全学ニュース

春の叙勲に本学から2氏

 このたび,本学関係者の次の2氏が平成16年度春の叙勲を受けました。
勲 等
経 歴
氏 名
瑞宝重光章 名誉教授(元歯学部長) 富 田 喜 内
瑞宝中綬章 名誉教授 佐 藤 進 一
 各氏の長年にわたる教育・研究等への功績と我が国の学術振興の発展に寄与された功績に対し授与されたものです。
 各氏の受章に当たっての感想,功績等を紹介します。

(総務部総務課)


○富 田 喜 内(とみたきない) 氏
富 田 喜 内(とみたきない) 氏 このたび叙勲の栄に浴しましたことは,まことに光栄なことと存じ,非才な私がこのような栄誉に恵まれましたのは,長年にわたる多くの方々から戴いたご指導,ご支援の賜と,心から感謝もうしあげます。
 大戦中の学生生活を終え,戦後の復興,そして社会が大きく変わってきた昭和22年3月,東京医学歯学専門学校(現在の東京医科歯科大学)歯学科を卒業,母校の附属医院で臨床を研修しておりました。学校が大学に昇格し,歯学部1期生が予科から学部へ進学するのに伴い,手薄な基礎教室を手伝うようにとのことで解剖学教室へ入りました。ここで恩師桐野忠大先生にいろいろ教えを受け,人間的に成長したと思っております。研究成果を学位論文に仕上げるとともに,人体解剖を勉強しなおしたことが,後で手術をする時大変役にたちました。
 その後口腔外科学教室へ移籍し,恩師故中村平蔵教授,故上野 正教授はじめ先輩,同僚,後輩たちと,口腔外科疾患の治療を中心とした研鑽につとめ,また形態系研究室の整備や研究のお手伝いをしておりました。
 この間1年でしたが,シカゴ大学の特別研究員となる機会に恵まれて渡米し,多くの知人を作ることができました。
 ある日恩師故伊藤秀夫教授から北海道大学医学部へ行くようにお話がありました。医学部長安倍三史先生,附属病院長諏訪 望先生の要請があったためとのことでした。
 昭和40年北海道大学医学部附属病院歯科科長として赴任してまいりました頃は,全国的な歯科医不足が大きな社会問題となっており,歯科大学の設置ブームが起こっておりました。北海道においても,歯科医療過疎を解消するため,歯科医育成機関の設置が望まれており,北海道議会の要請もあって,北海道大学に歯学部を設置することが決定され,準備が始められておりました。
 新しい教室作り,診療内容の充実に努める一方,歯科出身ということで,伊藤秀夫教授のご指導を受けながら申請のための書類作りのお手伝いをしたり,安倍三史先生のお供で陳情に出かけたりいたしました。安倍先生にはこの間多くのことを学ばせて戴きましたし,医学部助教授の会などで多くの先生方と知り合いになることができました。
 昭和42年歯学部が設置された後は18年間勤めさせて戴きましたが,この間病院長を通算8年,学部長を3年,役職者として過ごし,歯学部の建物建築,講座の増,大学院の設置,特殊歯科診療部の設置などに関わりあってまいりました。また教授として教室作り,充実を諮りながら,教育,研究,臨床に勤めてまいりました。良き同僚,すばらしい教室員,さらには多くの事務官に恵まれ,楽しく働いてまいりましたことを大変嬉しく,かつ多くの方々のご支援があってのことと感謝しております。
 停年も近くなり,そろそろ後始末を始めようかと思っておりましたとき,当時東日本学園大学の学長をしておられた安倍三史先生からお話を戴き,昭和60年同大の副学長,歯学部長として赴任いたしました。ここでもよい方々とめぐりあうことができ,楽しく仕事をさせて戴き,大学院歯学研究科の設置,札幌医療福祉専門学校の設置,看護福祉学部の設置,などのお手伝いをしながら,副学長6年,学長8年の任期を無事に勤めを果たすことができました(平成11年)。そのあとは,縁あって社会福祉法人緑誠会の理事長,東札幌病院の理事長(現在は監事)などを勤めております。
 私のこれまでを振り返ってみますと,天の時,地の利,人の和の加護によって,いろいろな仕事をすることができたと感謝しております。
 北海道大学も法人化されるなど,いろいろ変革を余儀なくされるでしょうが,ますます発展され,有為な人材が続々育ってまいりますことを心から祈念いたしております。

略 歴 等
生年月日 大正15年2月23日
出身地 浦和市
昭和22年3月 東京医学歯学専門学校卒業
昭和24年6月 東京医科歯科大学助手
昭和30年8月 医学博士(東京大学)
昭和30年11月 東京医科歯科大学歯学部附属病院講師
昭和40年7月 北海道大学大学医学部助教授
昭和42年6月 北海道大学大学歯学部教授
昭和42年7月 北海道大学歯学部附属病院長
昭和46年3月
昭和42年8月 北海道大学評議員
昭和44年8月
昭和46年4月 北海道大学歯学部長,評議員
昭和49年4月
昭和51年8月 北海道大学評議員
昭和52年4月
昭和52年5月 北海道大学歯学部附属病院長,評議員
昭和56年4月
昭和60年4月 北海道大学退職,北海道大学名誉教授


功 績 等
 富田喜内氏は,大正15年2月23日に埼玉県浦和市に生まれ,昭和22年3月東京医学歯学専門学校を卒業し,昭和24年6月東京医科歯科大学歯学部助手に採用され,同歯学部附属病院講師,同学部講師を経て,昭和40年7月北海道大学に医学部助教授として赴任されました。昭和42年6月北海道大学歯学部が新設されるとともに,同学部教授に任ぜられ,口腔外科学講座(昭和49年4月から口腔外科学第一講座に改称)を担当し,昭和60年4月北海道大学を退官,同年4月北海道大学名誉教授の称号を授与されました。
 この間,同氏は,東京医科歯科大学に16年余,次いで北海道大学医学部及び歯学部に20年間,計36年余の永きにわたり,歯科並びに口腔外科学の分野において教育・研究及び診療に従事し,新設まもない北海道大学歯学部の教育及び研究方針の確立,同学部附属病院の診療施設の充実に尽力するなど,多大な貢献をされました。
 同人の専攻は口腔外科学であり,研究分野は,口腔癌の診断と治療法に関する研究,唾液腺の基礎的・臨床的研究,口蓋裂の治療法に関する研究など,多岐にわたります。口腔癌に関する研究では,口腔癌の下顎骨浸潤には2つの吸収様式があり,しかも浸潤範囲は術前の画像検査である程度診断することが可能で,平滑性吸収症例では下顎骨の連続性を保存しうることが少なくないことを明らかにしました。唾液腺の研究においては,エックス線テレビ装置を全国の歯科大学・歯学部に先駆けて導入し,透視下での連続的唾液腺造影法を開発しました。口蓋裂の研究では,出生直後から社会人に至るまでの一貫した口蓋裂治療の重要性を強調し,歯科矯正科や歯科補綴科とのチームアプローチによる一貫した口蓋裂治療の流れを構築するなど,口腔外科臨床の発展に寄与されました。
 学内にあっては,北海道大学歯学部長,同歯学部附属病院長,同評議員を歴任し,14年間の永きにわたって大学運営の枢機に参し,本学の管理運営に貢献されました。学外においては,厚生省医療関係者審議会委員,歯科医師国家試験委員,歯科医療研修振興財団理事等を歴任し,平成5年4月から平成7年3月まで日本私立歯科大学協会副会長を務めるなど,永年にわたって歯学教育に貢献され,その功績に対して,平成10年12月に日本歯科医学会会長賞が授与されました。
 学会活動としては,昭和59年9月に第29回日本口腔外科学会総会,昭和63年6月に第42回日本口腔科学会総会を主催したほか,日本口腔外科学会理事,日本口腔科学会理事,日本口蓋裂学会評議員等を歴任し,口腔外科学関連学会の発展に多大な貢献をされました。
 本学退官後,昭和60年4月に東日本学園大学(現,北海道医療大学)副学長・歯学部長,平成3年4月には学長に就任し,平成11年3月までの8年間,学長として管理運営並びに大学改革に取り組み,さらに看護福祉学部を創設するなど,医療に関わる有為な人材の育成にも尽力されました。
 以上のように,同人は,北海道大学歯学部及び附属病院の創設とその充実に貢献し,さらには北海道医療大学の発展に尽力するなど,北海道における歯学教育機関の充実発展のために献身され,また多くの優れた歯科医師並びに歯学研究者を育成し,北海道のみならず,わが国の歯学と歯科医療の発展向上,口腔外科の普及に貢献したその功績は誠に顕著であります。

(歯学研究科・歯学部)


○佐 藤 進 一(さとうしんいち) 氏
○佐 藤 進 一(さとうしんいち) 氏 この度,永年住み慣れた札幌を離れて横浜に移り住んだばかりの私に叙勲の知らせがありびっくりしました。大変光栄に存じております。北大在職中お世話になった沢山の方々に心からお礼を申し上げます。
 私が北大理学部物理学科の学生になったのが昭和20年春,太平洋戦争に敗れた年でした。予科は僅か2年間,それも学徒動員で何を勉強したかわからないうちに学部の学生になり,その後も戦後の社会の大きな変化に影響されて,落ち着いて大学の生活を送った記憶のないまま,昭和23年春卒業することになってしまいました。一体こんな状態で大学を卒業しましたと言えるのかという気持ちが強く,卒業研究のため配属された超短波研究所の雰囲気がとても魅力的であったことも手伝って,私は将来大学で研究をする生活をしようと心に決めました。
 幸い卒業研究を指導して下さった今堀克己先生のお世話で,昭和26年大阪大学の産業科学研究所に勤務することになり,希望通り大学の研究生活に入りました。この研究室の教授は本多光太郎先生の後年のお弟子で西山善次先生といい,マルテンサイト変態と呼ばれる結晶相転移の研究の世界的権威の方でした。先生は東北大金研から着任したばかり,スタッフは阪大,東北大,名大などを卒業した若手メンバーで固められ,研究室は張りつめた空気に満ち溢れていました。
 私はこの研究室で,金属,合金の結晶内の原子配列の変化を,主としてX線回折と透過型電子顕微鏡を駆使して調べる研究を始めましたが,戦時中の学生生活の不満を一挙に解消する充実した日々が続きました。アメリカのノースウエスタン大学に留学した昭和31年から2年間を含めて約15年,20才から30才台の元気な頃に西山研究室で貴重な研究の基礎を身に付けることができたことは誠に幸いでした。
 母校北大の工学部に応用物理学科が出来て「応用X線粒子線」という名の新しい講座を私が担当することになったのが昭和40年でした。新設学科は教官も学生も新しい分野で一丁やってやろうという元気があって,仕事が大いに楽しかったのですが,一番困ったのは研究場所も研究設備も何もないところから出発しなければならないことでした。これは実験講座の宿命とも言えますが,結局研究室らしい設備を整えるのに約10年の歳月がかかってしまいました。
 その後,停年退官の昭和63年までの限られた期間に,講座の教官・学生の総力を挙げて,金属合金の相変態,変形に伴う結晶内原子配列変化の回折研究を進めましたが,私は回折手法そのものの開発にも興味があり,短波長X線を使った新しい研究法を開発提案しました。また,X線回折の研究に付いてまわる測定時間の短縮化の問題では,北大全学でこの手法を使っている研究部門に呼びかけて,文部省に共同利用施設を申請し,昭和54年これが通って,120kV加速電子による強力X線発生装置を中心とする「高エネルギー超強力X線回折室」を昭和57年に設置することができました。現在もこの施設が引続き全学の研究に共同利用されていると聞きました。お世話になった北大の研究に少しでも貢献できて嬉しい限りです。
 新設の応用物理学科も既に40年を経て,制度改革で大講座制の量子物理工学専攻に名前が変わりましたが,先日,学科の第一期卒業生である中山恒義教授が工学研究科長に就任されたという挨拶状が届きました。新設当時の学科全員が張り切っていた頃を思い出して感無量です。北海道大学の益々の発展を祈念して止みません。


略  歴  等  
生 年 月 日 大正14年1月15日生
出  身  地 樺太
昭和23年3月 北海道帝国大学理学部卒業
昭和23年4月 北海道立札幌女子高等学校講師
昭和24年12月 大阪府立浪速大学工学部助手
昭和26年2月 大阪大学産業科学研究所研究補助
昭和30年10月 大阪大学産業科学研究所助手
昭和34年8月 大阪大学産業科学研究所助教授
昭和37年3月 理学博士(大阪大学)
昭和40年12月 北海道大学工学部教授
昭和63年3月 北海道大学停年退職
昭和63年4月 北海道大学名誉教授

功 績 等
 佐藤進一氏は,大正14年1月15日サハリン(旧樺太)に生まれ,昭和23年3月北海道帝国大学理学部物理学科を卒業され,同年4月,北海道立札幌女子高等学校講師となり,次いで昭和24年12月大阪府立浪速大学工学部助手に任ぜられ,昭和26年2月に大阪大学産業科学研究所研究補助,助手を経て昭和34年8月同研究所助教授に昇任されました。昭和40年12月には北海道大学工学部に新設された応用物理学科に教授として着任し,応用X線粒子線講座を担任,開設後間もない同学科の教育方針の確立,研究設備の充実に努め,学科の発展に大きく貢献されるとともに,専門分野における研究を通じて多数の研究者,技術者の養成に努力されました。その後,昭和63年3月停年により退職し,同年4月北海道大学名誉教授の称号を授与されました。
 同人は一貫して「回折結晶学」の分野の研究に従事し,X線回折装置並びに電子顕微鏡を駆使して,金属及び無機結晶などの原子配列に関する研究を精力的に進めてこられました。まず,金属結晶のマルテンサイト変態の際に発生する格子欠陥について,X線回折線プロファイルをフーリエ解析する新しい方法により調べ,これをまとめて論文「Study of the Lattice Defect in Martensite by X-ray Diffraction」によって昭和37年3月,大阪大学から理学博士の学位を授与されました。その後,変形双晶の先端部分の擬コッセルX線回折法による研究や,積層欠陥の散漫散乱強度曲線の解析,マルテンサイト変態に伴って起こるいわゆる形状記憶効果の研究などに従事されました。さらに,特性X線の代わりに白色X線を使って構造解析を行う回折手法の開発研究を企画し,短波長X線を有効に利用する表面生成物や表面歪みの深さ分布の非破壊的測定法を開発したほか,「白色X線ペンデルビート測定法」と名付けた構造因子や温度因子などの精密測定法を提唱されました。白色X線利用としては,このほか,短波長X線の有効利用をねらって,トポグラフ法への応用の研究も行っております。
 同人はまた,X線回折研究を能率よく進めるための環境作りにも強い関心を持たれ,昭和57年8月北海道大学共同利用施設「高エネルギー超強力X線回折室」として実現されました。
 学外にあっては,文部省学術審議会専門委員を始め,日本金属学会,日本電子顕微鏡学会,応用物理学会の北海道支部長及び理事等を歴任し,我が国の学術振興に多大の貢献をされました。
 以上のように同人は,その真摯な研究活動によって応用物理学の分野で極めて優れた業績を上げ,学術の進歩に寄与するとともに,永年の地道な教育活動,熱心な研究指導によって多数の学生,技術者,研究者を育成し社会に大きく貢献したもので,その功績はまことに顕著なものがあります。

(工学研究科・工学部)


前のページへ 目次へ 次のページへ