いつも挑戦と冒険心を忘れず
ゲスト 札幌で愛され続ける洋菓子「きのとや」の創業者で、現在は「北海道コンフェクトグループ」の会長を務める長沼昭夫氏。同グループでは、多様なお菓子の製造販売と環境再生型農場での素材開発に取り組んでいる。縁のなかった菓子業界へ飛び込んでマーケットを切り開き、2025年には「札幌農学校」ブランドの店舗を初めて百貨店にもオープンした。
北大卒業後は新冠の牧場へ
寳金 長沼会長は、札幌ご出身ですよね? 長沼 はい、札幌の琴似です。母方が屯田兵で、私はその4代目ですね。父は長野の出身でして、19歳で北海道に渡り、農業試験場で働いている時に母と出会って結婚したようです。私は6人兄姉の末っ子でした。 寳金 6人兄姉ですか。 長沼 私が中学生の時に父が亡くなり、母が6人の子どもを一人で育てたので、家は質素でした。その母も、私が大学を卒業した年に亡くなりました。「自宅から通える国公立の大学」が進学の条件で、私は二浪して北大の水産学部に進み、奨学金をいただいて大学へ行かせてもらいました。 寳金 学生時代はスキーをされていたとか。 長沼 山スキー部に所属し、一年のうち100日は山の中でした。山スキー部の文化は独特で、面識のない先輩のところに電話一本で訪ねて泊めてもらうといった伝統がありまして。タテのつながりがすごく強いんです。そこで一生の友人を得ることができました。 寳金 今、大学の価値は様々に変容していて、授業にはAIやオンラインが導入されています。その中で依然として価値が高いといわれているのが課外活動です。 長沼 北大には各地から、あるいは世界から多様な学生が集まるので、人とのつながりをどう作っていくか。大学時代の人間関係は一生続きますから、学生にはぜひ積極的に活動することを薦めたいです。 寳金 それは経験した人しか言えない、素晴らしいメッセージですね。会長は、卒業後のキャリアがまたユニークです。 長沼 当時、山スキー部の15年ぐらい先輩の方が、日高地方の新 冠 町で獣医をしながら養鶏場を経営していました。その先輩が私に「卒業したら、俺と一緒にユートピアを作ろう」と誘ってくれたんです。私は就職試験も受けず、ジープに自分の全財産を積んで、新冠の中心から20キロメートル以上離れた山奥に移住しました。 寳金 すごい話ですね(笑) 長沼 日高というと、皆さん馬牧場だと思われるようですが、山側は酪農地帯です。生後間もない雄牛を買い集めて自分の牧場に放牧し、一年育成して本州の事業者に売る、というビジネスモデルを立てました。でも、うまくいかなかった。4年頑張りましたが経営的に成り立たず、結局そこを離れました。 寳金 当時、まだサステイナブルという言葉もない時代だと思いますが、持続的な農業や食に関する思いの原点が、そこにあったのでしょうか? 長沼 おっしゃる通りで、当時は「新しい農業像を作ること」を目標にしていました。50数年経ちますが、その思いは今も変わりません。新冠から札幌に戻ってからは、友人の紹介で就職しました。その会社は「ばんけいスキー場」と焼き鳥店を経営していて、私は卵を産まなくなった廃鶏の解体をしていました。その後、会社が新しく始めた居酒屋の店長を任され、常呂町産の殻付きホタテを食べ放題、ビール飲み放題にしたところ大当たりしました。
寳金 そこでも食に関わったのですね。とはいえ、やはり普通とは違う選択をされるのだなと思います。 長沼 普通の人にもなりたかったんですよ(笑)。それで、29歳で北海道ダイエーに入りました。青果売場の責任者として5年勤務し、本州への転勤の話が出た時に退職しました。 未経験でお菓子屋を起業
寳金 起業する時に、なぜ「お菓子」を選んだのでしょうか? 長沼 創業をサポートしてくれた妻の父に「お菓子屋って、いい仕事じゃないか。お菓子を買いに来るお客さんはみんな楽しそうでうれしそうだよ」と言われ、確かにそうかなと思いまして。その世界に何も縁はなかったのですが。 寳金 それで始めた、と。すごいですね。経験値がないと大変そうです。 長沼 初めは、お菓子を仕入れて売ろうと考えて1983年7月に現在の白石本店の場所で「きのとや」を創業しました。しかし、全く売れませんでした。それから約半年後に縁があり、当時小樽と札幌で繁盛していたお店でパティシエをしていた加藤忠雄くんと出会いました。彼が「きのとや」のお菓子をゼロから作ってくれたんです。それをきっかけに「自分で食べておいしいと思うものを売ろう」と思い、消費者側の視点で味を決めていきました。 寳金 店名の「きのとや」にはどのような意味があるのでしょう? 長沼 私にお菓子屋を勧めた岳父は新潟出身です。地元の「 寳金 そして2005年に、生菓子中心の路線から、みやげ用焼き菓子の生産に向かわれるわけですが、その決断にはどのような経緯があったのでしょうか。 長沼 1997年に、店が食中毒事故を起こしまして、その時、生のケーキだけでは経営が安定しないことを痛感しました。日持ちして観光客の方が「おみやげに持っていけるお菓子」を作らなくてはと考えていた時に、昔、北大の正門前にお菓子屋さんがあったことを思い出したんです。 寳金 かなり前に閉店したようですね。 長沼 はい。その店にパイまんじゅうがあったので、パイを使ったお菓子を作ってみたのですが、大量生産が難しいものでした。もう一つ試作したのがミルククッキーで、商品名の候補に「札幌農学校」が挙がり、使用にあたって大学の承認をいただきました。初めて販売したのは2005年の北大の入学式で、会場は白石区のコンベンションセンターでした。 寳金 それはあまり知られてないことかもしれませんね。 長沼 そうしたら、24枚入りの札幌農学校「北海道ミルククッキー」1千箱が、入学式にいらした保護者の方々にあっという間に売れまして。これはすごいなと思ったのが最初でした。 寳金 このミルククッキーは本当に評判が良いですね。先日、クラーク博士の母校であるマサチューセッツ州のアマースト大学に持参した際もとても喜ばれました。 長沼 これには余計なものが一切入っていません。「北海道の素材」にこだわり、北海道産小麦と、砂糖も北海道産ビートを使っています。すごくシンプルなので、多くの方に食べやすいと言ってもらえるのかなと思います。 海外のマーケットを視野に
寳金 「北海道コンフェクトグループ」を設立し、事業を拡張されていますが、どのような思いや戦略をお持ちですか。 長沼 北海道経済のマーケットは、日本全体の約5%といわれています。残り95%が北海道以外にあるなら、「北海道発で全国に向かっていく」ビジネスを展開したいと考えています。そこで、「札幌農学校」をきのとやから独立させて「北海道みやげ」のブランドとし、きのとやは「地域に密着したケーキ屋」と位置付けました。現在、新しいマーケットには「SNOWS」ブランドでの出店が多く、期間限定のポップアップショップを全国で展開しています。
寳金 道内だけの売り上げでは終わらない、ということですね。 長沼 道内のお菓子屋さんは、北海道から出ない傾向にありますが、私たちは「札幌農学校」ブランドの海外展開も視野に入れたいと考えています。 寳金 ぜひ世界のマーケットに出ていくチャレンジを期待しています。それから、「札幌農学校」の売り上げを通じた、北大生への支援と、留学支援の給付型奨学金設立もありがとうございます。 長沼 私は奨学金で大学を卒業させてもらいました。海外にも行きたかったのですが、実際に行くことができたのは新冠の牧場に就職した翌年でした。90ドルで3カ月間乗り放題のバス周遊券を買い、ホームステイをしながらアメリカを一人旅しました。英語も話せないまま行きましたが、みんな親切でアメリカが大好きになりました。今の学生にも、もっと外を見てほしいと願っています。 寳金 バックパッカーの経験が、人生に影響を与え、留学支援にもつながっているのですね。では今後の目標をお聞かせください。 長沼 お菓子事業の拡大は息子に任せて、自分は若い時に実現できなかった農業に再チャレンジします。耕作放棄地の再開発プロジェクトとして、盤渓でジャージー牛6頭と、ニワトリ1千羽を飼い、家族経営の新規就農モデルを作ろうと考えています。お菓子に使う卵や牛乳を自社で生産する取り組みで、ブランディングにもプラスになると思います。 寳金 様々なことに挑戦されていますが、すべてがフロンティア精神で一つにつながっている気がします。 長沼 「札幌農学校」の売り上げの一部は北大の教育支援のために使用していますが、その事例に続くような、第二・第三の北海道コンフェクトグループが出てきてほしいと願っています。継続して学生を支援でき、意義のあるものだと思います。 寳金 実はありそうでなかったモデルかもしれません。学生支援と人とのつながりを大切にした、産学連携の新しい形になってほしいと思います。本日は、ありがとうございました。
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