開拓使仮学校地質測量生徒の写真を大学文書館で受贈
6月15日(月),大学文書館では,開拓使仮学校・女学校に関する資料調査にいらした河内山雅郎氏から,ベンジャミン・スミス・ライマンの下で学んでいた開拓使仮学校地質測量生徒の写真1点を寄贈いただきました。この写真は,生徒のひとりで,河内山雅郎氏の大伯父にあたる稲垣徹之進の旧蔵資料と考えられるものです。
ライマンは1872〜1876年,開拓使のお雇い外国人教師として北海道全島の地形・地質調査を行ないました。その際,日本人の若者十数名を地質測量生徒として随行させて調査助手にすると共に,地質・鉱山技術者に育て上げました。1876(明治9)年,ライマンが調査を基に作成した日本最初の本格的地質地図である「日本蝦夷地質要略之図」には,作成補助者として稲垣徹之進の名前も記載されています。
稲垣徹之進は,ライマンの帰国後,九州筑豊炭田の起業家安川敬一郎の下で近代日本における鉱山技術者のパイオニアのひとりとして活躍しました。その後,筑豊石炭鉱業会第3代総長や,福岡県嘉穂郡頴田村(現在の飯塚市)の明治炭坑株式会社の専務取締役を務めるなど,筑豊石炭鉱業界で重きをなしました。また,稲垣徹之進は,開拓使仮学校(札幌農学校の前身校)に併置された女学校生徒であった神尾榮と結婚しており,北海道と北海道大学に縁の深い人物です。
この度,受贈した写真は,北海道大学へと連なる最も古い時期の貴重な歴史的資料です。大学文書館において大切に保管し,広く活用してまいります。
開拓使仮学校地質測量生徒(1876年頃)
後列左から桑田知明,賀田貞一,
山内徳三郎,坂市太郎,安達仁造
前列左から島田純一,杉浦(高橋)譲三,
山際永吾,稲垣徹之進,西山正吾
(大学文書館)