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アインシュタイン・ドーム 総合博物館 松枝 大治
荘重な車寄せをくぐって中へ入ると、淡い褐色の大理石の柱とこれも同じ大理石の手すりが目に飛び込んでくる。階段は三階まで吹き抜けになっており、誘われるままに見上げると、高い天井は陽をうけて柔らかく輝いている真っ白いドームである。おおらかな曲線に支えられたふくよかな半円球の天井は、アインシュタイン・ドームと呼ばれている。北大総合博物館正面に位置する、身体も気分も舞い上がるような空間である。階段全体を淡く照らし出す光の源かと見まごうドームは、ここを訪れるひとびとに格別に強い印象を刻み込む。繊細な光は、季節毎にまた日によってさらに細やかな変化を見せるので、訪ねる度にいつも新鮮である。 総合博物館は、1999年までは理学部本館であった。旧理学部本館は1930年4月の北海道帝国大学理学部創設に先だって、1929年11月に完成した。札幌における最初の本格的な鉄筋コンクリート造りの建築として当時から注目を集めていた。外壁がスクラッチタイルおよびテラコッタ張りで、要所に植物のレリーフを施してある三階の建物は、玄関左右にクルフネツツジをしたがえ、ハルニレの巨木に囲まれてメイン・ストリートに面している。 さて、アインシュタイン・ドームである。アインシュタイン・ドームのアインシュタインとは、一般相対性理論を唱え(1916年)、ノーベル物理学賞を受賞(1921年)し、ロマン・ローランらとともに平和主義運動にも従事していた、20〜21世紀を通じて最も高名な学者であるアルバート・アインシュタインの名にちなんでいる。ここをアインシュタイン・ドームと呼ぶようになったいきさつは、杉山滋郎理学研究科教授によれば次のようである。 1935年から理学部教授となった堀健男は、一般相対性理論を検証するためにポツダムに建造された「アインシュタイン塔」を1926年に訪ねた。理学部のドームは、「アインシュタイン塔」の吹き抜けやドーム状天井ととてもよく似ていた。堀の北大着任当時は、日本の天文学・物理学界でも「アインシュタイン塔」が話題にのぼっており、専門分野・分光学との関係で「アインシュタイン塔」に強い関心を持った堀が率先してアインシュタイン・ドームと呼んだ。 三階まで昇れば、四方から射す自然光の魔法でドームは一層親しみやを増す。しかも、壁面を飾っている「ぶどうと桃などの果物」(東)、「ひまわり」(南)、「コウモリ」(西)、「ミミズク」(北)のレリーフ(円形、陶製)に思わず目を瞠る。それぞれ、朝・昼・夕・夜を意味するフランス語が記されているレリーフは、昼夜を分かたず研究に勤しみ、世界の理学研究のメッカにしたいという理学部創設時の教授たちの理想を象徴している。 アインシュタイン・ドームでは、新しい学部を創ったひとびとの意思を想像して居住まいを正さずにはいられない思索のための空間であり、光に全身をゆだねるに格好の場所でもある。
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