![]() − その参 − 政治学研究のパラダイス
1994年のある日、私の米コロンビア大学の先生であるキャロル・グラック教授が、こんな電話をかけてきた。 「北大法学部の古矢旬教授が、民主主義の研究のため外国人助手を募集するので有望な若手の推薦を求めてきたのよ。戦後日本の天皇制と民主主義に関する博士論文を準備中のあなたには、お誂え向きの話だと思うけれど、応募してみる?」 応募してみた。そして採用となった1994年10月、緊張気味で着任した。すると、北大はまるで「パラダイス」だった。『国民の天皇』という私の研究を可能にしてくれる情報の中心だったのである。高見勝利先生(当時法学部教授。現北大名誉教授)は、日本の法体系における天皇について、学問的に指導してくれた。(その成果は私の著作『国民の天皇』の2・3章に記した。)また高木博志先生(当時文学部助教授、現京都大学教授)は、天皇制の歴史の専門家で、私を指導してくれただけでなく、私のテーマに関連する仕事をしている日本近代史研究の専門家たちを幅広く紹介してくれた。 そして最も印象深いのは、法学部政治講座の教授たちだった。たとえば川崎修、松浦正孝、山口二郎、中村研一、古矢旬、中野勝郎など、すばらしい学者が、惜しみなく彼らの知る一切を教えてくれた。かれらは疲れ果てるまで私との議論に付き合ってくれ、「お前は歓迎されている」と感じさせ、研究の糸口と刺激を与えてくれ、研究の方向に関して建設的な批判をしてくれた。 「政治学研究会」という名の彼らの研究会は、まさに研究会のお手本だった。報告者には、もちろん研究者として敬意が払われた。しかし、研究会に提起された論点は、参加者全員が次から次へと展開する知的で刺激的な報告者そっちのけの討議の輪に飲み込まれてしまう。しかも参加者は、院生もシニアな教授も身分に関係なく発言するのだ。 さて、研究会が終わると報告者は、通常「牛舎(ギット)」という名のステーキ・レストランに招待される。そこの二人のマスターは、研究会の常連にとって、古いなじみである。そしてステーキとワインを前に、研究会の議論の第二ラウンドが、冗談を言い合いながら延々と続いていくのだ。 私は北大に来て1年くらいたってようやく、彼らの冗談の意味がわかるようになった。しかも、先生方が私を歓迎する気持ちのおかげで、この知的共同体の「一員である」と感じるようになった。だから1996年8月に北大を離れ米国に帰国するときは、本当に寂しかった。しかし、とてもうれしいことには、2年近い北大在職中に多くの人たちのとの交流が深まり、その後ときどき日本を訪れる機会を得ることができるようになった。、そして、そのたびに北大の古い友人と会えるのは、とてもうれしいことなのである。
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