大学文書館では,7月27日(金),佐藤昌介・佐藤昌彦関係資料を佐藤カツミ氏(佐藤昌彦夫人)から,寄贈いただきました。
佐藤昌介(1856〜1939)は,1880(明治13)年札幌農学校を第1期生として卒業,開拓使・農商務省御用掛を経て,母校の教授となりました。1894(明治27)年札幌農学校校長,1907(明治40)年東北帝国大学農科大学学長,1918(大正7)〜1930(昭和5)年北海道帝国大学総長を歴任しました。
この度,受贈した佐藤昌介関係資料は,日記1点,書簡1点,スクラップ4点などです。例えば,スクラップには,1913(大正2)〜1914(大正3)年,佐藤昌介が日米交換教授として米国各地で講演した際,当地の新聞記事を貼り付けたものもあります。また,日記は,1937(昭和12)年のものです。高岡熊雄,星野勇三などの教授たちの来訪や,北海道農会会長,ロータリークラブガバナーとしての活動を記しています。
佐藤昌彦(1900〜1990)は,佐藤昌介の五男として生まれました。1925(大正14)年東京帝国大学法学部を卒業,1927(昭和2)年北海道帝国大学農学部講師として「民法」「法学通論」等の教鞭をとり,後に助教授となりました。1947(昭和22)年には札幌高等裁判所判事に就任しました。
受贈した佐藤昌彦関係資料は,日誌15点,手稿論文4点,スクラップ類2点などです。例えば,スクラップ類には,1932(昭和7)年,佐藤昌彦が,第3回国際オリンピック冬季競技大会(レークプラシッド)のスケート選手団の監督として渡米した際,当地の新聞記事・文書類などを貼り付けたものもあります。日本から,冬季オリンピックのスケート競技への派遣は,1932年が初めてでした。「スケートは自分にとっては,まことに最愛のスポートであった。自分の青春は此の為にのみ費やされたと言ってもよい」と述べていた佐藤昌彦のスケートへの想いが伝わってきます。
今後,これらの受贈資料については,大学文書館において整理をすすめ,大切に保管してまいります。 |
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佐藤昌介・昌彦父子 |
1932年オリンピックスケート選手団関係資料 |
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(大学文書館) |
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