フィールド、ふぃーるど、Field
臼尻フィールドガイド第8弾
文 責: 岩田 容子(北海道大学水産科学研究科)
函館といえば、イカの街。6月にスルメイカ漁が解禁になると、海は漁火で輝きます。夏、スルメイカは豊かな北の海で大きく育ち、秋になるとだんだん南の産卵場に移動して行きます。そして冬。去ってしまったスルメイカに代わり、冬の函館を支えるのはヤリイカです。ヤリイカは12月頃からGW頃まで、産卵のために沿岸にやってきたところを漁獲されます。こうして函館では年中、獲れたての新鮮なイカを食べることができるわけです。
ヤリイカは、冬から春が繁殖期で、夜な夜な群れをなして水深の浅い沿岸にやってきて、海底の岩に卵を産み付け、また沖へ去っていきます。北海道での主な産卵場は、日本海側の沿岸で、函館から西へ約100km、お城と桜で有名な松前町です。あれ?臼尻ではないの?と思った方もいるかと思います。はい、臼尻では繁殖していません。でも、ここ臼尻で、私はこれまでヤリイカの繁殖行動の研究を行ってきました。今回は臼尻実験所のもう一つの顔、巨大飼育施設を使った研究についてお話したいと思います。さしずめ「ラボ、らぼ、Laboratory 臼尻ラボガイド第1弾」といったところでしょうか。
野外で定量的な行動観察をするのは、とても難しいことです。特に、広い範囲を移動し、巣を作ったりなわばりを構えたりしない生物を研究対象とする場合、苦労のわりに得られる情報というのはとても限られてしまいます。ましてや海の中。そんな時、強い武器となるのが飼育実験です。臼尻実験所の一階には、なんとイカの飼育専用に設計された巨大水槽があります。30cm以上もある大きなイカが、のびのびと泳ぎ回るための水槽は5.5×2.5m、容量13トンとプール並みの広さで、私は実際にシュノーケルをつけて潜ったことがあります(もちろん実験のためですよ!)。水槽には側面に窓が付いているので、イカたちのいろいろな姿を、24時間いつでも、じっくりと観察することができます。
間近で観察していると、大きな瞳に透き通ってきらきらと光る体色、流線型の体で優雅に泳ぐ姿はほんとうに美しく、うっとりしてしまいます。次に目を引くのは、実にさまざまな模様に体色を変化させることです。イカの皮膚には「色素胞」と呼ばれる色素の詰まった小さな袋が無数にあって、それを収縮したり緩めたりすることで、体の色を瞬間的・部分的に変化させることができます。そうやって、体色を背景に合わせ外敵に対し目立ちにくくしたり、仲間とコミュニケーションしたりしているようです。
![]() 水槽を泳ぐ美しいヤリイカ。皮膚がきらきらと光ります。 |
繁殖期のイカを観察していると、特有の体色模様があることに気づきます。雌に対する求愛や、自分が雌とペアになるために他の雄に対し自己主張するために使う模様です。雄達は2匹並んでにらみあい、普段はしまってある触腕(餌をとらえるための長い腕)まで目一杯伸ばして、「俺のほうが大きくて強いぞ!彼女は俺のものだ!」とアピールしあいます。目の周りを真っ赤にして、まさに必死の形相です。 |
![]() 雄同士の雌をめぐる争い。張り合う雄2匹と雌(左下)。 |
![]() 大きな雄に攻撃されてお手上げ(?) ポーズの雄(これ本当)。 |
![]() ペア交接。雄が下から雌を抱きかかえます。 |
ペアになれた雄は、雌をやさしく抱きかかえ交接します。イカの場合、精子の詰まったカプセルを雌に手渡しするので、交尾とは言わず交接といいます。雄は、雌の外套膜(胴体)の中、輸卵管に精子のカプセルをくっつけます。その後、雌が卵を産み終わるまでそばで見守ります。しかし、ペアになったからといって油断はできません。ペアになれなかった雄が割り込んできたりするからです。そういう雄は、なんの前触れも無く飛び込んできて、雌の足の根元に精子のカプセルをくっつけ、一目散に去っていきます。こういう割り込み雄のことを、一般にスニーカーといいます。このようなスニーカーは昆虫、魚、鳥、哺乳類といろいろな動物でみられますが、ヤリイカの特徴は、ペアとスニーカーで精子を受け渡す場所も、そのための交接方法も全く違うことです。 |
舞台を実験所2階のDNA実験室に移し、生まれた子供達の父親は誰かを、DNAを使って調べてみました。結果をみると、ペアになった雄が大部分の子供の父親になるようですが、スニーカー雄も少しは子供を残しているようです。どうやら、体の中に精子を渡すペア雄のほうが、足の根元に精子を渡すスニーカーに比べ、卵と精子が先に出会うことができるので有利なようです。スタート地点が違うかけっこみたいですね。それでもスニーカー雄は、「全く子供を残せないよりずっとまし。自分にできる精一杯をがんばろう。」と一生懸命生きているのです。イカたちの生き様に、人生を学ぶ私なのでした。