クマを感じる
北大には「北大ヒグマ研究グループ」という、北海道に生息するヒグマの生態について ヒグマの「痕跡」をたどり半世紀
「ポイポーイ」「ポイポーイ」。札幌から北へ約300q、北海道最北端に近い幌延町にある北大の天塩研究林で、学生サークル「北大ヒグマ研究グループ(通称、クマ研)」の学生たちの掛け声が響く。山歩きの装備に身を包んだクマ研の学生たちは、声を出しながら背丈ほどに伸びたやぶをかき分けていく。「ポイポーイ」はクマ避けの鈴のような役割で、ヒグマの調査で山に入る際に人間がいることをヒグマに伝えるため、代々クマ研で受け継がれてきた掛け声だ。掛け声の後は、森の生き物の気配に注意深く耳を澄ましながら先へ進む。 クマ研は1970年に結成され、道内や札幌近郊などでヒグマの調査をしている。天塩研究林は毎年必ず訪れる調査フィールドだ。決まったルートを歩き、ヒグマの足跡やフン、爪痕や食痕などを探すと同時に、ヒグマの食糧となる果実や木の実を数えて調べる。直接ヒグマに接触するのではなく、山に残されたヒグマの「痕跡」からヒグマの生態を調査する地道な活動だ。
クマは雑食のため、フンの内容物は果実や草、昆虫など様々で、内容物で見た目も異なる。クマ研前代表の山本大河さん(法学部3年)は、「見つけたヒグマのフンはすべてサンプルとして持ち帰り、食性を分析するために洗って、内容物をアルコール保存します」と話す。昨夏の調査では、採取したヒグマのフンからは果実の種がほとんど出てこなかった。昨年は全国的に山で果実や木の実が不作だったが、天塩のヒグマも果実にありつけなかったとみられる。エサ不足によるクマの人里への大量出没は昨年、全国でも社会問題化した。山本さんは、「晩夏から秋の実りの前の端境期や、果実の不作の年は、家畜飼料用のデントコーンが混ざったフンが体感的に増えている印象です」と話した。こうしたクマの生態に関する記録は、クマ研発足当初から保管され続けており、2021年にはクマ研OBが中心となってヒグマのフンや足跡など、40年分の痕跡をデータとしてまとめ、結果を学術論文として発表した。 ヒグマを「ちゃんと知って、正しく恐れる」
クマ研では長年にわたる活動の中で、ヒグマに関する事故は一度もないという。クマ研に入った新入生は最初の調査の前に必ず、ヒグマ対策のマニュアルを読み合わせ、クマスプレーの使い方を学ぶ。冬眠穴調査など、調査の前には勉強会をして、代々ヒグマの対策や知識を共有してきた。山本さんは、「まず一番はヒグマに出会わないことが大事。山では絶対に1人で行動しない、陽が昇った後にしか行かない、霧などで見通しが悪い場合には山に入らないことを徹底しています」と話す。調査中も、周りに泥がはね、小さな爪痕まで奇麗に残っているような足跡や、俵型の大きなフンなど、ヒグマの新しい痕跡を見つけたらすぐに引き返すという。
実際、山本さんは調査中に数回、ヒグマの姿を目撃したことがある。初めて見たのは1年生の時、山道を何気なく曲がろうとした時突然、先輩に背負っていたリュックをぐっと引かれた。ゆっくり下がってよく見ると、200〜300m先にヒグマの姿を見つけた。「ポイポーイ」と声を出すと、ヒグマの方が山本さんたちの存在に気づいて林道に走って逃げ、山本さんたちもゆっくりと引き返したという。「正直、恐ろしかったです。あれ以来、できるだけヒグマに会わないようにより慎重になりました」と山本さんは話す。昨年は北海道や東北だけでなく、東京都でも目撃情報が多発するなど、全国的にクマへの関心が高まった。クマと人との関係を、社会全体が模索している。山本さんに問うと、少し考えて、こう答えた。「難しいお話で、なかなか一概には言えませんが、個人的には、ちゃんとクマのことを知って、正しく恐れる。そうすれば、事故の多くは防げるのかなと思います」 今年クマ研の代表を務める堺萌絵さん(理学部3年)は、「クマ研はどんなに素朴な疑問でも、探求心を大切にしてのびのび調査できるのがいいところです。これからもクマに関する知識をしっかり共有して、伝統を大切にますますフィールドワークに励みたいです」と目を輝かせた。 サークル活動での発見から論文執筆へ勝島 日向子 数多くの研究者を輩出してきたクマ研。勝島さんは現在、博士後期課程でクマたちの匂いによるコミュニケーションを研究している。山林にカメラを設置し、木に匂いをこすりつける「背こすり」行動を観察したり、各地の動物園などの協力を得て、クマが出す匂い物質を調べるためサンプリングをしたり、フィールドワークに励む毎日だ。「究極的には、ヒトを含む哺乳類がどのように匂いに制御されながら生活しているのかを知りたいんです」と、探究心は尽きない。
2017年4月、学部2年生の時に、当時のクマ研の仲間たちが、ヒグマのフンの中に子グマの毛や爪、歯が含まれているのを発見。近くにはオスグマの成獣とみられる足跡が残されていた。このため学生達は、母グマの発情を促すため、オスが生後間もない子グマを殺す「クマの子殺し」の痕跡ではないかと考えた。 数年後、勝島さんはクマ研の先輩の「貴重な発見は一例でも重要」という言葉に触発され、一念発起。2022年12月、発見者の文学院 修士課程2年(当時)の伊藤泰幹さんらとともに、論文「子殺しか、捕食か?北海道のヒグマの共食い」をまとめ上げた。ヒグマの「子殺し」とみられる事例は、国内初の発見であった。 クマ研現役時代はひたすら山を歩き、地道な調査に没頭した。クマの痕跡を見つけ、「こわいけれど知りたい」そんな存在を身近に感じる喜びと感動を幾度となく味わったという。クマが生息している自然環境の価値と、クマが街に出没する課題。今後もその両方に目を向けながら、研究していきたいと語る。
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