己を利するよりは万民のために、国益よりも国際正義のために力を尽くし、支配する側よりも支配される側の、強者よりは弱者の側の立場に立って、自らの保身を顧みず、彼らの救済と正義を堂々と主張する人々を生んできた清き精神の流れが北大にはあった。このような人々を育てた北海道大学とはどんな大学だったのか、どのような人々により、どのような教育が行われて、そのような精神を抱く人々が育まれて来たのか、まずは創設期の先人の言葉を通してその精神の源流をたどってみよう。

W.S.クラーク W.ホィーラー 大島正健


先人の言葉

◎個を重んじ、確固たる個を育てる人間教育
 Be Gentlemen! 紳士たれ! ― W.S.クラーク
 クラーク博士は提示された札幌農学校校則の原案を見て、「こんなことで人間が作れるか、紳士たれBe gentlemenの一言で十分だ。」と言って校則案を破り捨てた。自主独立の精神と自律心・責任感を持つ紳士であれと、確立した個の完成を目指した。

「国家にとって国民以上の財産は無い。全ての自由国家では、重要とすべきは国民が第一で、国は最後である。政府は最上の政府たらんと欲すれば常に国民に奉仕することを旨としなければならない。」  ― W.ホイーラー
 個の尊重=個人主義に基づく民主主義のあり方を説いている。明治政府の姿勢を暗に批判。札幌農学校教育の根源。

 「明治の初年において、日本の大学教育に二つの大きな中心があって、一つは東京大学で、一つは札幌農学校でありました。この二つの学校が日本の教育における国家主義と民主主義という二大思想の源流を作ったものである。大雑把に言ってそういうふうにいえると思うのです。日本の教育、少なくとも官学教育の二つの源流が東京と札幌から発しましたが、札幌から発したところの、人間を造るというリベラルな教育が主流となることが出来ず、東京大学に発したところの国家主義、国体論、皇室中心主義、そう言うものが日本の教育の支配的な指導理念を形成した。その極、ついに太平洋戦争を引き起こし、敗戦後、日本の教育を作り直すという段階に、今なっておるのであります。」 ― 矢内原忠雄
 矢内原忠雄は第一高等学校時代に新渡戸稲造、内村鑑三に強い影響を受けた。いわば、クラークの孫弟子にあたる。札幌農学校の教育は、矢内原忠雄元東大総長によって、「人間を造るというリベラルな教育」「日本の民主主義教育の源流」と評されたが、その精神の源流をアメリカの独立宣言に見ることが出来る。クラーク博士は札幌に来る15年ほど前、アメリカ南北戦争に北軍として出征している。北軍が大儀としたのが、自由、自主・独立と人間の平等を謳ったアメリカ独立宣言であった。
※矢内原忠雄の写真は所蔵していませんでした。

 「私はこの生徒を養成するについても、人間の品格ということについて、最も厳重に注意してやるつもりですが、其の外のことについては成るべく構わないように致すつもりです。」 ― 大島 正健
 1期生大島正健は北大に奉職後、山梨第一中学校(甲府中学)校長を務め、クラーク博士そっくりの教育方針(Be Gentlemen)を中学校で実施した。弟子に後の総理大臣石橋湛山がいる。石橋湛山は大島正健からクラーク博士の思想を学び、生涯に渡る影響を受けた。


藤田正一(ふじたしょういち)・本学名誉教授
本年3月まで本学獣医学研究科教授、元本学副学長、前本学総合博物館長
本学獣医学部卒業生、在学時代は応援団団長として活躍

注)先人が残した言葉・内容には諸説ある場合が多いので、詳しくお知りになりたい場合は、北海道大学図書刊行会発行「北大歴史散歩」(北大生協等で販売)や本学附属図書館等で参考文献をご覧ください。
  また、本学ホームページFAQに【「Be ambitious」に続く言葉について】が紹介されていますので併せてご覧ください。http://www.hokudai.ac.jp/bureau/q/faq.html#9
ー 本シリーズは今号をもって終了します。 ー
これまでご執筆いただきました藤田先生ありがとうございました。
 



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