監事は国立大学等90組織の健全な発展に資するために,国民目線を心掛け監査の有用性に努めるべく文部科学大臣の辞令を経て学内に席を置く立場であるが,法人化された平成16年度以来,新規に設けられた監事職に関する規程はどの大学にも詳細は無く,監事それぞれの創意工夫で業務がなされてきた。第2期中期目標期間の始まる平成22年度に着任したが「何をすれば良いのか」といった他大学からの質問が多く,平成24年1月に業務遂行に資する『参考指針』を策定し,共有してきた。それから2年余を経た平成26年6月に学校教育法,独立行政法人通則法,国立大学法人法の一部が改正と相成り,僅かではあるが監事の義務・責任が明記された。この法に準拠して協議会では『改訂参考指針』を検討中である。この12月初旬に本学で開催される監事協議会総会で日の目を見る予定であるが,実に法人化後12年の歳月をかけた後に,監事の役割が一定程度明確になりそうである。法の改正は大学組織の民主的一体性を前提に,執行部による責任ある学内行政をより強固にしようとするものと解釈しているが,これに伴い監事の役割もこの趣旨を踏まえ,大学の持続的発展に繋がるように心掛けていきたい。本稿はこうした経緯を踏まえた監事の機能について,学内関係者のご理解とご協力をお願いする趣旨で編集担当課に掲載を依頼したものである。
今回の大学関連法の改正は,企業におけるコーポレートガバナンスに準拠した内容と考えるが,「大学とは何か」「大学は誰のものか」という原点に立てば,企業ほど簡潔な結論が得られるものではない。企業では不祥事や経営トップの独走などに対し,法人としての社会的責任(良質で適正な価格の商品・サービスの提供,雇用,納税,株主への配当及び社会貢献)を果たし,ステークホルダーの利益を守ることを目的として「企業統治(ガバナンス)」が図られている。一方,平成18年に改正された教育基本法では「大学は学術の中心として高い教養と専門的能力を培うとともに,深く真理を探究して新たな知見を創造し,これらの成果を広く社会に提供することにより,社会の発展に寄与する」とされ,教育・研究に加え社会貢献が大学の社会的責任として明確化された。しかしながら,大学のステークホルダーは多様・多層であり,学長による統治の出発点はステークホルダーからの信託に始まる訳であるから,ガバナンスの在り方への結論を得るのは複雑かつ難しい。ともあれ,これらをより正しく実行するためには,大学も企業も経営マネジメント,内部統制(内部監督),計画と評価,監査を骨格とした体制の確立と情報公開,経営責任なども先ずは明確にしなければならない。こうした経過の中で,大学の監事は様々な制約はあるものの,現場の監査を通じてガバナンスの仕組みや内部統制システムが有効に機能しているのかを検証し,これを阻害する要因があれば学内組織や主務官庁に対して指摘し,現状では判断が付き難いものも含めて将来の正答の糧になろうとするものである。
第3期中期目標・中期計画の立案・策定を目前にしている現在,平成25年6月に始まる今日の大学改革加速期間で思い出すのは,平成13年6月の「遠山プラン」である。「大学が変わる,日本を変える」,曰く日本資本主義の競争力回復,大学を起点とする日本経済活性化,産業競争力優先の大学改革,産学官連携等々であったが,改革の底流として当時の「国立大学の再編・統合」「民間的発想の経営手法」「第三者評価による競争原理」などが今も受け継がれている。政界・財界から揺さぶられたカイカクの機会は悪いことではないが,その指摘や成果については今後を待たなければならない点は既に述べた。大学の機能強化策としての3つの枠組みや人文社会科学系学部の廃止や改組などに対しては,教学ガバナンスをどのように捉えるのか,大学の独自性・自主性に関しても政府へのリアクションではない立場でいかに発揮するのかという観点から,教育研究評議会の機能が重要であり,同会の運営が現状で妥当なのかに関しては再考の余地があろう。
システムや仕組みの整備状況が有効に働いているのかを見届ける監事の役割には限界がある。教職員に比して全学を広く浅く捉えている点に自負はあるものの,一人の監事が12学部を擁する総合大学の現場を詳細に把握することは極めて困難である。言うまでもなく人材育成目標の点検,教育研究の自由の確保,イノベーションの源である自由な発想と研究者の好奇心に基づく基礎研究などが,政治権力から独立しているのかなど,学内関係者は自覚していかねばならない。先ず教員は世間からの高踏的との批判から脱し,本学の基本理念を実質化する人材育成の具体的方針を各人が自覚・検証し,学生が不得意とするコミュニケーション術を駆使し,学内に在って隠し事の無い部局を超えた教員間の交流を拡大していく自己改革こそが大学改革の前提であると確信している。蛇足になるが教職員同士では言い難い面もあるであろうし,監事も使いようではないのかと思うこの頃である。