【特集「根ざす―和歌山研究林100周年―」】

100年の森が語る、学びと絆の物語

北方生物圏フィールド科学センター和歌山研究林

北海道大学で唯一道外にある研究林として和歌山県ひがしぐん古座川町に1925年に設立された和歌山研究林が今年100周年を迎えた森林科学の研究と教育のフィールドとして多くの学生を育てると同時に地域に根ざしたさまざまな活動は町と研究林の絆を100年間育んできた。




北海道外唯一の研究林

 札幌キャンパスから南西におよそ1800キロ離れた紀伊半島南部、和歌山県の古座川町平井地区に広がる北海道大学和歌山研究林は、北海道大学が所有する7か所の研究林のうち唯一、道外にある。国内で建築用木材の需要が増えた1900年代、スギやヒノキなど温帯の人工林に関する教育・研究のため、大学が全国の知事会に土地の提供を呼びかけ、手を挙げたのが和歌山県だった。これをきっかけに1925年、和歌山地方演習林(当時)が設立された。

温暖湿潤な気候がもたらす豊富な樹種

 敷地面積は約450haで、東京ドーム約96個分。地域の年平均気温は約15度で、太平洋から流れ込む湿った空気が紀伊山地の斜面にぶつかることで一帯に大量の雨が降り、年間降水量は約3300ミリと国内でも上位に入る多雨地域だ。温暖湿潤な気候のもと、すくすくと育った樹木は180種あり、研究林を訪れる専門家は樹種の多さに驚くという。スギやヒノキが主体の人工林が約8割、シイやカシなどの照葉樹が彩る天然林が約2割を占める。マツの仲間で希少樹種のコウヤマキも自生している。コウヤマキは水に強く腐りにくいため、歴史的建造物の屋根にも木材として使われる。また、研究林を流れる平井川は不純物の少ない超軟水で、日本最大級の両生類であるオオサンショウウオも生息している。

モノレールが誘う神秘の森


和歌山研究林の地図。

 和歌山研究林の大きな特徴の一つは標高差だ。研究林の入り口は標高260m、最高地点の大森山山頂は841mで、敷地内の標高差はおよそ600mにのぼる。30度以上の急傾斜地が7割を占め、山全体を効率よく移動するために「モノレール」が活用されている。急斜面に敷かれた総延長3qに及ぶ4本のモノレールが、木々の間を縫って木漏れ日を受けながらゆっくりと登っていく。


多様な樹木の標本。

 和歌山研究林の利用者は年間約2000人で、学生や研究者だけでなく、地域の小学生の学びなどにも活用されている。和歌山研究林長の岸田治教授は、「モノレールを使えば、子どもも高齢者も、大森山山頂付近にあるコウヤマキが自生する天然林まで簡単にアクセスできます。100年間手つかずのまま保存された森を、誰もが体感できるというのは、他にはないと思います」と胸を張る。


和歌山研究林には多種多様な生き物が生息している。

 和歌山研究林のもう一つの特徴は、1927年に建てられた木造の庁舎だ。青い屋根と白い壁が映える2階建ての洋館で、2013年には国の登録有形文化財に指定された。講義室や宿泊施設を備えており、研究者や学生の活動拠点となっている。また、庁舎の資料室には、和歌山研究林に生息する虫の標本や動物のはく製のほか、多様な樹木の標本が展示されている。地域の植生を網羅した樹木の葉や枝、樹皮や果実があり、学生の教育実習のほか、小学生や一般向けの体験学習にも利用され、森の知識を未来につなぐ知の拠点となっている。


森に学び、森と生きる


照葉樹を上から見下ろして
観察できる「ジャングルジム」。

 温暖湿潤な気候や急峻な地形は、北海道とは全く異なる森林生態をもたらす。この森では、森林生態学をはじめとする多分野の研究が展開されており、研究林内には様々な観測装置がある。その一つが「ジャングルジム」だ。子ども向けの遊具のような形で巨大な足場が高く組まれており、研究者が樹冠部(木の上部)にアクセスしやすくするために設置されている。照葉樹の葉を上から見下ろす形で観察したり、落ち葉を収集するリタートラップを設置したりして、樹木成長のモニタリングに使われている。

 また、スギ・ヒノキの人工林では、間伐する幅を変え、土壌の乾燥度や雨水による土砂移動を比較する研究も行われている。間伐など人の手入れがなく放置された人工林は、樹木が密集して根が発達せず、土砂崩れなどの自然災害が起こりやすい。実際に、平井地区にある人工林周辺で2024年に大規模な地滑りが発生し、和歌山研究林へ向かう国道が今も通行止めになっている。土砂に埋まった区間は車が通れず、研究林に行くには別の道を徒歩で移動しなければならない状態が続いている。岸田林長は、「国内には多くの人工林があり、気候変動の影響で自然災害は身近な危機として迫っています」と話す。和歌山研究林で行われている研究が、国の森林対策や、生態系保全につながる重要な知見となっている。


古座川町平井地区に佇む研究林庁舎(中央の白い洋館)。
(ドローン撮影:GEOGRAMS 伊藤広大)

地域連携のフィールドとして

 今年2月、北海道大学和歌山研究林と古座川町が連携し、全学部の1、2年生を対象とした一般教育演習(集中講義)が実施された。これまでにも研究林を中心にした演習は行われていたが、町民の協力により狩猟体験などが新たに加わり、実際の町の暮らしを学生たちがより深く学べる内容となった。学生計18人が4泊5日の日程で参加し、研究林の見学のほか、用水路の清掃や廃屋の片付け、獣害対策など、町の人々の日常の営みそのものを体験した。

学生が体感した「限界集落」

 和歌山研究林がある古座川町平井地区は、棚田や美しい清流が織りなす自然の中に、高齢化と過疎という深刻な現実が静かに広がっている。平井地区の2024年の住民数は69人、平均年齢は73歳という、いわゆる「限界集落」だ。学生たちは、ハッサクの収穫や神社の鳥居の塗り替え、ユズの選定や住民の鶏小屋作りなど、生活にまつわる様々な体験を通して、住民と交流した。


平井地区の住民と学生の対話の様子。
(提供:和歌山研究林)

 演習に参加した水産学部2年の加藤桃香さんは、水田に水を引くための長さ3qほどの水路にたまった落ち葉や泥を掘り返し、春の田植えに向けて水が流れるように掃除をしたことが印象的だったと振り返った。加藤さんは、「学生18人で3日に分けてやりましたが、泥やぬかるみは重く、腰や腕に負担がかかる大変な作業でした。これを古座川町の高齢者の方々がやるのは体力的にも大変で、人手不足は深刻な問題だと実感しました」と話した。また、住民との触れ合いの中で、山村集落の課題だけでなく魅力も感じたという農学部2年の松田幸祐さんは、「人の温かさとご飯のおいしさが忘れられないです。どこへ行っても住民の方が必ず声をかけてくれるし、地元の方々がごちそうしてくれた郷土料理やイノシシ鍋は本当においしかったです」と笑顔を見せた。

100年間続く研究林と地域の絆

 北大全体と自治体との連携を担当し、今回の演習の運営に携わった広報・社会連携本部の中村健吾特任准教授は、「人と人、人と自然のつながりや結びつきが強い集落で、お互いが助け合う、影響し合う暮らしを間近に見られたことは、今の学生たちにとって大きな刺激になったと思います」と振り返る。また、「住民の方々には学生を快く受け入れていただきましたが、100年もの間ずっと、平井集落とともに和歌山研究林があり、長年の信頼関係があってこそだと感じました」と話した。


学生は狩猟体験もした。(提供:和歌山研究林)

 学生たちは演習の最終日、住民と町役場の職員を前に、自分たちの感じた山村の課題や学生の長期滞在のあり方について発表した。狩猟体験を通して獣害対策に関心を持ったことを発表した農学部2年の赤田隼人さんは、「猟友会の方々の命に対する考え方が印象的で、生態系管理にすごく興味が湧きました」と目を輝かせた。今後は、平井地区の地域課題の解決のため、演習に参加した有志を募って平井地区に再び長期滞在する予定だという。「学生の力がこの地域に求められていると強く感じました。学生が平井地区に持続的に来る仕組みを作ることが今の目標です」と、赤田さんは前を見据える。

「共創の森」のこれから


平井地区の神社の鳥居を修理する学生。
(提供:和歌山研究林)


  演習時にモノレールに乗車。
  前から加藤さん、松田さん、赤田さん。
(提供:加藤桃香さん)

 岸田林長は、「和歌山研究林での研修を通して、学生が地域の現実を”自分事“として捉え、社会への眼差しを深めて良い社会を作っていける人材に育ってほしいです」と強く願う。「それは、森林を使った教育研究の場を守るためにも大切なことです」と、岸田林長は強調する。

 和歌山研究林は100年の時を経て、研究施設としての役割だけではなく、古座川町との深い絆によって地域に根ざした「共創の森」としての姿を際立たせている。教科書では学べない、森と人との関係性への気づきを体感する場として、和歌山研究林はこれからも歴史を紡いでいく。



【動画】知のフィールド #6 北海道大学 和歌山研究林「緑かがやく 未知の森」
 https://www.youtube.com/watch?v=tR-A5m0sYO4


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