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豊田彌六関係写真を大学文書館で受贈

 8月21日(金),大学文書館では,豊田彌六関係写真5点を大竹敏夫氏からご寄贈いただきました。大竹敏夫氏は義父にあたる豊田彌六のアルバムを安子夫人とともに大切に保管されており,そのアルバムから複製写真を作成していただきました。
 豊田彌六(1892〜1991)は,大分県速見郡杵築で生まれ,1911(明治44)年大分県立中津中学校を卒業後,東北帝国大学農科大学水産学科に進学しました。1915(大正4)年水産学科を第6期総代として卒業しました。卒業後は,花島煉乳,八丈煉乳,明治乳業,正栄食品等に勤務し,煉乳をはじめとした乳製品製造工場の技術者として製造・加工技術の改良に努められました。
 この度,受贈した写真は,中津中学校生徒写真1点,東北帝国大学農科大学在学写真4点です。
 たとえば,在学写真には,佐藤昌介学長,宮部金吾教授(植物学),森本厚吉教授(財政学),大島金太郎教授(農芸化学)とともに大学構内で撮影した集合写真や,札幌基督教青年会有志が設立した「青年寄宿舎」前で撮影した集合写真があります。

 
東北帝国大学農科大学構内にて後列右3番目が豊田彌六
東北帝国大学農科大学構内にて
後列右3番目が豊田彌六
 

 豊田彌六は水産学科在学中に「北海道から樺太まで,樺太の大泊,真岡,シスカ(敷香)など漁場を頼りに歩いた」といい,「当時,大学に有島武郎が英語と国語の講義をしていたが,この人の講義は大変面白かった。英語にしろ,日本語にしろ字がまたとても綺麗だったのでこの人の点を悪くするのは悪いなと思ったので,この人の講義だけはまじめに勉強した」と学生生活を回想しています(大竹敏夫編『つゞら峰々 豊田弥六老古今録』61〜62ページ)。

 
青年寄宿舎正面玄関前にて中列右4番目が豊田彌六
青年寄宿舎正面玄関前にて
中列右4番目が豊田彌六
 

 今後,大学文書館では,受贈資料を大学沿革資料として大切に保管するとともに,閲覧・展示等により活用いたします。

 
(大学文書館)

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