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上田誠吉旧蔵宮澤・レーン事件関係資料を大学文書館が受贈

 11月29日(火),上田誠吉旧蔵宮澤・レーン事件関係資料を,上田圭子夫人から,大学文書館にご寄贈いただきました。
 1941(昭和16)年12月8日,北海道帝国大学工学部2年生の宮澤弘幸(1919−1947),いずれも予科英語教師のハロルド・レーン(1892−1963),ポーリン・レーン(1892−1966)らが軍機保護法違犯で逮捕されました。1943(昭和18)年5月に宮澤弘幸とハロルドは懲役15年,ポーリンは懲役12年が確定しました。これが宮澤・レーン事件です。レーン夫妻は1943年9月に強制送還処分となりアメリカに帰国しましたが,宮澤弘幸はGHQの指令で釈放される1945(昭和20)年10月まで服役し,4年に及ぶ苛酷な拘禁生活がもととなり1947(昭和22)年2月に逝去しました。
 弁護士の上田誠吉氏(1926−2009)は,1980年代に国家秘密法反対の立場から,戦前の軍機保護法に関わる宮澤・レーン事件を調査されました。宮澤弘幸とレーン夫妻の大審院判決から事件の全貌を明らかにし,関係者の証言や資料を収集して,この事件が冤罪であることを究明しました。また,宮澤弘幸のご遺族,友人であった人類学者フォスコ・マライーニや,レーン夫妻のもとに集った人々の証言・写真・関係資料などから,宮澤弘幸やレーン夫妻の足跡を追って関係者の思いに迫り,『ある北大生の受難』(朝日新聞社,1987年)や『人間の絆を求めて』(花伝社,1988年)を著しました。
 受贈した資料は,上田誠吉氏がこれらの調査に当たって収集した,関係者との往復書簡,関連裁判の判決のコピー,写真,上田誠吉氏の原稿・ノート類など段ボール箱3箱分の資料です。資料寄贈に当たっては,上田誠吉氏と共に宮澤・レーン事件の究明をされた弁護士 藤原真由美氏にご仲介いただきました。
 今後,大学文書館で資料目録を作成し,個人情報に留意して利用に供せるよう整理を進めます。

右端前が宮澤弘幸,その左隣がレーン夫妻(1939年) 大審院判決のコピー
右端前が宮澤弘幸,その左隣がレーン夫妻(1939年) 大審院判決のコピー

(大学文書館)


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