街は生き物。自分が暮らす街の
ゲスト 2015年の札幌市長選挙で当選し、現在3期目を務める秋元克広氏。北海道大学卒業後、札幌市役所に入庁してから今日まで札幌の街づくりに尽力し、市長就任後は「地域の経済力をつけること」を市政の大きなテーマに置いてきた。 北大入学後に進路を変更
寳金 はじめに子どもの頃のお話を伺えますか。 秋元 夕張市で生まれ、高校まで夕張で過ごしました。3人きょうだいの末っ子です。私が生まれた1956年から5年くらいが人口のピークで、12万人ほどでした。山の上まで炭鉱の住宅があり、お祭りもすごく賑やかで。小学校に入る頃に閉山があり、友達が次々転校していくようになりました。入学当初は一学年6クラスあったのが、卒業の頃は4クラスでしたね。6歳上の兄が野球好きで、毎日一緒にキャッチボールをしていて、将来はプロ野球選手になりたいと思っていました。 寳金 典型的な昭和の小学生という印象ですね(笑)。どのような理由で北大に進まれたのでしょうか。 秋元 北海道内で進学したい、北大に行きたい、という思いがありました。法曹の仕事に就きたいと思って法学部に入ったのですが、友人に誘われてアイセック(AIESEC)という団体に入ったんです。今でいうインターンシップの推進が主な活動で、ヨーロッパで創設された全国組織でした。海外企業への学生の派遣や、海外からの受け入れをコーディネートしていて、経済学部の学生が多くいました。外国人との交流も盛んで、営業のような活動をしていたので、法曹界を目指すより民間企業に飛び込もうと気持ちが変わりました。 寳金 アイセックでの活動は、その後の人生に影響していますか。 秋元 影響していますね。学部や大学を超えた付き合いでしたし、学生時代に社会人の方々と対する経験は、非常に大きかったと思います。 公務員試験の面接が運命を変えた
寳金 大学では勉強だけでなく、「いいな」と思う人たちとの出会いは大きいですね。その後、なぜ民間企業に進まず札幌市役所に入庁されたのでしょう? 秋元 はじめは民間企業に入る前提で就職活動をしていました。当時は4年生の10月が就活のスタート時期でしたが、公務員試験がそれより早かったので受けてみたんです。その面接で「札幌の地下鉄についてどう思う?」と聞かれまして。 寳金 その頃、地下鉄はもうできていましたよね。 秋元 はい、私が高校生の頃にできました。面接官の質問に私は、「札幌の地下鉄はゴムタイヤで、いわゆる相互乗り入れができないので、将来禍根を残すのでは」と答えました。そうしたら、その面接官が交通局の経験がある方で、「札幌の地下鉄は静かで振動も少なく評判がいいのに、それを知らずに批判するのか」と。怒られて当然落ちたと思いましたが、なぜか合格しました。この時に、「将来禍根を残す」という見方は本当に間違っていたのだろうかと考えたことが、街づくりや都市計画に興味を持つきっかけになりました。 寳金 これはなかなか面白い話ですね。 秋元 それで内定していた民間企業をお断りして市役所に入る選択をしました。余談ですが、このことをゼミの先生に報告したら、「君は大阪に行って吉本(興業)に入ると思っていたよ」と真顔で言われました。ゼミでモノマネをしておちゃらけていたので、そう思われたのかもしれません。 寳金 面接での意見の対立が入庁のきっかけになるなんて聞いたことがないですし、札幌の地下鉄が鉄の車輪だったら、もしかして今この場にいなかったのでは。 秋元 いなかったですね。それは間違いない(笑) 市役所入庁から市長選出馬まで
寳金 札幌市役所に入られてから市長になるまでは、どのような経歴でしたか。 秋元 最初は区役所で戸籍を担当し、市民の喜怒哀楽を垣間見ました。そのあとは東京での研修を経て、人事課から広報課へ。マスコミ対応や、新札幌にあるテクノパークの情報系企業の誘致も担当しました。役所内に留まらず、外の人たちと関わった経験が、今の仕事の基盤になっているように思います。 寳金 総務、人事、広報と、多様な職種で経験を積まれたのですね。 秋元 そのあと市の街づくり計画のセクションへ。そこから南区長、市長政策室長を務め、副市長に就きました。 寳金 札幌市長に立候補された時のお気持ちを改めて教えていただけますか。 秋元 副市長だった時に、当時の上田市長が3期12年で勇退すると聞いていました。一度、上田さんから後任の打診を受けたのですが、お断りした経緯があります。その後、経済界からもぜひやってほしいと要請があり、正直悩みました。ですが、上田市長の政策を受け継ぎたい思いがあり、自分が出ようと決めました。 寳金 上田市長からの信頼が背景にありますね。「継続性」を考えてのご決断だったと思いますが、相当、勇気が必要ですよね。 秋元 家族を含めてプライベートがほとんどない市長を見ていたので、家族がそれを承諾してくれるかが一番の懸念でした。自分の気持ちは決めましたが、家族にずっと言い出せなくて。選挙が4月で、前年の8月に実家の夕張へ墓参りに行った際、兄との会話の中で「選挙に出る」と初めて口にしたんです。立候補表明のため、9月には市を辞めなくてはいけないと話したら、その場にいた妻が「えっ!」と(笑) 寳金 市長という仕事は責任も重くて大変だけれど、その百倍くらいやりがいもあるのだろうと想像しますが、いかがですか。 秋元 市長選に出たタイミングでは、人口が減った幼少期の夕張のことが頭にありましたので、札幌も外からの交流人口を増やして地域経済力を高めなければと強く思っていました。また、札幌は1972年にオリンピックがあり政令指定都市になったわけですが、その頃にできた施設が更新期に来ていました。再開発を含めいかに将来につなぐか、いわば街のリニューアルです。この2つを何とかやり遂げたいという思いでした。観光予算を倍増し、さっぽろオータムフェストの期間を延長したところ観光消費額が増えました。再開発事業には北大の先生にも参画いただきました。街も生き物なので、自分が生活する街の未来にまで携われる仕事は魅力的です。市の仕事をしたい、市長になってみたい、と思う人が出てきてくれるとうれしいですね。 寳金 秋元市長を見ていて感銘を受けるのは、大変なことがあってもあまり表情に出ないことです。いつも安定されている印象を受けますが、何かコツがあるのでしょうか。 秋元 生まれつきの性格でしょうか。小学6年の時の担任の先生が卒業時にくださった色紙には、「理性と感性、積極と慎重、そのバランスが君の良さでした」と書かれていました。 寳金 先生は、秋元市長の資質を分かっていらしたんですね。 秋元 その言葉が今も自分の中にあります。これまでも調整型の仕事をしてきましたし、争いごとがあった時は通訳しようという考えが働くんです。そういう性格ですので、色々と言われても気にしないようにしています。 北大の後輩たちへ伝えたいこと
寳金 北海道大学と札幌市の連携についてもお聞かせください。 秋元 札幌市と北大の歴史はほぼ重なっていて、まさに一緒に成長してきたと言えます。その関係性の中で連携を結ばせていただき、それが多様なジャンルへ広がっていくことは、卒業生としても非常にうれしいことだと思っています。
寳金 ありがとうございます。では、市長を務められている中で「これはやって良かった」、「これは辛かった」といったお話があれば、ぜひ。 秋元 地域の経済力をつけることをテーマとしてきたので、観光面が上向いた点や、最近のGXやDXなど新しい産業集積の芽が出てきた点は、成果として将来につながる形になるかな、と。辛かったことで言うと、北海道日本ハムファイターズの本拠地移転でしょうか。札幌市内にあれだけの用地を確保するのは難しく、結果として北広島市に素晴らしい球場ができて、理想の形が実現したのだと思います。ただ、世論の批判は本当に強かったです。 寳金 では、GXやAIという、次世代の札幌のビジョンについて、北大の後輩に向けてメッセージをお願いします。 秋元 これまで、特に理工系の学生が北海道内で就職しようとした時に、受け皿は多くありませんでした。GXやDX、AIといった分野は、まさにそのような学生が仕事で活躍できる場が増えるチャンスです。世界中から人が集まって交流できる形になると思いますし、新たな産業集積や可能性があるフィールドができることは、大きなチャンスです。それを作り上げていく上で、学生や若い研究者の方々に期待しています。 寳金 最後に、母校の学生たちに伝えたいことはありますか。 秋元 色々なことに興味を持って、様々なチャンスに目を向けてほしいです。最近は学生が内向きで、海外留学に行きたがらないという声も聞きますが、ほかの街との違いを知ることは、「自分の街を愛せる」ということにもつながります。別の場所で自分と違う人たちと接点を持ち、多くの経験をする中で「やってみたい」ことを見つけ、邁進してほしいと思っています。 寳金 北大も市長がおっしゃるような、多様な人たちとめぐり合える場所でありたいと思っています。本日はありがとうございました。
|