メッセージ・参加状況

ホームカミングデーに寄せられたメッセージ

皆様から寄せられたメッセージをご紹介いたします。

あなたの“Be ambitious!”をお聞かせください

メッセージ 卒業年度 卒業学部
(研究科等)
本学との
ご関係
文学部を卒業し、北大職員として働いている今、北大と共にこれからも成長していきたいと考えています。 2012 文学部 卒業生
現職員
私は現在61歳、理学部化学専攻を修了後、製紙会社の技術研究所で9年、そして現在の電子部品メーカーでもう26年が経過しようとしております。私が社会人となって最も充実した時期は、米国国境に近いメキシコのとある街へ海外赴任した2年間でした。私は、生活の利便上、米国TXの街に単身で住んでいました。この2つの国にまたがる公私の生活は、短い期間でありながらも今でも間違いなく私の人生で最も密度高い時であったと言えます。その理由は、やはり出会った現地の人々との心の交流であったに違いありません。狭い島国で、単一民族の文化で育った日本人は、それだからこそ世界の誰しもと自然に意見を交換し、心の交流を実現しなければならない時代になっています。教科書が教えるところをそのまま受け入れるのではなく、実体験を通じて世界の文化を自身の味覚で評価し、会話により相手の本心を的確にとらえなければなりません。そして、それを糧に日々向上心を維持し、自助努力を怠ってはなりません。その実践により、“地球人”として皆に認められる存在にならなければなりません。そういったことにより、若い諸君が世界をリードしていっていただきたいと願っております。 1977 理学部 卒業生
本学卒業後も事務職員として本学に勤務させていただいております。これからも北海道大学が益々発展するために、ちょっとでも力になれることを目指して、日々精進いたします。 1995 法学部 卒業生
現職員
母校北大で、技術補助員として働いています。久しぶりの実験に不安と喜びを感じています。僅かでも良いから、私の実験結果が研究のお手伝いになることが、私のambitionです。 1972 理学部 卒業生
現職員
年齢を重ねるとともにさまざまなことに諦めを感じておりましたが、三浦雄一郎氏の80歳での快挙を耳にして、スタートすること気持ちを継続させることの大切さを改めて意識いたしました。具体的なことはまだ考えておりませんが、気持ちの継続ということを日々の暮らしに生かしたいと思っています。 1980 法学部 卒業生
企業の前線から退いた今は、これまで自分を育んでくれた方々、学校、地域に感謝し、お返しをしなくてはと思っています。BE AMBITIOUSの精神と北大魂を胸に、微力ながら様々な動きに関心を持ち、参加していこうと考えています。 1974 経済学部 卒業生
世界一の技術者になる 2013 工学部 卒業生
在学生
職員として、日々学生たちの「Be ambitious!」を応援しています。北大が最高の学生生活を送れる大学であり続けられるよう頑張りたいです! 2006 法学部 現職員
日々リハビリテーション医療に従事させていただく中で、その興味深さや難しさを感じています。日常の様々な作業を介して行われる、人と環境の相互作用について、これまで学んだこと、現在学んでいることを活かし、広く社会に貢献できる存在になりたいと思います! 2007 医学部 卒業生
入学した昭和45年は、学園紛争の余波で入学式もなく、授業もとりあえず始まったものの、一時期教養部封鎖等もあり多様な考え方が交錯するカルチャーショックの中で、4年間は真のアンビシャスとは何なんだろうと悩みさ迷える日々でした。卒業後まもなく、当時の今村成和学長が入学式等折にふれて、クラーク博士の大志とは、「ロフティ(lofty)アンビシャス(高まいな志)である。」と説かれているとの報道にたびたび接し、目からうろこの思いが・・。 今、自由な時間や余暇を様々に楽しめる年齢となりつつありますが、時代は、我らが1970年代より、不透明で頼りなげ。趣味の世界や個人的生活を追い求めるのみではなく、孫・子の世代に胸を張れる「世代責任」を果たすための冷静な思考や行動が必要と感じています。長年の無関心人間を卒業し、今、三度(みたび)「Be,lofty ambitious!」と、自らを鼓舞していきたいと思っています。 1974 法学部 卒業生
北海道を離れると、北大という母校を背負っている「気負い」を感じます。日本を離れたら、一層そういう感じになるのかも知れません。臨床医という立場上、日常診療や研修医及びスタッフ教育の場において良い意味で北大のプライドを忘れないようにしたいと思います。 1988 医学部 卒業生
私は、元々理科系で入学し当時は先々どうするのか思いも進路も明確でないままでした。そんな中で何かの糸口を求めて、広く文科系と理科系を学べる教育学部への転学部をすることにしました。教育学部では、心理学・生態学・社会学・経済学と様々な学問を自然の大地に佇むキャンパスの中で触れることができ結果として幅広い分野に対する知的抵抗も無くなり更には、興味を持てるようになりました。卒業後は、コンピュータメーカーに就職し、現在専門とは全く違う分野ではありましたが早や数年で定年を迎えることになりました。
これは、私が北大教育学部で得た様々な分野の学問や経験が、いつしか私の中でBE AMBITIOUSの精神を育み、そしてそれが自分の思考や行動の基盤になったことがその後の人生での色んな環境に遭遇してもやり通せたのかと思っています。ですから、私の今までの足跡は何とも統一性が無いように見えましたが、どうにかやって来れたのだと今振りかえっております。
1980 教育学部 卒業生
在学中の様々な経験、人との出会いが忘れられません。特に学部ではゼミ、放課後はクラブの経験が思い出されます。特にクラブ(基礎スキー部)は、人と交流はもちろんのこと、今も技術の向上を目指しています。そのような上を向いていく情熱を北大からはもらったと思っています。50歳を過ぎた今でも、何事にも「大志」を持って取り組んでいます。 1982 経済学部 卒業生
国際社会で活躍しよう!!! 1953 工学部 卒業生
「他人のお役に立つ」ことを厭わずにやることですね。対象はいろいろですが、学生時代に関心があった「エネルギー」というキーワードからは離れることができません。 1981 工学部 卒業生
自分の将来を決めつけずに、経済的な豊かさを求めるのでもなく、常に自分の行きたい方向へ進んできたこと、かな?ささやかだが。 1979 歯学部 卒業生
現教員
専門分野の後継者育成と技術移転に余生を捧げたい 1963 工学部 卒業生
いまわたくしは、カトリック真駒内教会の信者の組織で、運営委員長をやっています。また、神父様がいらっしゃらない時の礼拝には、神父様に代わって式を執り行っています。北大には内村鑑三先生など、多くのクリスチャンを排出しております。世界に20億人近くいるクリスチャンの生き方は、ぎすぎすする社会にとって一滴の清涼剤になると信じてやみません。これからも、信仰と仕事を通した社会貢献に、尽くしてまいります。 1982 法学部 卒業生
「世紀超え 求め続ける 清き国」 1971 法学部 卒業生
このような催しがあるのを知らないでいました。期待しています。 1952 農学部 卒業生
消光の日まで恵迪寮寮歌を歌い続けること 1969 獣医学部 卒業生
「生きているうちは元気でいたい!」そんな希望のもと、スポーツを生活の中にしっかり取り込み、いろいろな目標に挑戦して行きたい。心の故郷、北大や北海道のために、社会活動を通じてささやかながら貢献して行きたい。 1963 法学部 卒業生
昭和50年に卒業後銀行に就職した私は入社後3年目から国際部門に配属され、その後も一貫して国際業務にかかわり通算16年間ロンドン、ニューヨークと3度の海外勤務のあと、昨年定年退職しました。北大在学中に持っていた日本と海外との架け橋になりたいという希望は金融の世界を通じていくらかなりとも実現できたと思っています。退職後は個人としていくつかのアドバイザーをしていますが、むしろ現在は両親の介護と趣味のガーデニングにいそしんでいるところです。卒業した時代の風が海外へと後押ししたのかは今となっては判りません。しかし、当時北大には世界を相手に仕事をしたいというエネルギーが満ちていたように思います。友人の幾人もが総合商社や製造業の仕事を通じてその夢を実現しようとしていました。最近、調査の必要があって北大総合図書館を訪れました。学生の服装や立ち居振る舞いは変わっていてもやはり北大は研究に打ち込むに最適な環境と実感しました。いつまでの進取の気風を失うことなく、世界に羽ばたく北大であってほしい思います。 1975 法学部 卒業生
今、苦労しながらやっていることをやり遂げたいです。その姿で、他の人にもいい影響を与えられるといいなと思います。 2002 農学部 卒業生
元職員
在学中、毎日がAmbitiousの実現でした。大学での講義も一人暮らしの日常も友人たちとの宴席も何もかもが楽しく、また創造的に感じられました。なかなか在学当時のようにはいかないものの、あの頃のような感動を味わおうと毎日頑張っています。 1998 法学部 卒業生
 卒業後、典型的なサラリーマンとなった身ですが、立身出世よりも、北大で諸先生、諸先輩、同級生から多くの影響を受けて自分なりに築いた「様々な状況下での価値判断の視点」を命終まで磨きあげ続けていきたいと思います。 1972 経済学部 卒業生
「海外で生活すること」学生時代に英語に興味を覚え、同好会ESSの門を叩いたことに始まる。海外の学生との交流を通して海外生活への憧れが募る。社会に出からも語学教材や英字新聞を購読するなか社内留学試験を受験するも語学はパスしたが、面接で落選。その後も英語への努力は惜しまなかった結果、海外プロジェクトの応札に関わるようになる。数年後、エジプトプロジェクトに抜擢され、ついに足掛け7年現地滞在3年(家族帯同)を果たした。現在も英語への取り組みは続けている。 1968 工学部 卒業生