名誉教授 松本正氏は,入院加療中のところ平成17年11月13日に御逝去されました。ここに先生の生前の御業績を偲び,慎んで哀悼の意を表します。
先生は,大正4年6月3日北海道伊達市に生まれ,昭和13年3月北海道帝国大学工学部第4類(電気工学科)を卒業し,昭和13年4月逓信省に入省,逓信技手工務局勤務を命じられ,昭和15年9月には名古屋逓信局豊橋工務出張所長に就任されました。昭和16年6月には北海道帝国大学工学部に通信工学第2講座新設のため招請され助教授として着任されました。昭和27年3月同大学教授に昇任,昭和36年4月には通信工学第2を電波伝送工学に講座名を変更,電子工学科へ振替により同講座担任教授として電子工学科へ移り新設間もない同学科の整備発展に貢献されました。昭和54年4月停年退官され,同月北海道大学名誉教授の称号を授与されました。北海道大学退官後,直ちに学校法人北海道尚志学園北海道工業大学電気工学科主任教授に就任,昭和56年6月同学園評議員,昭和59年4月から平成5年3月の間,同学園理事及び同大学学長を務められました。
先生は電子工学及び電気通信工学の分野の研究に努め,昭和27年3月立体回路に関する研究に対して工学博士の学位を授与され,貴重な著書・論文を多数発表し斯界(しかい)に大きく貢献されました。
先生は特に細隙空中線及び立体回路などに先駆的成果を収められました。このうち,最隙空中線は現在ではスロットアンテナといわれていますが,これに関する先生の卓越した研究により,その設計及び応用開発が進められてきたもので,これらの研究成果の中には,独特なスロットアレイの印刷技法や諸外国にも例を見ない数千のスロット群からなる超多素子平面アンテナ等があり,これら優れた性能と特徴は特筆すべきもので学会の注目を集めました。また立体回路に関する先生の研究は,マイクロ波回路の実用化の初期である戦前から始められており,先生はこの分野においても我が国の大先達の一人といえます。すなわち導波管内の「絞り」や「ポスト」あるいは導波管の円形曲がりや折り曲げ等の導波管内不連続や各種の分岐回路,結合回路等に関する理論については,その煩雑な解析のプロセスを電気技術者に最もなじみの深い伝送回路的に扱い,表現の定式化を発展させました。これによりまして立体回路に関する理解を著しく容易にすると共に,さらにその解析手法を一層複雑難解な各種異方性媒質や圧縮性プラズマを含む導波管にも展開し,それらの実用化の発展に著しく貢献されました。これらスロットアンテナの研究及びマイクロ波回路の研究における極めて特徴のある独創的手法は後継者に引き継がれ両者共に北海道大学の伝統研究となりました。
また戦後数年を経て我が国の産業や医療施設等における高周波電波の利用が著しく勃興(ぼっこう)し,電波利用施設相互間の電波妨害を防止する電磁遮蔽(しゃへい)の問題が緊急重要な課題となり,郵政省電波技術審議会においても戦後数年にわたり深刻な問題として審議され,国内の研究施設において実験や検討が行われるようになりました。まず金網で作られた遮蔽箱についての実験例を挙げれば,京都大学の実験(昭和24年度電波技術審議会第1部報告),北海道大学(昭和27年応用電気研究所彙報(いほう))等があります。金網による遮蔽効果は数多くの要素によって影響を受けます。すなわち金網の網目の構造と網目寸法,針金の実効導伝率や太さ,針金の重なり部の接触抵抗,針金の経日腐食,遮蔽箱の寸法等,さらに二重に遮蔽する場合の構造や二重金網の間隔,電源が電界型(コンデンサー型)か磁界型(コイル型)か等により影響を受けます。上記の諸実験はそれぞれの実験用に作られた特定の遮蔽箱について記述の諸要素の中の幾つかにつき,その影響を調べたものでした。当時はこれらの諸データにつき理論的に定量評価することは困難でありました。この難問に対して先生は電磁波理論に基づく新しい理論体系を作り上げることに成功しました。昭和25年10月及び昭和26年3月にそれぞれ電気学会誌及び同学会論文集に掲載された先生の論文「金網による電磁遮蔽の理論」は諸外国の文献にも前例のない独創的かつ画期的なものであり,前記諸実験の結果を明快に説明しうるものでした。このような電磁理論に基づく巧妙精緻(せいち)を極める解析と電磁遮蔽室の設計法を先駆的に確立したことは,我が国における急速な高周波利用の発達史上特筆すべき業績であり,この研究成果により電気学会学術振興賞26年度論文賞が授与されています。その詳細については,当時の電波技術審議会の抜山平一会長及び浅見義弘委員両氏の共著になる「電波遮蔽の理論と実際」の中で全容が紹介されています。この先生の業績は環境電磁工学(EMC)と称する学問分野が注目されるに及び,改めて高い評価を受けるに至りました。
北海道大学内にありましては,昭和52年6月より昭和54年4月北海道大学停年退官まで同大学評議員を併任し同大学運営の枢機に参画されました。学外にあっては,電波管理委員会電波技術審議会専門委員(昭和24年10月〜昭和25年5月,昭和25年8月〜昭和27年8月),郵政省電波技術審議会委員(昭和46年3月〜昭和54年3月)を勤められました。多年にわたり電波技術の研究開発及び電波技術者の育成指導に尽力され,また電波行政に多大な貢献をされた顕著な功績により昭和56年6月郵政大臣により表彰されました。
学校法人北海道尚志学園理事及び同学園北海道工業大学学長の両職により同学園及び同大学の発展のため努力を傾注されました。大学教育に関する職歴は北海道大学と北海道工業大学をあわせ実に51年10ヶ月の長きにわたりました。この産業教育の振興に尽力した多大な功績により昭和59年11月文部大臣により表彰を受けました。また北海道工業大学学長在職中昭和61年4月に既設5学科(機械,経営,電気,土木,建築各工学科)に加え,応用電子工学科を増設し,さらに平成2年4月より大学院工学研究科の設置を実現し電気工学,応用電子工学及び建築工学の修士課程3専攻を発足させ,同大学の質的向上に著しく貢献すると共に産業界の要望する高級技術者や研究者の養成に応(こた)えるのみならず地域産業振興への指導協力,成人教育,産学協同への態勢の整備充実へ向けて積極的に推進してきたことは社会的にも大きな功績といえます。
学会活動としては,社団法人電気通信学会(後に電子情報通信学会と改称)北海道支部長(昭和33年5月〜昭和34年5月),テレビジョン学会(後に映像情報メディア学会と改称)北海道支部長(昭和52年5月〜昭和53年5月)を務め地域の学術振興に貢献されました。また電子通信学会(後に電子情報通信学会と改称)の研究専門委員会関係としては教育技術研究専門委員会専門委員(昭和50年4月〜昭和58年3月),環境電磁工学研究専門委員会専門委員(昭和52年4月〜昭和56年3月),教育技術研究専門委員会顧問(昭和58年3月〜昭和60年3月)等の役職を務め関係学問領域の振興及び指導に尽力されました。
昭和60年7月には日本学術会議第13期会員に任命され同会議の基礎工学研究連絡委員会委員及び電子通信工学研究連絡委員会委員に指名され関係工学研究の振興に尽力し,さらに昭和62年4月より日本工学アカデミー正会員に就任されました。
前述のように関係専門学会における貴重な数多くの先駆的,独創的研究成果や関係学会を通しての学術振興への貢献,郵政省電波技術審議会委員,日本学術会議会員,日本アカデミー正会員等多くの要職を勤め電子通信の分野においてその功績はまことに顕著なものがあり昭和57年5月社団法人電子通信学会より同会最高の栄誉である功績賞を受賞されました。さらに翌昭和58年5月には同学会名誉員に選出されました。
また北海道テレコム懇談会会長等の北海道地域の産業振興に関する数多くの官公のプロジェクト,研究会,団体等の委員,座長,副会長,会長,顧問を務め地域振興への貢献はきわめて大なるものがあります。
以上のように先生は半世紀以上にわたり,電気,電子,情報工学の分野における研究・技術開発並びに大学教育に尽力され,工学の実践面に関心を寄せながらも常にその根底にある思想を捉(とら)え学生及び後進の指導に当たられました。その真摯(しんし)な教育研究態度は教えを受け,接するものの等しく尊敬するところであり,また豊かな発想に基づき,独創的で画期的な研究業績を数多く挙げ,我が国の学術研究の発展に尽くした功績はまことに顕著なものと認められます。これらの功績により平成4年4月には勲二等瑞宝章を賜るに至りました。このように優れた研究教育者である先生と永遠のお別れをしなければならないことは痛恨の極みであります。ここに松本正先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
(工学研究科・工学部)
|