご夫妻以外では特に,鈴木先生の研究室出身である宮浦憲夫特任教授,原正治教授,石山竜生准教授,山本靖典助教は鈴木先生の人柄や研究に関する取材,撮影,原稿執筆に追われたことでしょう。
 随行者も,日本に残って様々な対応をした者も,全ての関係者が忙しくもやりがいのある日々を過ごし,いよいよ鈴木先生のノーベル賞授賞式を迎えることとなりました。
 
北大随行団
 鈴木先生には,陽子夫人,長女の恵理子さん,次女の里香子さんの他,本学からは本堂理事・副学長,工学研究院から馬場研究院長,宮浦特任教授,原教授,石山准教授,山本助教,触媒化学研究センターから高橋教授,北大病院から横田助教,国際本部国際連携課から野田課長,佐藤係長,総務部広報課から菅原主任,佐々木係員が随行しました。
 一連の行事に出席していたパデュー大学やストックホルム大学などの学長との意見交換など,今後のさらなる交流につながる有意義な場を作った執行部。鈴木先生に代わって研究内容をメディア向けに解説し,取材を受け,そして鈴木先生にも取材するなど大忙しだった共同研究者。ご夫妻のみならず,周囲の健康管理にも気を配ってくれた随行医師。手配関係,メディアなどとの渉外,記録などを担当した事務職員。ノーベル・ウィークを楽しみつつ,それぞれの役割を担えた良いチームでした。
 
ノーベル・アタッシェ夫妻との出会い
 ストックホルムでは,ノーベル財団が任命するノーベル・アタッシェが財団のルールに則って,受賞者ご夫妻の案内役から日程管理その他全ての窓口となります。鈴木先生のアタッシェはカイ・レイニウス在日スウェーデン大使館参事官。本来は一度限りの任命ですが,流暢な日本語を話し,日本人受賞者に関する経験豊富な彼は何と5度目の任命。スウェーデン語通訳もこなし,特に奥様へのきめ細やかなサポートをしてくださった豊子夫人と共に,鈴木先生のご家族が安心して,ノーベル・ウィークを楽しまれるように全力を尽くしていただいただけではなく,随行団にも温かなおもてなしをしてくださいました。日本を出発する前に,随行団の一部のメンバーとも会っていただき,ノーベル・ウィークとはどういうものか,どういう対応が必要なのかについて,ご教示いただけたことは,右も左もわからない私達にとって,とてもありがたいことでした。
 
ニュース発信の現場
 世界中の関心事項としてニュースが発信されるノーベル・ウィークという国際的な現場で取材を受け,各国のメディアと会えたことも大変印象に残りました。
 日本メディアの人数と取材の熱心さは他国を圧倒していましたが,それはおそらく,最近明るい話題が少ないということもさることながら,受賞対象となった研究内容のみならず,受賞者の人間性や国民が喜ぶようなエピソードを報道したいというメディアの熱意の表れなのだろうと思います。それだけに,随行団の広報・渉外担当者は,息の抜けない1週間でした。
 
鈴木先生とご家族
 鈴木先生に随行させていただき,世界中の学者にとって憧れであるノーベル賞を受賞することがいかに素晴らしいことか,そしてここに至るまでの過程が並大抵の苦労ではなかったであろうことを肌で感じることができました。
 しかし,その苦労を垣間見せることもなく,楽しそうに研究についてお話しされている先生の姿を拝見して,研究者としての素晴らしい体験を身近に感じることができました。
 また,鈴木先生は受賞者として各行事に加えて,メディアからの個別取材に応じるなど多忙を極めていたにも関わらず,いつも真摯に対応されていたことが大変印象的です。陽子夫人共に相当お疲れだったはずですが,お二人ともいつも周囲を気遣われ,困っている人がいれば,率先して手を差し伸べられ,また,笑顔でユーモアを交えながら楽しい場をいつも作ってくださいました。お二人の素晴らしい人間性に触れ,感謝すると共に大変勉強になりました。
 ノーベル・レクチャーや授賞式など,鈴木先生の研究の集大成となる場において,ご家族で喜びを分かち合っているその場所に共にいることができ,この上ない幸せを感じました。このような貴重な場に随行させてくださった鈴木先生にあらためて感謝申し上げます。
 
◆12月3日(金)日本出発前夜,駐日スウェーデン大使主催祝賀会
 新千歳空港につめかけた大勢の報道陣に見送られ,東京へ。
 夕刻,ステファン・ノレーン大使夫妻主催のノーベル賞受賞祝賀会に出席されました。過去の受賞者である江崎玲於奈博士(1973年物理),利根川進博士(1987年医学生理学),白川英樹博士(2000年化学),野依良治博士(2001年化学),田中耕一博士(2002年化学),小林誠博士(2008年物理学)各ご夫妻も出席され,これほど多くの日本人ノーベル賞受賞者が一同に会する場面はまさに圧巻です。鈴木先生,根岸先生ももちろん,受賞者たちは皆,分野を超えて楽しく語らい,木義明文部科学大臣ら多数のゲストと共に,喜びを分かち合っていました。
 また,大使夫妻と親交の深いピアニストの中村紘子さんが,ショパン「英雄ポロネーズ」などを演奏され,力強く情熱的な響きに,会場は大いに沸き立ちました。
 鈴木先生は,謝辞と共に「ストックホルムで,懐かしい研究者仲間と会うことが楽しみ」と語られました。

 
歴代の日本人ノーベル賞受賞者が一同に ノレーン大使を囲んで乾杯
歴代の日本人ノーベル賞受賞者が一堂に
 
 
  ノレーン大使を囲んで乾杯
 
◆12月4日(土)成田空港での出国会見,ストックホルム到着
 鈴木先生,根岸先生の共同記者会見を成田空港にて行った後,同日夜にアーランダ空港に到着。ストックホルム滞在中は,各受賞者ご夫妻に1台,ノーベル・マークが描かれた専用のリムジンが用意され,どこに行くにもこのリムジンに乗車することになります。そのリムジンが,ご夫妻を出迎え,ノーベル賞受賞者の定宿グランドホテルへ。
 ホテルのエントランス前には,大勢の報道陣が待ち構えていました。鈴木先生は,「こっちは寒いね。今年は札幌も暖かいからね」と半日がかりの長旅の疲れの中,笑顔で答えられました。
 ロビーには,今年のノーベル賞各賞のポスターが置かれるなど,6日(月)から始まるノーベル・ウィークに向け,準備が整えられていました。
 翌5日(日),ご夫妻は休養などに充てられました。

 
成田での出国会見 ホテル前でにこやかに取材に応じる鈴木先生 受賞者に届く招待状
成田での出国会見 ホテル前でにこやかに取材に応じる鈴木先生 受賞者に届く招待状
 
◆12月6日(月)ノーベル・ウィーク開始,「パリトキシン」模型寄贈,随行団親睦会
 鈴木先生ご夫妻が1日遅れで到着した工学研究院の面々とストックホルムで初対面。宮浦先生らは「日本では忙しくてなかなかお目にかかれませんが」と再会を喜びました。
 午前中,ノーベル博物館で開かれる受賞者顔合わせに参加されました。歴代の受賞者に続いて,ノーベル・ファミリーの一員として迎えられる行事です。この時に,各受賞者は自身の研究などに関わりのある物を寄贈品として持参することになっています。鈴木先生の寄贈品は書籍「Organoboranes in Organic Syntheses」と,鈴木カップリングで作った代表的な分子「パリトキシン」模型。
 この模型を提案し,現地での組み立てを担当したのが山本先生。5個に分割した模型を組み立てている最中から,「素晴らしい寄贈品だ」との声が寄せられました。鈴木先生から完成品を寄贈すると,周囲からもひときわ目立ち,博物館側も大喜びでした。
 その後,鈴木先生は館内のカフェで客が使う椅子座面の裏側にアルファベットで署名し,下に漢字でも名前を書かれました。この行事は,2001年の開館以来恒例となっています。
 夜は,1722年創業の伝統的なスウェーデン料理店「Den Gyldene Freden」に鈴木先生ご夫妻がレイニウスご夫妻と随行団を招待してくださいました。店内の個室で,楽しく大いに盛り上がりました。特に,昔はよく皆でお酒を飲んでいたという研究室の面々に,鈴木先生は「宮浦さんも飲めるようになったか」「原は,昔強かったな」「石山,最近はあまり飲まないのか」「山本がこの中では一番強いか」など懐かしく昔と変わらないであろうやりとり。受賞決定後,それぞれに忙しい日々を過ごし,初めて喜びを分かち合えた貴重な時間だったのではないでしょうか。レイニウスご夫妻と北大随行団との顔合わせの場ともなり,現地でお互いのコミュニケーションを円滑にする良い機会ともなりました。カイさんが美声でスウェーデンの歌を披露してくれたり,豊子さんが料理の説明をしてくれたり,本当にとても楽しい時が流れました。

 
ノーベル博物館職員に「パリトキシン」模型を 説明する鈴木先生   椅子の裏にサインをする鈴木先生
ノーベル博物館職員に「パリトキシン」
模型を説明する鈴木先生
  椅子の裏にサインをする鈴木先生
 
◆12月7日(火)王立科学アカデミー主催記者会見,レセプション
 朝から行われたスウェーデン王立科学アカデミー本部での記者会見では,物理学,化学,経済学賞の各受賞者が初めて揃う記者会見となりました。各国のプレスからの質問が寄せられる中,日本メディアの関心が日本人受賞者の鈴木先生,根岸先生に集中し,質問が相次ぎました。
 お二人は若者へのメッセージとして,好きな分野を追い続ける大切さを強調されました。鈴木先生は「私たちが受賞できたのは幸運だった。炭素と炭素をつなぐことで,様々な新しい物質を作ることができる。重要で面白い分野で,若い人にはもっと関心を持ってもらいたい」と話されました。授賞理由となった有機化学について「医薬品や液晶の材料など新しい物質をたくさん作り出せるのが面白い。日本はこの分野に強く,さらに活発になる」と分析,夢中になった分野を追い続けた人生を振り返られました。
 夕刻からスウェーデン王立科学アカデミー 本部で開かれたレセプションでは,ノーベル化学賞の選考委員でもあるストックホルム大学のヤン・ベックバル教授,またスクリプス研究所のK.C.ニコラウ博士など鈴木先生とも親交の深い有名化学者が数多く出席しており,随行団と共に,鈴木先生も久し振りの化学談義を大いに楽しまれているようでした。
 その後のディナーにはご夫妻と随行医師として横田先生が出席され,夜遅くお嬢様お二人が現地入りされました。

 
王立科学アカデミー主催の記者会見 記者からの質問に答える鈴木先生 パデュー大学フランス・A・コルドバ学長(左)とクリスチャン・J・フォスターディレクター(右)
王立科学アカデミー主催の記者会見 記者からの質問に答える鈴木先生 パデュー大学フランス・A・コルドバ学長(左)と
クリスチャン・J・フォスターディレクター(右)
 
◆12月8日(水)ノーベル・レクチャー,ノーベル賞コンサート
 鈴木先生ご夫妻は,随行団より一足早くホテルを出発し,ノーベル・レクチャー会場となるストックホルム大学の講堂アウラ・マグナへ。
 この日は,ストックホルム入りしてから一番の晴れ模様。明るい日が差す中,長女の恵理子さん,次女の里香子さんも我々と共にバスに乗り込み,会場へ向かいます。
 講演タイトルは,「Cross-coupling Reactions of Organoboranes: An Easy Way for C-C Bonding」。堂々と,落ち着いていつもどおりに講演される鈴木先生ですが,いつもと違うのは,ノーベル・レクチャーという最高の晴れ舞台であるということ。学生や市民ら約1,200人の聴衆を魅了されました。
 鈴木先生による2010年ノーベル・レクチャーの概要は,以下のとおりです。
 「1965年から,我々は有機ホウ素化合物を利用する有機合成に関する研究を北大で続け,多くの成果を報告してきたが,1970年代の後半頃から遷移金属触媒の存在下,有機ホウ素化合物と有機ハロゲン化合物のクロス・カップリング反応でC−C結合を作ることを考えていた。
 しかし有機ホウ素化合物の反応性が低く,カップリング反応を実現することができなかった。その後,パラジュウム触媒と塩基の存在下,総ての種類の有機ホウ素化合物が多くの有機ハロゲン化物と反応し,期待するC−C結合を作ることが可能であることが明らかになった。この反応の一つとして有機芳香核同士を結合させる反応があるが,この反応は製薬化学,農薬化学の分野だけでなく,多くの分野で世界的に利用されている。
 例えば,スイスのノバルティスファーマが販売するバルサルタン(一般名)は大変優れた血圧降下剤で,世界で約2,200万人が使っている。また,ドイツの化学会社BASFは殺菌剤の製造に,日本のチッソなどは液晶製造に利用しているほか,有機ELのポリマー材料などの製造が検討されている」。
 レクチャー後は,ストックホルム大学の学生らがステージ下に詰めかけ,科学アカデミーが作成した記念ポスターを片手に,鈴木先生を取り囲みサインを求めました。鈴木先生は「何枚サインが必要?3枚?OK」と終始笑顔で若者たちの求めに応じられました。
 ノーベル・レクチャーの原稿やスライドは事前に科学アカデミーや財団以外に渡すことは厳禁とされています。しかし,日本メディアは締め切りの関係で,講演後すぐに記事を書かなければならず,専門的な内容を理解することが困難となります。そこで,講演終了後にステージ前で山本先生から,講演概要を日本メディア向けにわかりやすく解説し質問にも応じてもらいました。
 講演後にはノーベル化学賞受賞の3人が揃って,各国メディアが集まるノーベル財団主催の記者会見に出席され,「日本では定年になったら自分のリサーチを続けることはまず不可能で,続けられるのはレアケース。それが日本の組織の悪いところだ。米国では定年はない。自分で資金を集められれば,研究を続けられる」と述べられました。
 夜には,市内中心部のコンサートホールで,恒例のノーベル賞コンサートが開かれました。米クラシック界の人気男性バイオリニスト,ジョシュア・ベル氏がロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団とともにチャイコフスキーのバイオリン協奏曲を熱演。インディアナ州出身のベル氏。パデュー大学もインディアナ州ということで,鈴木先生,根岸先生は大いに喜ばれたようです。

 
ノーベル・レクチャー前の鈴木先生と根岸英一パデュー大学特別教授,リチャード・F・ヘックデラウェア大学名誉教授 鈴木先生によるノーベル・レクチャー 聴衆を引き込む鈴木先生の発表The Nobel Foundation 2010
ノーベル・レクチャー前の鈴木先生と
根岸英一パデュー大学特別教授,
リチャード・F・ヘックデラウェア大学名誉教授
©The Nobel Foundation 2010
鈴木先生によるノーベル・レクチャー 聴衆を引き込む鈴木先生の発表
©The Nobel Foundation 2010
 
◆12月9日(木)日本大使主催昼食会,日本メディア向け記者会見,ノーベル財団レセプション
 渡辺芳樹駐スウェーデン日本大使主催昼食会がグランドホテルで開かれ,大勢の現地日本人も参加し,鈴木先生はサインや記念撮影に応じられました。
 その後,日本メディア向けの記者会見に出席され,ストックホルム到着以来の慌ただしい数日間を振り返るとともに,今後の研究への意欲を語られました。鈴木先生は「受賞が決まってからこんなに忙しかったのは初めて。もう帰りたい」としながらも「帰国後は論文執筆や講演もあるなど,賞を受けるのは大変なことだと改めて感じている」と述べられました。
 鈴木先生は恩師で1979年ノーベル化学賞受賞者の故ハーバート・C・ブラウン博士から生前,ご自分と根岸先生を「ノーベル賞にノミネートした」と聞いていたが,博士が亡くなり「受賞は期待していなかった」というエピソードを披露されました。
 夕刻からは,ノルディック博物館にて,ノーベル財団主催のレセプションが開かれました。入場の際には招待状と共にパスポートなどのID提示も求められる警備の厳しいもの。天井が高く,厳粛な雰囲気の漂う会場で,鈴木先生は随行団やシカゴ大学の山本尚教授,マサチューセッツ工科大学のグレゴリー・C・フー教授,東北大学の山本嘉則教授,京都大学の杉野目道紀教授などと歓談や記念撮影を楽しまれました。

 
謝辞を述べる鈴木先生 大勢の現地日本人在住者から喜びの声 鈴木先生,根岸先生揃って笑顔の記者会見
謝辞を述べる鈴木先生 大勢の現地日本人在住者から喜びの声 鈴木先生,根岸先生揃って笑顔の記者会見
幻想的なレセプション会場 鈴木先生ご夫妻,レイニウスご夫妻と
幻想的なレセプション会場 鈴木先生ご夫妻,レイニウスご夫妻と
 
◆12月10日(金)授賞式,晩餐会
 授賞式,晩餐会ともに男性は燕尾服,女性はロング・イブニングドレスまたは民族衣装で,招待状とID提示を求められます。
 鈴木先生は,ホテル出発前に,家族写真や随行団との記念写真を撮影。
 会場は,一昨日訪れたコンサートホール。華やかさに厳かな雰囲気が加わり,ステージ床には鮮やかで深いブルーの絨毯に金色でNに丸模様。陽子夫人とお嬢様二人は,1階2列目中央の家族席に,随行団は他の受賞者の随行者と共に,3階席ステージ向かって右手に着席。ステージは少し遠いですが,全体がよく見渡せます。
 授賞式は,物理学,化学,医学生理学,文学,経済学の順番に行われ,スウェーデン語と英語で選考理由が読み上げられた後,カール16世グスタフ国王自ら,記念の金メダルとディプロマを受賞者一人ずつに手渡されます。各賞の授賞が終わる毎に,音楽の生演奏で,ますます荘厳な雰囲気となります。
 いよいよ鈴木先生が授与される時,随行団もピンと背筋を伸ばします。鈴木先生は他の受賞者同様に国王,アルフレッド・ノーベルの銅像,聴衆に3回お辞儀。メダルは直径66mm,約200g。化学賞のメダルの表にはアルフレッド・ノーベルの肖像,裏にはラテン語が彫られ,古代ローマの叙事詩からの引用といわれる「人生が技芸の発明によって美しくなるのを快く眺めんことを」という文言と共にA. Suzukiと彫られています。
 鈴木先生は,式終了後も,ステージ上で関係者と談笑したり,記念撮影に応じられていました。
 その後は,市庁舎に移動し,1階「青の間」で晩餐会に出席となります。会場入口のクローク前には,約1,300名分の座席表である小冊子が山積みされており,招待客はこの表を頼りに自分の席を見つけます。出席者の使用言語や人間関係など,細かなバランスを見ながら,席を決めるのだそうです。注目の食事メニューについては,ノーベル賞と同様,発表当日まで極秘とされますが,今年は,前菜「カモのテリーヌ」,魚料理「白身魚のトリュフ入りブラウンソース」,デザート「チョコレートのオレンジババロア」で,料理に合わせた飲み物が彩ります。料理の合間にミュージカルなどの余興もあり,リラックスした雰囲気の中,約1,300名の食事をテーブルごとに瞬く間に給仕するスタッフの姿はまさに圧巻です。ホールスタッフは300人以上とも言われます。
 晩餐会の後は,2階の「黄金の間」で恒例の舞踏会が催されます。フォーマルというよりは派手で激しい音楽に合わせて多くの招待客が踊ります。鈴木先生ご夫妻は別室にて,カール16世グスタフ国王,シルヴィア王妃に謁見された後,ホテルへ戻られました。

 
授賞式前に鈴木先生と随行団一同 授賞式後,ディプロマと共に
授賞式前に鈴木先生と随行団一同 授賞式後,ディプロマと共に
カール16世グスタフ国王からメダルとディプロマを授与 授与後,ステージで満場の拍手を受ける鈴木先生
カール16世グスタフ国王からメダルとディプロマを授与
©The Nobel Foundation 2010
授与後,ステージで満場の拍手を受ける鈴木先生
©The Nobel Foundation 2010
 
◆12月11日(土)文部科学大臣主催昼食会,王宮バンケット
 鈴木先生,根岸先生両ご夫妻で,木義明文部科学大臣主催の昼食会に出席されました。
 昼食会に先立って報道陣の取材に応じた鈴木先生は,「いつもと同じだよ」とおっしゃいながらも,リラックスした満面の笑顔。「昨夜は疲れたけど,晩餐会は料理もおいしくて楽しかった。日本ではなかなかできない経験だしね」。さらに「僕は医師も同行しているし,ぐっすり寝て体も問題ないけれど,報道の皆さんは風邪などひかないように」と気遣われました。
 ノーベル賞をもう一度取りたいか,との質問には「impossibleでしょう」と笑顔でコメント。
 夜は王宮バンケットに鈴木先生ご夫妻が出席され,深夜にホテルへ戻られました。お疲れにもかかわらず,テレビカメラにもにこやかに対応。翌日日本に帰国されるからか,ご夫妻共ほっとした表情に見えました。

 
木文部科学大臣を囲んで
木文部科学大臣を囲んで
 
◆12月12日(日)ストックホルム出発,12月13日(月)成田空港・新千歳空港での帰国会見
 午前中,ホテルで日本の新聞各社による合同取材。メダルやディプロマを見せてほしいとのリクエストに応じられ,ノーベル・ウィークを終えての感想や帰国後にしたいことなどを答えられました。
 午後には,随行団が一足早く,そして鈴木先生ご夫妻は約1時間後に専用リムジンにてアーランダ空港に到着し,飛行機内で合流しました。機材トラブルや雪害のため,定刻より少し遅れたものの翌13日夕方,成田空港に到着し,少しの休憩を挟んで,会議室で帰国後初の記者会見を開催しました。「現地で知らない人からもおめでとうと声をかけられ,嬉しかった」,「国王からメダルを渡されたときは本当に感動した」,「子供たちに理科の大切さを知ってもらうのが私の責任」など,笑顔でコメントされました。
 新千歳空港到着後は,到着ロビー前にメディアだけではなく,一般の方も大勢集まりました。「無事,色々な行事も終わりました。受賞の発表以来,長い間お世話になり,ありがとうございました」。「(北海道の)皆さんに喜んでもらえて非常に嬉しい」と話され,「私にとって一番はやはりノーベル・レクチャー」と,ストックホルムでの日々を振り返られました。道内の研究者や学生に対しては,「札幌は研究都市として非常にいい環境にある。田舎だからなんてエクスキューズにならないから頑張ってほしい」とエールを送られました。

 
日本の新聞各社による取材でメダルを披露 成田空港での帰国会見 新千歳空港での帰国会見
日本の新聞各社による取材でメダルを披露 成田空港での帰国会見 新千歳空港での帰国会見
 
◆12月15日(水)総長表敬
 鈴木先生は,佐伯総長への授賞式報告のため,本学を訪問されました。ノーベル・メダルとディプロマを披露されてから,北欧に詳しい総長と現地での様子などについて懇談され,メダルのレプリカ二つを大学に寄贈してくださいました。一つは総長室に,もう一つは総合博物館に展示される予定です。

 
メダルとディプロマを前に総長と懇談
メダルとディプロマを前に総長と懇談
 
 
 
 鈴木先生,このたびのノーベル化学賞受賞,本当におめでとうございます。
 高い志と夢を持って,自分のやりたいことを純粋誠実に続けることの大切さ「精進努力」を,本学の学生,教職員のみならず世界中の人々の心に強く響かせてくださいました。
 ご夫妻の益々のご健康を祈念申し上げますと共に,このたびの随行という栄誉に心から感謝申し上げます。
 
(北大随行団:文責 本堂)
 

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