【対談「総長が訊く」】

航空業界とアカデミアの連携が
新たな価値を生み出す


ゲスト
赤坂 祐二
日本航空株式会社 代表取締役会長/安全統括管理者

日本を代表する航空会社、日本航空株式会社(以下、日本航空)。2022年に北海道大学と連携協定を締結した。現会長の赤坂祐二氏は、入社以来、航空機の安全を守る整備部門の最前線で活躍してきたスペシャリスト。代表取締役社長時代に遭遇したパンデミックを乗り越え、航空業界のカーボンニュートラルにも取り組んでいる。
比類なき大学を目指して改革を進める寳金清博総長が、赤坂氏に、航空業界に職を志した経緯や、故郷である北海道への思い、今後の展望について話を伺った。




飛行機を「作る側」から「使う側」へ

寳金 高校まで札幌で過ごされて、子供の頃に、現職につながるような経験はありましたか。


赤坂 子供の頃は、夏は野球、冬はスキーをしていました。今の職業に少しつながるとすれば、荒井山シャンツェでスキージャンプをしていたことでしょうか。

寳金 まさに「飛ぶ」ということに関係していますね。

赤坂 大学は航空学科に進み、卒論テーマもスキージャンプでした。模型飛行機(Uコン)が趣味で、飛行機の設計を仕事にしたいと高校2年生の時に思ったんです。どこで勉強できるのか調べてみると、残念ながら北海道大学にはそのような学科がなかったので、これは結構ショックでしたね。

寳金 それで東京大学の工学部へ進まれたんですね。就職活動の際、日本航空をはじめから志望していたのでしょうか。

赤坂 いえ、私が研究していたのはいわゆる設計で、しかも空気力学の分野でしたので、例えば重工業界などを考えていました。研究室内では自動車メーカーへの就職希望者が多かったです。

寳金 よく考えると、日本航空は飛行機を作る会社ではないですものね。

赤坂 ほぼ重工系に決めていたのですが、ちょうどその時期、1985年の8月に御巣鷹山の事故があって。航空業界はこのままじゃいけないと思って日本航空に決めました。


寳金 あのような事故が起こると日本航空に対してネガティブになり、選択しない方が多いのかと考えますが、どのような思いだったのでしょうか。

赤坂 これは航空業界全体として非常にまずい、と思いました。私は飛行機を「作る側」の勉強をしていましたが、「使う側」をしっかりしないと、飛行機そのものが必要とされなくなってしまうと思ったのです。もうひとつ、「使う側」として飛行機をより安全で社会の役に立つものとすることに、何か役に立てないかなと。そういう意味では、この業界に入った経緯はかなり偶然だったと思います。

寳金 そのような思いから整備部門に入るというのは、私から見ると必然的なものを感じます。どのようにキャリアを重ねられたのか教えてください。

赤坂 現場で飛行機の壊れた部品を交換することから始まり、その後は整備をどう組み立てるかという計画の仕事をして、次は品質管理です。これがキャリアの中では一番長かったんですが、「信頼性管理」と呼ばれる、飛行何時間ごとに部品を交換するかの検討や、ヒューマンエラー対策の仕組み作りを担当していました。

寳金 安全が航空業界の根幹ですから、その最前線ですね。飛行機のメカニズムは複雑で、ちょっとした整備の不備が事故につながりますし、きわめて緊張感のある仕事だと思います。

赤坂 ただ最近では、飛行機自体が不具合を自分で検知できるようになりました。いわゆる「予測整備」と呼ばれる分野で、AI(人工知能)の導入によって劇的に変化した部分です。とはいえ、ベテランの経験や勘も欠かせません。


カーボンニュートラルへの取り組み

寳金 私がいた医療業界では医者を中心とした組織構造があり、その構造から脱却するのに苦労しています。航空業界ではパイロットが1番上に見られているような気がしますが、会長のように整備部門からトップに立たれるのは、業界内では異例のことなのでしょうか。

赤坂 航空会社は管理系と現場系に分かれ、かつてのマネジメントは管理系の人が「会社の経営をどうするか」という視点で取り組んできました。今はその境界がなくなってきて、航空会社の経営において一番の要素は「安全」ですから、現場系が持つ安全に対する知見や信念を、経営に生かすことが求められている気がします。

寳金 会長が社長をされていた時期は、まさにパンデミックの真っただ中で、航空会社にとって非常に多難であったと思います。今振り返られて、いかがですか。


赤坂 ほぼ売り上げのない時期がしばらくあって、本当に生きた心地がしませんでした。ただ、必ずどこかでコロナは終息するから、なんとかそこまで耐えられればと。そのためには、自分たちの持っている資源や資産をいかに温存するかに心を砕きました。

寳金 私は大学経営の中で、これまで大きなピンチを経験していません。状況が不安になると人の気持ちも荒れますよね。その中で、会社の代表を務めることは、とても大変だっただろうと想像します。

赤坂 飛行機を飛ばせないわけですから、仕事がないんですよ。社員に聞くと、自分が世の中の役に立っていない感覚になったようです。初めて2千人以上の社員を出向に出しました。その先々で高い評価をいただいて、「自分たちも役に立っている」と感じてもらえたことは、非常に良かったと思います。本当にみんなよくやってくれました。

寳金 人材が生命線ですものね。また、航空会社はパンデミックと同時にゼロカーボンという大きな流れに直面されました。2050年に向けて、非常に目標の高いチャレンジだと思います。我々もScope3(スコープ3)といって、飛行機に乗ることで間接的にCO2を排出してしまう意識があります。これらに対するお考えをお聞かせください。

赤坂 カーボンニュートラルの話は大きな課題としてとらえられています。航空業界で排出されるCO2は全体の2%。この50分の1という数字は非常に大きいと思います。早急にSAF(持続可能な航空燃料)の製造に取り組まなければ、日本の航空会社の姿勢が問われます。ありとあらゆることを積み上げないとカーボンニュートラルは実現しないので、社長になってからは、林業や各メーカーなど様々な分野の人たちと相談を重ねました。

寳金 とても参考になります。医療業界でいうと、例えば内視鏡用の器具の素材は、多くのCO2を排出して作られます。航空業界が全体の2%なら、医療業界は4%。ゼロカーボン活動は医療業界にも必要なのですが、患者様の安全を考えるとそういうところに手は抜けない、という話になってしまいます。そういう意味で、日本航空の方々のような取り組みを、医療業界も安全と両立しつつ、より一層強化してくことが必要と思います。

赤坂 本当に、これはここだけの話ではなく全ての業界に共通する課題ですね。


北海道大学との連携と、北海道への思い

寳金 2022年6月の日本航空と北海道大学との連携協定の締結後、様々な活動をともにさせていただき貴重な経験になりました。飛行機によって得られるデータが大学で地球温暖化の研究に活用されるなど、大変ありがたいのですが、アカデミアとの連携に関して、会長のお考えをお聞かせください。

赤坂 「データをどう使うか」が一番重要だと思っています。例えば、北海道エアシステム(以下、HAC)の飛行機にカメラを付けることで海洋変化などのデータを得ても、企業同士だとそこでデータが閉じてしまう可能性があります。大学のオープンな環境の中でデータを扱っていただき、皆さんにその活用をお願いすることで、取り組みの価値が上がり、幅も広がっていくように思います。

寳金 大学はデータをしっかり共有するのに適した場所ですので、そのように活用していただけるのは大変ありがたいことです。もう1点、地域とのエンゲージメントについてもお聞かせください。新幹線が発達しても、北海道では航空による輸送が重要だと思うのですが、航空会社と地域との関わりについては、どのようにお考えですか。

赤坂 地域に住む人がいなくなれば飛行機に乗る人も減ってしまうので、地域の経済社会を維持することは航空会社のビジネスにとって重要です。北海道の課題解決に向けて、北海道大学が担う役割は非常に大きいと感じています。我々が少しでもお役に立てるのであれば、意味があるように思います。

寳金 例えばHACさんは、地域にとってライフラインそのものですよね。地域医療を支えるために道内全域を日々移動する医療従事者の立場からも、欠かせない存在です。

赤坂 我々としては、HACはひとつの問題提起のつもりでいます。北海道の今後の交通体系を、どう再構築していくか。JR北海道さんが路線縮小しているなかで、これだけの面積の北海道で、人が住み生活していることをどう考えるのか。もっとみんなで全体像を作り直す必要があるのではないでしょうか。

寳金 今、Rapidus(ラピダス)さんの工場新設により、千歳市と航空、半導体産業の関わりが深まりつつあり、この先10年、20年で新千歳空港も国際的なハブとして意味を持つのではと思います。新しい産業が生まれてきた時の、北海道と航空の関わりについてビジョンがあれば、お聞かせ下さい。

赤坂 北海道のエネルギーや食糧、あるいは観光などの資源を、社会課題の解決手段として発展させていく必要があります。その中で我々は、航空を中心とするインフラが非常に大事だと思っています。できれば新千歳空港から国際線を拡大し、新千歳空港だけで足りなくなれば北海道の空港を中心とするグローバルなネットワークをつくっていきたい、と考えています。

寳金 これはまだ夢の段階ですが、現実味のある夢で、新千歳空港がその中心になっていくと思います。私は空港が大好きなんですよ。ここから飛び立つ人、帰ってくる人。ワクワクしますよね。そのような仕事に就かれているのは、とても羨ましく思いますが、いかがですか。

赤坂 まあ、それがないとやっていられないかも知れません(笑)。ただ飛行機だけではなく、地域全体をワクワクするものにしていきたいです。北海道はその可能性を秘めていると思っています。

寳金 会長の生まれ故郷でもある北海道を、今後ともよろしくお願いします。本日はありがとうございました。



 
北海道大学総長
寳金 清博
HOUKIN Kiyohiro

1954年、北海道出身。北海道大学医学部卒業。医学博士(北海道大学)。1979年北海道大学医学部附属病院等に勤務。米国カリフォルニア大学デービス校客員研究員等を経て、2000年北海道大学大学院医学研究科助教授、2001年札幌医科大学医学部教授、2010年北海道大学大学院医学研究科教授に就任。2013年北海道大学病院長・北海道大学副理事、2017年北海道大学病院長・北海道大学副学長を歴任し、2020年10月から現職。
日本航空株式会社 代表取締役会長/安全統括管理者
赤坂 祐二
AKASAKA Yuji

1962年、北海道出身。東京大学大学院工学系研究科航空学専攻修了。1987年に日本航空株式会社入社。整備部門でキャリアを重ね、2016年に常務執行役員整備本部長、株式会社JALエンジニアリング代表取締役社長。2018年に代表取締役社長執行役員、2023年代表取締役社長執行役員 グループCEOを歴任し、2024年に同代表取締役会長(現任)。


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