【特集「照らす―北大の創基150周年記念事業―」】

古河講堂の改修・利活用
ー北大の転換点と未来を照らす白亜の建築


林学教室として建設された新築間もない頃の古河講堂(北海道大学大学文書館提供)

札幌キャンパスの一角に佇む、登録有形文化財「古河講堂」。「2026さっぽろ雪まつり」で大雪像として再現され、注目を集めた。北海道大学創基150周年を迎えた今、改修と利活用が予定されているこの講堂は、歴史的な意義とともに、新たな役割を担おうとしている。




農学のキャンパスを彩った白亜の講堂

 札幌農学校のキャンパスは1903年、現在の札幌市時計台付近から札幌キャンパスの南端へ移転した。正門から農学教室(現在の農学部本館あたり)まで続く道が当時のメインストリートで、サクシュコトニ川に架かる橋を越えた先に、緑の芝生を中庭にして向かい合わせに白壁の校舎が整然と並び、農学を中心とした学びの場を形作っていた。移転から6年後に完成した古河講堂は林学教室として建設された。創基50周年(1926年)にはその向かいにクラーク博士の胸像も建立され、キャンパスの中核となった。


横田篤・副学長の左奥に見えるのは、
四方向に屋根面を持つ寄棟屋根。
マンサード様式が造形の美しさを
際立たせている

 古河講堂の建設は、古河財閥による政府への多額の寄附金の一部によって実現した。1899年、国は高等教育拡充政策を掲げ、東北と九州に帝国大学を新設すると発表した。これを受け北海道でも、札幌農学校を母体として北海道帝国大学の設置を求める声が上がった。しかし、国の財政難で大学新設はすぐには実現しなかった。

 そうした状況の中、古河財閥の寄附がきっかけとなり、1906年、両帝国大学の設置が決定。翌1907年、札幌農学校は東北帝国大学の農科大学(農学部に相当)として、帝国大学への昇格を果たした。

 古河財閥の寄附金は札幌・仙台・福岡で計9棟の校舎建設に充てられたが、現存するのは古河講堂のみであり、日本の大学史においても極めて貴重な遺構となっている。北大の横田篤副学長は、「古河講堂は、札幌農学校から帝国大学へ移行する節目を象徴する存在です」とその意義を語る。


「林」の文字に刻まれた学問の系譜

 古河講堂は日本の砂防工学の発展とも深く結びついている。度重なる水害に悩まされていた明治期、国土保全の要として砂防工学が発展し、1911年には理水及砂防工学の講座が古河講堂に設置された。これは現在の農学研究院流域砂防学研究室へと続く系譜の出発点となる。「山を緑にし、土砂災害を防ぐという学問が古河講堂で育ちました」と、横田副学長は説明する。

 館内には林学を象徴するような飾りが随所に残り、扉や欄間には「林」の文字が現れ、階段の手すりには鹿の線刻や植物をモチーフとした装飾が施されている。建物は左右対称で、両側の屋根はマンサード様式(途中で傾斜が変わる寄棟屋根)でドーマー(小さな窓)が付いている。フランス・ルネッサンス様式が取り入れられた外観の建築美と学問的意義が融合した空間となっている。

学問と造形美が融合した、遊び心あふれる装飾が随所に見られる

防災の拠点として、次の100年へ

 1954年に林学教室が農学部本館に移った後も、教養部の講義室、大学院環境科学研究科の仮校舎、文学部の研究室として、古河講堂は2019年まで北大の学びを支えてきた。しかし築117年を経て老朽化が進み、耐震基準を満たしていないため、現在は使用を中止している。

 近年、気候変動に伴い全国で災害が激甚化する中、2019年に農学研究院を中心に発足した「広域複合災害研究センター」は、工学・理学・医学・文学・経済学・公共政策学など多分野と連携し、防災研究を推進している。改修後の古河講堂は、「広域複合災害研究拠点」として再生する計画だ。

 1階は市民が憩い、北大の歴史や教育研究成果を身近に学べる展示・交流スペースとして、2階は防災研究・教育の拠点として、自治体職員のリカレント教育や防災研究の成果発信を担う。災害時には防災本部としての活用も想定されている。横田副学長は「古河講堂は総合大学としての力を結集し、防災分野における共創拠点としてその総合力を示す場になります」と未来を見据える。

 150年の歴史を経て、白亜の講堂は次の100年へ向け、再び多くの人々の未来を明るく照らそうとしている。

 ▼北大フロンティア基金では、こども本の森、古河講堂の改修・利活用事業への寄附をお願いしています。詳しくは、本誌20ページをご覧ください

改修後は、防災の教育・研究拠点と市民が集う場が両立する空間を目指す


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