クマを研究する
クマの生態は、まだ多くは明らかになっていない。世界自然遺産の知床半島で、ヒグマの食性 ヒグマの命を支える山と海の恵み
世界自然遺産に登録されている北海道北東部の知床半島。そこに生息するヒグマの数は約500頭ともいわれ、世界でも屈指の生息密度を誇る。ヒグマの命を支えるのは、山と海から得られる豊富な食糧だ。特に、半島の北端部に位置するルシャ地区は、食糧となるサケ、マスなどサケ科の魚類が遡上する川の河口があり、ヒグマが高密度に生息する地域だ。獣医学研究院の下鶴倫人准教授は、このルシャ地区をメインに約15年間、様々な研究を続け、ヒグマの生態を明らかにしてきた。
下鶴准教授らの研究グループは、2012年から約7年間、ルシャ地区でヒグマのフンの収集と行動観察を行い、その食性について調査した。ヒグマのフンを毎年6〜11月に採取し、計2079サンプルの内容物を分析した結果、8月には高い標高帯のハイマツの実を、9月にはサケ科魚類を食べており、全く異なる環境を行き来して山と海からの恵みを得ていることが明らかになった。 「一方で、サケの漁獲高はここ10年くらいだんだんと減ってきています」と、下鶴准教授は指摘する。背景には、地球温暖化で水温が上昇していることなど、気候変動の影響が考えられるという。昨年はサケやハイマツが不足し、また秋の重要な食べ物であるドングリの不作も重なった。このため、食糧を求めてヒグマが人里に現れ、その結果、知床だけで180頭を超えるヒグマが捕獲されたという。
クマと人のよりよい関係を目指して
「クマが出没しにくい対策をより一層進めることはもちろんですが、順応的に個体数を管理することも考える必要はあります。ただ、知床の場合、ヒグマは世界遺産の遺産価値を構成する存在として認められており、単純にヒグマの数を減らせばいいということでもありません」と、下鶴准教授は話す。捕獲されたヒグマの性別や年齢はその後の繁殖に影響を及ぼし、地域の個体数は大きく変わるが、年齢は見た目にはわからない。そこで下鶴准教授は、従来は抜歯して推定していたヒグマの年齢を、血液を採取するだけで高精度に推定する方法も開発した。他の動物で先行研究がされていた血液中のDNAから年齢を推定する方法を、ヒグマでも実験してみたところ、1年ほどの誤差で高精度に年齢が推定できたという。「これまでは生きているヒグマに麻酔をかけて抜歯をすることもあり、体に与える負担は小さくありませんでした。今後は血液だけでなく、毛やフンから得たDNAでも年齢が測定できるか、またツキノワグマなどほかのクマ類でも適用できるかなどを調べていきたいと考えています」と展望を語る。
ヒグマ対策には、どのような食物環境の時に大量出没が起こるのか、人里に現れたクマがどこから来ているのか、年齢や性別の構成など、科学的な知見が欠かせない。下鶴准教授は、「クマを絶滅させずに、人とのあつれきを限りなく低く抑えるという理想のために、これまでの研究を生かして、クマと人のより良い関係に貢献できる仕事をしていきたいと考えています」と話し、先を見据えた。 「イオマンテ(熊送り)」―アイヌ民族とヒグマの関係加藤 博文 北海道の先住民族であるアイヌの人たちは、狩猟採集を生業としており、生活の中で深いかかわりを持つ動物を「神様からの贈り物」として敬った。中でもヒグマは、最も位の高い神として「キムンカムイ」(アイヌ語で「山の神」の意味)と呼び、捕らえた後はヒグマの魂をカムイの国へ送り返す「イオマンテ」(熊送り)という儀式を行っていた。 アイヌ・先住民研究センターの加藤博文教授は、知床半島の斜里町・以久科北(いくしなきた)海岸遺跡の調査で、この地域に住んでいたアイヌ民族が「イオマンテ」を行っていた証拠である、頭頂骨に大きく穴の開いたヒグマの頭骨を発見した。アイヌの人たちは、ヤナギやミズキの木を小刀で薄く細く削って房のような形にした「イナウ」という祭事用の飾りを作り、「清め」の役割としてヒグマの頭に開けた穴に挿し、朽ちるまで祭壇に飾っていたと言い伝えられている。加藤教授は、「アイヌの人たちには、カムイからの贈り物であるヒグマを儀式で丁寧に送り返すことで、将来また山の幸が自分たちに戻ってきてくれるという循環の思想があります」と解説する。 ヒグマと人の関係について、加藤教授は、「アイヌ民族にとって、ヒグマを含む自然は尊厳をもってリスペクトするもので、人間は自然との関係の中で生かされていると考えています。全国のクマの問題をきっかけに、動物を含めた自然と人間との関係を、考え直していく時期が来ていると感じます」と話す。
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