スラブ研究センターは,4月1日付けでスラブ・ユーラシア研究センターに改称しました。
スラブ研究センターという名称は,1953年に開設された前身,スラヴ研究室に遡ります。ソ連・東欧諸国の研究を設置目的としたにもかかわらず,ソ連・東欧という言葉が冷戦期に帯びていたイデオロギー的ニュアンスを鑑み,あえてスラブを名乗ったのは,先人の知恵でした。しかし(旧)ソ連・東欧が,スラブ系だけではなく,テュルク,フィン・ウゴル,カフカス,バルトといったさまざまな系統の言語・民族が存在する地域であることを考えれば,この名称には実態とのずれがありました。
特にソ連とユーゴスラヴィアの解体後は,非スラブ系の独立国が増え,旧ソ連・東欧地域全体を「スラブ」と呼ぶのはますます難しくなりました。現在,旧ソ連・東欧の29の独立国(非承認国家を除く)のうち,16が主に非スラブ系の民族が住む国であり,ロシア連邦の中にも,非スラブ系の共和国・自治管区などが多くあります。センターでも1990年代半ば以降,中央ユーラシアなど非スラブ地域の研究に本格的に取り組むようになるにつれ,非スラブ諸国の方々から,スラブ研究センターという名前は実状に合っていないという指摘をたびたび受けるようになりました。
旧ソ連・東欧をどのような新しい地域名称で呼ぶか,この地域を研究する機関の名称をどうするかは,世界中の研究者たちが頭を悩ませてきた問題であり,何らかの形で「ユーラシア」という言葉を使うことが増えてきました。センターでは「スラブ・ユーラシア」という言葉を考案し,重点領域研究「スラブ・ユーラシアの変動:自存と共存の条件」(1995〜1997年度),21世紀COEプログラム「スラブ・ユーラシア学の構築:中域圏の形成と地球化」(2003〜2007年度)をはじめとするさまざまな研究プロジェクトや,国際シンポジウム,出版物などで使ってきました。
さらに近年センターは,新学術領域研究「ユーラシア地域大国の比較研究」(2008〜2012年度),グローバルCOEプログラム「境界研究の拠点形成:スラブ・ユーラシアと世界」(2009〜2013年度)等で,中国,インド,中東など,旧ソ連・東欧以外のユーラシア諸地域の研究とも連携を深めてきました。ユーラシア全域を視野に入れた研究機関としての存在価値をアピールするため,発展的な改名を考えるべきだというご意見も外部からいただきました。
以上のような経緯で,旧ソ連・東欧地域の文化的な多様性,およびユーラシア諸地域の研究をつなぐハブとしてのセンターの機能を名称に反映させるため,スラブ・ユーラシア研究センターへの改称を決定するに至りました。
これを記念して,4月7日(月)に,シンポジウム「スラブ・ユーラシア研究の新しいアイデンティティ」をスラブ・ユーラシア研究センターにおいて開催しました。宇山智彦センター長による改称趣旨説明の後,田畑伸一郎教授の司会のもと,下記の講演・報告が行われ,計44人が参加しました。
皆川修吾名誉教授の講演は,1990年代にセンターの活動が拡大・発展した時期に行われた全国的共同研究の成果と苦労を偲ばせるものでした。ラウンドテーブルでは,地域研究の目的と理論的射程,地域研究者ならではの比較研究のあり方,現地調査で得られる感覚の意義,言語研究の地域研究への寄与と国際化の現状,地域研究における空間論・地誌・民族誌の重要性などが論じられました。フロアを交えての討論では,スラブやユーラシアという言葉が,スラブ主義・ユーラシア主義との関係で持ちうるイデオロギー性,最近のウクライナ情勢から浮かび上がる,帝国論と境界研究の接合の必要性などが活発に議論されました。スラブ・ユーラシア研究の活力と,さらなる発展の可能性をうかがわせるシンポジウムとなりました。
今回の改称は,一面では旧ソ連の中のアジア諸地域に関する研究の発展を反映するものですが,センターがスラブ研究や中東欧研究を軽視することを意味するわけでは決してありません。むしろ近年は,かつて手薄だったスラブ諸言語・文化研究の充実に取り組んでいます。旧ソ連・東欧の中のスラブ地域と非スラブ地域の研究を両立させ,同時に旧ソ連・東欧以外の地域の研究とも連携することが,可能であり有効であることを,センターの歩み・取り組みは実証してきました。センターは今後とも,スラブ研究とユーラシア研究双方の拠点であり続けたいと考えています。皆様のご支援・ご協力をお願い申し上げます。